プノンペン出張記 2006-2013 その #2/4

プノンペン出張記
2006-2013
その #2/4

プノンペンの都市景観

1920年代ごろの地図を見ると、フランスにより計画的に造られたこの都市は、ゆったりとした大通りに幅広の歩道に街路樹を設け、車社会以前の町並みがいかに美しかったということが想像できる。

その後、カンボジアのこの首都は、第2次世界大戦、ベトナム戦争、ポルポト時代(1975-1979)の首都破壊による「壊滅的な市街地放棄」に続けざまに襲われた。

その後2008年のリーマンショックまで約70年以上、都市の維持、発展は放棄され、1930年代の都市化石と表現してもよいような概観を呈していた。

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

筆者が訪れた2005年ごろから、プノンペンは経済活動の活発化とともに、車とバイクが爆発的に増え始め、その需要を取り込む形で不動産活動やビル建設ラッシュが訪れて始めている。

屋上屋を増設

一方で旧市街地の商業地などでは、下図のように何十年も経た古い建物に屋上屋を増設するような危険と思われる建物が多い。

写真 筆者撮影 2006年

屋上屋を増設、例・1

筆者スケッチ図 2006年

屋上屋を増設、例・2

筆者スケッチ図 2006年

屋上屋を増設、例・3

既に老朽化した家屋の上に、さらにもう一層追加、増築している。新旧、色のコントラスト。

写真 筆者撮影 2006年

市内一等地に構える政府高官の邸宅。

写真 筆者撮影 2006年

浸水に悩まされつづけるプノンペン市街地。

写真 筆者撮影 2006年

日本政府援助による市街地排水改良計画

街なかを歩いていると、目立つ処にこの看板を見つけて即撮影。

これらの下水管や排水溝の工事は、完工すれば土で埋め戻され、新しく舗装され、あたかも何事もなかったように完成となる。完成したインフラは、現地の人々の保健衛生に貢献し、生活環境を向上させる。

華々しいホテル、オフィスビル、高級マンションなどの建造物は都市に視覚的なアッピールを与えるのに効果的だが、この写真のような、目に見えないインフラをしっかりさせることが、重要なのだと考えさせる。

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

訪問を断念する

プノンペンには、まだジェトロが無かったころだ。プノンペンの目抜き通りにあったJICAの事務所に、この国に関する資料を貰いに行った。

事務所建物は、2M以上の塀で囲われていて、鉄格子で人が一人しか入れないような入り口があるのみで、近づりがたい。二階の窓にも厳重な格子窓!訪れを断念!

写真 筆者撮影 2006年

カンボジアナ・ホテル

プノンペンの一等地、王宮に近くメコン川に面した好立地の国際級ホテル。
数回にわたって宿泊した。このホテルの良いところは、なんと言ってもメコン川の川岸が手に取れるような位置にあることである。宿泊者は、欧米人が多いホテルだ。

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

写真 筆者撮影 2006年

メコン川に直接面してプールが設けられている。

写真 筆者撮影 2006年

メコン河畔でなにやら改良工事をしているようだ。

写真 筆者撮影 2006年

リーマン・ショック直前の不動産開発

2006年、プノンペン市の周辺で行なわれていた韓国系デベロッパーの工事現場。

写真 筆者撮影 2008年

2008年にリーマン・ショックが勃発した。

カンボジアのデベロッパーにも甚大な影響を及ぼした。
分譲住宅は売れなくなり、この韓国企業も現場を放棄し、夜逃げするようにカンボジアを去った。
すでに支払いの一部を入金していたオーナーは泣き寝入りとなった。

写真 筆者撮影 2008年

写真 筆者撮影 2008年

リーマン・ショック後の建築ブーム

リーマン・ショック後暫く経った2013年になると、プノンペン市街に再度の建築ブームが起こっていた。下写真は、対岸のニュータウンに続々と建設されるホテルやコンドミニアム。

