プノンペン出張記 2006-2013 その#1/4

プノンペン出張記
2006-2013
その #1/4

メコン氾濫原

メコン川は東南アジア最大のの国際河川である。中国のチベット自治区の奥深くの地に水源を発し、4,350kmを流れてベトナムのメコンデルタを形成し南シナ海に終わる。中国、ラオス、タイ、カンボジャ、ベトナムを含む795,000km2の流域があり、それは日本の国土の2倍の面積である。日本の国土の2倍の面積に集められた雨量が1本の河に流れ込むという計算になる。

メコン川は年間4,570 億tの水量を運ぶ。これは利根川の年間流水量の50倍に相当する。年間を通してメコン川の水量が多くなるのは、7月から10月にかけてで、この期間に本流からトンレサップ川をはじめ、その他の無数にある支流への逆流が起こり、プノンペン及びトンレサップ湖の周辺一帯に氾濫原が数ヶ月間出現する。

下の写真のように、低地は一面の氾濫水におおわれ、本来の河や沼の位置は上空からは認識することが出来ない。 

メコン氾濫原 2006年機内より撮影 

写真 筆者撮影 2006年

プノンペン周辺域雨季メコン川氾濫原。

細長い河岸段丘を除いたすべての平原は水没している。
プノンペン市街地はベトナムメコンデルタの海岸から500km程上流にあるが、海抜はたったの10mしかないが、かろうじて水没を免れるギリギリの標高にある都市といえる。

メコン氾濫原衛星写真

乾季におけるメコン川、トンレサップ川の合流地点とプノンペン周辺域。

雨季になると、メコン本流からトンレサップ川に逆流し、上流のトンレサップ湖は水面が3倍の広さになる。 

2006年5月機内より撮影

植民地時代のプノンペン市街図

1870年代フランス植民者により、ホテルや学校そして銀行や公共施設が造られ、河岸の村から、都市としての骨格が造られていった。しかし地理上の制約から、郊外は多くの湿地や遊水地が広範囲にあり、その後の都市居住環境の制約となった。

ノロドム王は、カンボデイアの首都を1886年にプノンペンに遷都した。

1922年当時、東洋の真珠と呼ばれたころのプノンペン市街図。

冠水する首都プノンペン

幹線道路沿いは冠水を免れるが、主要道路に囲まれた内部の地区は、道路より数メートル低い盆地状になっている。一度冠水すると、水が引くまで乾季を待たねばならない。公衆衛生と交通上の問題の解決は容易ではない。

現在の冠水最悪時のプノンペン市街図。水溜りが市街地に広範にのこり、退くのに時間がかかる。

カンボジア内戦

カンボジア内戦は、カンボジア王国が1970年に倒れてから、1993年に民主政権が誕生するまで、永い内戦状態にあった。したがってこの間は治安が不安定で仕事や観光で訪れる人々は稀であった。

空港に着陸態勢をとる。周辺に広がる湿地帯。

写真 筆者撮影 2006年

空港からプノンペン市街までは、東に約7kmにほどで、かなり近い位置にある。カンボジア内戦が終結して数年後、1995年からフランスとマレーシアの民間共同体の手で空港施設の近代化が図られ、2001年になってようやく完成した。
筆者がこの空港に始めて到着したのは、開港5年後(2006年)であったが、ターミナルビルはまだ新しかった。エアーブリッジも備えられていて、大型旅客機の就航も可能となっていた。

写真 筆者撮影 2006年

空港のピックアップエリア。

写真 筆者撮影 2006年

雨上がりのプノンペン空港。

写真 筆者撮影 2006年

プノンペンホテル

街中のビジネスホテルにチェックイン。

写真 筆者撮影 2006年

ホテルを出て大通りを左にしばらく歩くと、広大なフランス大使館がある。
右側に行けばカンボジア鉄道のプノンペン中央駅に至る。道路の反対側にコロニアルなラッフルズホテルや巨大なアメリカ大使館などがある。
ホテルの裏側は大きな遊水地があり、その周囲にはスラムがへばり付いている。

写真 筆者撮影 2006年

プノンペンの王宮

カンボジア王国、国王の宮殿。プノンペン中心地にある。このイラストの一部区域を公開している。

1917年にフランスの建築家によって再建設された物で、1919年からシソワス国王によって使い始められたといわれている。建物の大きさは30m x 60mで、尖塔の高さは59m。

