ロンドンとオックスフォード 1998

ロンドン と オックスフォード
1998

ロンドン

新期の顧客となった英国のWelcome Break社から, シンガポール・ロンドンの往復ビジネスクラスの航空券を貰い、1998年に2度ほど視察と打ち合わせで英国を訪れる機会を得た。今まで100回以上のアジア諸国間の空の移動は、ジャカルタ・バリ間とシンガポール・台北間、各一往復を除いて、常にエコノミークラスであったので、今回の14時間の旅は、今までとはまったく異なる空の旅となった。

ビジネスクラスの選択理由は、ロンドン到着後すぐに、時差ぼけなしに打ち合わせ体制に入ることが出来るための配慮であった。

ヒースロー空港のホテル

予約されたホテルには、夜9時ごろチェックインし、すぐに爆睡となった。

朝起きてみると窓の外に英国らしい風景があった。時差ぼけもなく体調は万全なようだ。

ヒースロー空港のホテル,  客室からの眺め。 
写真1998年 筆者撮影

部屋の内装とデザインは、なぜか発展途上国仕様であった。
しかし熟睡が最重要なので、内装には関係ないことだ。

写真1998年 筆者撮影

写真1998年 筆者撮影

フル・ブレークファスト

フル・ブレークファスト(Full breakfast)は、イギリスの伝統的な朝食であることを聞いていたので、階下でそれを注文して、Welcome Break社からの迎えの人を待つことにした。 

(ベーコン・ハム、ソーセージ、目玉焼き、ブラックプディング、ホワイトプディング、油で炒めたトマト、マッシュルームのソテー、トースト。)
写真1998年 筆者撮影

フル・ブレークファストが終わりかけた頃、顧客であるWelcome Break社の出迎えの人が、食堂に来た。挨拶のあとの彼のコメントは、日本人がフル・ブレークファストを平らげつつあるので、それに驚いたとのことだった.

確かに、フランス人やイタリア・スペイン人などラテン系の人達は、朝早くからこんなに食べることはめったに無い。彼らは、コーヒーとバゲットだけのコンチネンタル・ブレークファストだ。筆者の朝食も普段はいつもラテン風だ。

ロンドン市内の宿。

リージェント公園近くにあるヒルトン系のホテルが、顧客により用意された。

夕食後、夜になってリージェントパークの周辺を散歩することにした、公園の周辺は薄暗く店舗はみな閉まっていた。さらに行くと一軒だけ灯かりを灯した店があった。薄暗い雑貨屋さんで、中に入ると南アジア系の店主が居て、いきなりインドに来たような感じがして、違和感を覚えた。
なるほど、これが移民の多い国際都市ロンドンの一面をなしているのであった。
ビールを買いホテルに戻った。

ミルトン・キーンズ

2回目の英国訪問では、ロンドンへの出迎えはなく、Welcome Break社の事務所があるロンドン近郊の衛星都市、ミルトン・キーンズまで自前で列車に乗り出かけた。
ミルトン・キーンズは、戦後、世界の建築・都市計画家の関心を集めた先進衛星都市であり、大学の西洋建築史の教材にも載っていたので、関心のある地名であった。

大規模な新都市ミルトン・キーンズの設計の特徴は、約1キロ間隔で幹線道路が設置されたグリッドシステムにあり、広幅員の道路が走り、交差点は大規模なロータリーになっている。自動車の使用を前提とした大規模開発であるが、既存の農村集落をそのまま取り込んでおり、運河が住宅地まで入り込む街区や、多数の里山的公園等で、伝統的地域環境を保全していることも特徴である。

仕事が終了しロンドンを散策

オックスフォード・ロードを歩きマーク・アンド・スペンサー百貨店を見学し、リージェント・ストリートでブテイックなどのショーウインドーを見ながらから、ピカデリー・サーカスに至った。

その足で、ウエストエンド地区に行ってみた。

写真1998年 筆者撮影

リバティ百貨店

ロンドンの中心部、ウエストエンド地区、グレート・マルボロ・ストリートにある老舗百貨店「Liberty」。テューダー・リバイバル様式の建築物としては、ロンドンで最も代表的なものの一つである。1924年に建てられたもので、その材木はイギリス海軍の2隻の艦艇に使われていたものをリサイクルしているそうだ。先駆的な資源再利用建築である。

写真1998年 筆者撮影

「Liberty」の看板。

写真1998年 筆者撮影

Shakespeare’s Head

Shakespeare’s Head, Great Marlborough Street, Soho ピカデリー・サーカスから500m。

写真1998年 筆者撮影

歴然とした階級社会であったかつてのイギリスにおいては、パブの内部は二つ以上に分けられていたそうだ。労働者階級用の空間(パブリック・バー)と中流階級以上の客のための空間(サルーン・バー)は区切られていて入り口も別につけられていた。すごい階級社会だったのだ。現在ではこうした区別は廃止されている。

思い起こすと、筆者が1968年、30年前にロンドンを訪れた時期には、まだ階級意識が残っていて、単身のアジア系の旅行者がパブにふらりと入れる雰囲気ではなかった。また地元の女性の利用者も極めて少なく、店内は男共だけがたむろしていた。