2013年筆者撮影。

カンボジアの日本橋

歴史を紐解くと、この橋「Chroy Changva Bridge」は日本の協力で1966年に完成したもことがわかった。
プノンペン市の中心部からやや北側に位置し、700m巾のトンレサップ川に架かる重要な国道橋である。
内戦当時の1972年ごろ、べトコンの自爆テロにより破壊された。      

写真 ウイキペディアより

このカンボジアにとって重要な橋は、壊れたままで放置されていたが、日本の援助により、1994年になって、カンボジア・日本の友好の橋(Cambodian-Japanese Friendship Bridge)として再建された。 現地人は親しみを込めて、「Japanese Bridge」と呼んでいる。 

続いて対岸では、やはり日本の無償協力によって修復された、アンコールワットからタイ国境に通じる道路の一部分、国道6A号線が繋がっている。
カンボジアの大動脈となったこの橋1本と道路1本がカンボジアを大きく変えた。プノンペン市民と対岸の村人とが頻繁に往来、経済活動が活発になったのである。治安はすっかり良くなり、ベッド・タウンとなった村には多くの市民が移り住んだ。この国道6A号の10kmほど先に筆者の関わったニュウタウン計画の敷地があった。

筆者が2013年に再び訪れた時には、それに平行して建設中の中国企業による追加橋梁工事が進行中であった。すでに日本企業によって地質調査は終わり、データ蓄積があるので、後発の中国建設会社は、それをコピーすれば楽である。

完成記念の中華風モニュメントが出来れば、二つの橋があたかも中国企業が造った様になるだろう。

写真 筆者撮影 2013年

プノンペンの波止場の奥、市街地中心に出現した2つのオフィスタワー。

トンレサップ川対岸より 写真 筆者撮影 2013年

市街中心地のセントラルマーケットの近くに、新しく立ち上がった2棟のオフィスビル。

写真 筆者撮影 2013年

ブティックホテルが出現

2013年に再訪した時に宿泊した新しいプチホテルの入り口。プノンペンにもこんなトレンディーな宿泊施設が、出現中。

写真 筆者撮影 2013年

屋上プール。小さいがトレンディーな宿泊施設も出来つつあった。

写真 筆者撮影 2013年

屋上からの町の風景。

写真 筆者撮影 2013年

カンボジアへの出張も15回になったころ、シンガポールの知人からカジノのある豪華(?)ホテルを勧められ、予約をしてもらった。それが後述のホテルである。

ナガワールド(カジノ)とナガワールド・ホテル

ホテルは、カンボジア独立記念塔のあるプロムナードに面した位置にある。プロムナードをはさんで北側にはカンボジアナ・ホテルがある。隣の角地には仏教協会があり、その南側に国会議事堂、外務省、環境省などの国家の官庁や大使館などがある。

このナガワールド(カジノ)の位置を想像してみてほしい。東京で言えば、霞ヶ関の官庁街の目立つ一等地にカジノが、デンと構えているようではないか??こんな都市計画をしても良いのだろうか??

写真 筆者撮影 2013年

カジノの隣りは官庁街になっている。

写真 筆者撮影 2013年

部屋から見えるメコン川本流。さらに客室棟を増築しているようだ。

写真 筆者撮影 2013年

客室からカジノ階に下りてゆく。

写真 筆者撮影 2013年

ここがカジノの入り口の様だ。

写真 筆者撮影 2013年

入場し、かまわず写真を撮る。カジノ遊戯場の女性従業員が、スットンデ来た。写真は禁止だという。(それは知っていた) お詫びをして、すぐそとに出た。

写真 筆者撮影 2013年

朝食に、このレストランに入った(下)。客のほとんどが、他所では見かけることが無い大陸からの中国人の様で、話し声が大きく、落ち着かない。多分昨夜の賭け事の話をしているのだろう。中には椅子にアグラをかいている輩もいた。こうして、場違いなホテルに泊まったことを後悔した。

写真 筆者撮影 2013年

ナガワールド・ホテルの客室。広さはたっぷりであるが、デザインは数十年前の香港の5星ホテルの内装をコピーしたような感じがして、そのため落ち着かない。

写真 筆者撮影 2013年

写真 筆者撮影 2006ー2013

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