国王が住んでる建物には勿論入る事はできないが、かなりの部分に入いれて、見学をする事が出来る。宮殿前面のChan Chaya Pavilion 

写真 筆者撮影 2006年

宮殿前の公共広場。

写真 筆者撮影 2006年

宮殿前の広場は、メコン川に面して開放的だ。

写真 筆者撮影 2006年

カンボジア国立博物館  王宮の北隣にある

写真 筆者撮影 2006年

骨董屋の店舗  国立博物館の北隣にある。

写真 筆者撮影 2006年

プノンペン市域の縁で見つけたパゴダ。 
この建物は、王宮の建物が、タイ建築の亜流で有るのに比べて、よりカンボジアのクメール建築と親和性があり、心地よい建物だ。(下4枚)

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

建物の基壇には、アンコールワット周辺で見かけたものと、似た素材が使われている。(下2枚) 

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

フレンチ・コロニアル

1920-30年代のフレンチコロニアルの建物。保存状態は必ずしも良好とはいえないが、戦火を潜り抜けて、希少価値を発揮。      

写真 筆者撮影 2006年

こちらは、緊急に修理が必要なフレンチ・コロニアル     

写真 筆者撮影 2006年

プノンペン中心部のメコン川ウオーターフロントのフランス風建物産

1階にはバーやカフェの店があり、夜は賑やかなところだ。    

写真 筆者撮影 2006年

このバーの多い界隈を歩いて気がついたことは、欧米人でリタイアー後の年配者の男どもをよく見かけることであった。彼らは物価も人件費も安いプノンペンに来て、本国の年金で、この歓楽街で、リッチな老後を楽しんでいるのではないかと推察した。

写真 筆者撮影 2006年

プノンペンの大道り

トヨタ・レキサスを頻繁に見かける。これで金持ちも多いに違いないことがわかる。

写真 筆者撮影2006年

プノンペン中央市場

プノンペン中央市場。周辺の建物が密集.
最初の訪問時に撮影。 

写真 筆者撮影2006年6月

プノンペン中央市場。

2007年撮影。

プノンペン中央市場

6年後15回目の訪問時2013年に撮影。色彩の選択を間違い、建物のボリューム感が見事に失われている。これだから、建築遺産の保存は難しい。

市内の広場

バイクと人で過密状態。夜遅くまで賑やかで騒がしそうな広場だ。

写真 筆者撮影 2006年6月

青空市場。

買い物客と野外で憩う人々。過酷なポルポト時代が終わり都市に戻った家族から沢山の子供が生まれ、若年層が圧倒的に多いカンボジャ。今は貧しいが明るい未来を楽しむ雰囲気にあふれている。        

写真 筆者撮影 2006年6月

屋台で憩う人と食材を準備する人。(右下)       

写真 筆者撮影 2006年6月

いろいろな交通手段

プノンペン・アンコールワット間、国道を猛スピードで走る。屋根上に何人も乗せた長距離ミニバスが、竹篭運搬のトラック?を追い越し中!!
カンボジア・タイ・ミャンマー・ベトナム、いずれも右側通行です。        

写真 筆者撮影 2006年6月

街中の2輪車に客席を連結した客待ちのタクシー。バイク一台有れば商売が出きる。

写真 筆者撮影 2006年6月

物品を運ぶ人々

人力でココやしを運ぶ人。

写真 筆者撮影 2006年6月

製氷所から氷のブロックを仕入れ、バイクリヤカーに移しかえる。

写真 筆者撮影 2006年6月

客待ちのバイク・タクシー。客席は快適そうだ。

写真 筆者撮影 2006年6月

ローヤル・カンボジア鉄道プノンペン駅

1932年に竣工した。内戦を経て線路や通信施設が荒廃し、現在ほとんど機能していない。

写真 筆者撮影 2006年6月

立派な始発駅の待合ホール。乗客の人影はない。ガランとした空間。

写真 筆者撮影 2006年6月

待合ホールの外にプラットホーム。ここからバンコクまで鉄路が延びていて、国際列車を走らせたら需要があるはずだが、ここにも人影はない。開店休業のようである。
その理由は、保線の状態が悪く、軌間は1000mm(JR在来線は1067mm)であり、非電化単線であるので、時速35キロぐらいしか出せないそうである。軌間が微妙に違うので、ミャンマーのように、日本の中古車を採用することも出来ない。

市民は、より便利で早い長距離バスを使うので、鉄道文化の存続が危ぶまれる。

写真 筆者撮影 2006年6月

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