今では、仕事を終えた男女の溜まり場の様な雰囲気に変わっていて、英国版高級居酒屋的な感じに変貌していた。筆者はこういう異国の雰囲気の中、一人ぼっちでポツンと誰と会話をすることもなく、周囲のにぎやかな談笑を聞きながら、カウンターで好きなエールを注文することに幸せを感じていた。

Shakespeare’s Headの内部。

写真1998年 筆者撮影

写真1998年 筆者撮影

エール

ヨーロッパ大陸のドイツのビヤホールで主流であるピルセンビールとは異なり、英国のパブには「エール」が種類もいろいろ豊富に備えられている。

写真1998年 筆者撮影

ベーカー街

街路の名は、18世紀に通りを敷設した建築家のウィリアム・ベーカーに因む。イギリスの小説家コナン・ドイルの著作で、ベーカー街に居住したと設定されている架空の名探偵シャーロック・ホームズと関わりの深い通りとして有名である。元来は高級住宅地だったが、現在は主に商業施設が立ち並ぶ。

ホームズは19世紀末、ハドソン夫人の経営するこの下宿で、ホームズの友人で伝記作家のワトソン医師と、同居をしていた場所でもある。

ロンドンでは、英国留学中であった筆者事務所の元スタッフと面会することとなった。その落ち合う場所は筆者がもっともロンドンらしいとするベーカー街とした。

大学の街オックスフォード

オックスフォードに着いて、まず先に書店で古地図を購入。街割が中世っぽい。

写真1998年 筆者撮影

11世紀の末に大学の礎が築かれていることから、現存する大学としては世界で3番目に古い。英語圏では最古の総合大学である。また、各種の世界大学ランキングで1位の大学に選ばれている。

オックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジ (Christ Church)

オックスフォードの街を散策中に、たまたま撮影したのが、オックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジ(Christ Church)だった。

あとで調べてみると、オックスフォード大学の最大かつ伝統あるカレッジとして知られ、全部で13人のイギリス首相は、クライスト・チャーチ・カレッジの卒業生だ。

写真1998年 筆者撮影

オックスフォード中心部の地図。
下にクライスト・チャーチ・カレッジ、上にThe White Horse

パブの街オックスフォード

オックスフォードは、大学の街であると同時に、パブの街でもある。街中にある一つひとつのパブには隠れた歴史や逸話が、沢山ありそうだ。

The White Horse   ホワイト・ホース

下写真は、目抜き通りの一つである、ブロード・ストリート。
右側に立つ堂々たる石造りの建物群はオックスフォード大学の諸施設である。
それとは対照的に、対面の左側の建物にはパブや各種商店がある。
その並びにホワイト・ホースがあり、筆者は一見の客としてその店に入った。
後にわかったことは、ここが数々のドラマや映画のロケ地として使われている名店であったことである。

小さな店構えのパブで、屈み込むようにして入り口から店内に入る。店内は妙に薄暗く、天井が低い。16世紀にまでさかのぼるという歴史的建築物に入ったこのパブは、18世紀ごろから「ホワイト・ホース」との名で人々に認知されるようになった。

お勧めは、醸造所が同店のためだけにつくったという、店名から取ったその名もホワイト・ホース。リッチで幸福感が高まる飲み物だ。
そしてその名はエール、一人でエールを友に乾杯 !!!

オックスフォードのパブ、 ホワイト・ホース。ここで注文したフィッシュ・アンド・チップは、新鮮なタラを揚げたもので、美味で、本物発見ここに有りであった。飲み物のエールともよくマッチ。フィッシュ・アンド・チップをバカにしてはいけない。ということをオックスフォードで学んだ。

写真1998年 筆者撮影

オックスフォード滞在は、短期間であったが、嗅覚を利用し、うまく2つの名所を探し当てることが出来たので、以上に記しました。

霧のイングランド郊外

仕事の現場から他の現場に移動中に見た霧の中の樹木たち。

写真1998年 筆者撮影

写真1998年 筆者撮影

霧の中の樹木

写真1998年 筆者撮影

郊外のイングリッシュパブ

英国ではどの小さい村にもパブがある。ここに入れば人生の楽しみを味わうことが出来るので、地元民にとって必須な施設である。

写真1998年 筆者撮影

写真1998年 筆者撮影

写真1998年 筆者撮影

農機具の保管小屋か

写真1998年 筆者撮影

イギリス内陸の旅から、またロンドンに戻った。次の目的地はパリである。

ザ・ レオナルド ホテル・マーブル アーチ
(The Leonard Hotel – Marble Arch)

18世紀のタウンハウスをブティックホテルに改装した、ロンドンのザ・レオナルド・ホテル。ホテルというより個人邸宅のような宿泊施設である。

ホテル前に待機する宿泊者向けのレトロな英国車。

写真1998年 筆者撮影

筆者が1968年にフランスのカレーから連絡線でドーバー海峡を渡り、始めてロンドンを訪れた時は、この様な施設は場違い感があり、入るのに気後れがしたものだった。あれから30年が経ち、このようなホテルにチェックインすることが出来、感慨深く思った。

写真1998年 筆者撮影

暖炉と誰かの肖像画。

写真1998年 筆者撮影

ホテルの近くでロンドンタクシーを拾い、ユーロスターの当時の出発駅であるウオータールー国際駅に向かった。簡単な出国審査があり、パリに向かって出発となった。                                                  

写真 筆者撮影 1998

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