ENG | JAP
ヨーロッパ周遊
4ヶ月 #4/9
1968年
夜行の国際列車で頻繁に国境超えをする
8月12日から8月17日までの移動で列車中6泊
ローマ>トリノ>ミラノ>ルクセンブルグ>コブレンツ>ウイーン>チューリッヒ>ベリンゾーナ>パリ>バルセロナ
8月12日
ローマ23;33発>列車中泊⑥>8月13日 トリノ8;30着・13;30発>ミラノ
8月13日
トリノ。マダマ パレス、兵器博物館、エマニュエル・モニュメント。13;30トリノ発。
ミラノ。ドゥオモ、スカラ座、フォルツェスコ城。
8月13日
22;50ミラノ発。>列車中泊⑦>8月14日 ルクセンブルグ9;56着
8月14日 車中アメリカ人夫妻と一緒になる。。両替50ドル。10;07ルクセンブルグ発。12;14コブレンツ着。ボン周遊、大学、市立公会堂。22;34コブレンツ発。
8月14日 コブレンツ22;34発>列車中泊⑧>8月15日 ウイーン 10;00ごろ着
8月15日 ウイーン 。雨。日本からの図学の大学教授に会う。大学見学に行くも、カトリックの祭日のため、目的を果たせず。大学食堂でごちそうになる。サン・ステファン聖堂をみたあと、ドナウ川を見に行く。面白いつり橋。
8月15日 ウイーン20;20発>列車中泊⑨>8月16日 チューリッヒ 8;30着
8月16日 チューリッヒ 。近代美術館、カテドラル。13;10チュリッヒ発。15;50ベリンゾーナ発。18;45ロカルノ発。19;20発ベリンゾーナ。
8月16日 ベリンゾーナ19;20発>列車中泊⑩>8月17日 パリ8;00ごろ着
8月17日 ルーブル博物館。。
8月17日 パリ20;50発>列車中泊⑪>8月18日 バルセロナ 14;00着
パリからバルセロナまでは17時間10分の長旅であった。
バルセロナ
8月18日 バルセロナ サグラダファミリア、カタルーニャ広場、サンタ・マリア号、コロンブスの塔。ワインと海産物・美味。
サグラダ・ファミリア, 世界遺産
スペインの誇る世界的な建築家、アント二オ・ガウディによる建設中の大聖堂サグラダ・ファミリアを観に行った。その場所は碁盤の目状に区画された市内の普通の一角にあった。
建物前面のディテールを観察すると、この聖堂が既存のものとは一線を画し、無機質なデザインではなく、有機的ともいえる表情を醸し出し、それを主張ている。

建築工事中のサグラダ・ファミリア, 1968年8月18日 筆者撮影
この創造物は、建築といえるのか? 彫刻といえるのか?

建築工事中のサグラダ・ファミリア, 1968年8月18日 筆者撮影
帆船サンタマリア号
バルセロナの港湾地区に行ってみた。クリストファー・コロンブスが、1942年初の大西洋横断航海のときに使った帆船サンタマリア号が停泊していた。
マス・ツーリズムが始まる遥か前のバルセロナは、人流は少なく、どこも並ばずに入れました。この歴史的に重要な船の甲板も子供の遊び場になっています。

帆船サンタマリア号, 1968年8月18日 筆者撮影
8月18日 バルセロナ20;15発>列車中泊⑫>8月19日 ヴァレンシア7;50着
8月19日 ヴァレンシア。 カテドラル、海鮮市場、なごやかな港。日本から来た学生に会う。
8月19日 ヴァレンシア20;00発>列車中泊⑬>8月20日 コルドバ10;00着
コルドバ Córdoba
8月20日 コルドバ 。カテドラル、ポンテ・ロマーノ、白壁のまぶしい古い町。
ポンテ・ロマーノ

コルドバ ポンテ・ロマーノ
1968年8月20日 筆者撮影

コルドバ ポンテ・ロマーノ
1968年8月20日 筆者撮影
メスキータ 世界遺産
784年に建設が始められたモスク。10世紀まで拡張が続き、レコンキスタ後はキリスト教の聖堂として再利用されている。

コルドバ メスキータ, 1968年8月20日 筆者撮影

コルドバ メスキータ, 1968年8月20日 筆者撮影

コルドバ メスキータ, 1968年8月20日 筆者撮影
セビリア
8月21日 セビリア17;00着1泊。カカテドラル、ジラルダの塔。トーレ・デ・オーロ。セビリア14;29発。カーデス17;35着。町を一回り。カーデス21;25発。
セビリアはスペイン南部,アンダルシア自治州の州都。グアダルキビル川河口から約80kmにある港湾都市。アンダルシア平原の商工業の中心地。過っては、712年イスラム支配期に重要な商業都市となり,12世紀ムワッヒド朝の首都。1248年カスティリャ王が占領し,15世紀末から16世紀には新大陸貿易で繁栄した。
ヒラルダの塔 世界遺産
12世紀のヒラルダの塔は、かつてはモスクのミナレットであったが、今は大聖堂の鐘樓となっている。ヒラルダの塔の建築様式は、紛れもなくイスラム建築の様式そのものであり、今日でもキリスト教の聖堂の鐘楼として使われている。

セビリア ジラルダの塔。 1968年8月21日 筆者撮影

1968年8月21日 筆者撮影
トーレ・デル・オーロ(Torre del Oro)
セビリア・グアダルキビル川左岸にある12角形の監視塔。この川の港に向かう船舶の監視をおこなっていた。世界遺産

グアダルキビル川 監視塔, 1968年8月21日 筆者撮影
8月21日 カーデス21;25発>列車中泊⑭>8月22日 マドリッド9;00着
8月22日 マドリッド12;30発の列車でトレドへ14;00着。
トレド
カテドラル、グレコの家、アルカサ-ル。
列車でトレド18;50発。アメリカ海軍のギリシャ駐在の妻と車中で、おしゃべり。マドリッド21;00着。
トレドの変遷
ローマ帝国時代の天然の要塞都市 >> 6世紀に西ゴート王国の首都 >> 8世紀〜11世紀にはイスラム勢力のウマイヤ朝の支配下 >> レコンキスタ(再征服運動)でキリスト教国のカスティーリャ王国の首都 >> 現在に至る
上の様な歴史的背景から、キリスト教とイスラム教、ユダヤ教の文化が共存する独自の文化が育まれてきた。

トレドの遠景, 1968年8月22日 筆者撮影
要塞都市トレドの城門

要塞都市トレドの城門, 1968年8月22日 筆者撮影

要塞都市トレドの城門, 1968年8月22日 筆者撮影

要塞都市トレドの城門内, 1968年8月22日 筆者撮影
エル・グレコの家 Casa de El Greco
ギリシャ・クレタ島出身の エル・グレコは36歳でトレドに移り住み、宮廷画家として生涯を過ごした。ここは彼が住んでいた地区の廃墟を、20世紀初めにグレコの家として改装したもの。木製のベランダと軒下に特徴がある。

トレドのエル・グレコの家
1968年8月22日 筆者撮影
8月22日 列車でトレド18;50発。アメリカ海軍のギリシャ駐在の妻と車中で、おしゃべり。マドリッド21;00着。
8月23日 マドリッド。プラド美術館、 JAL川島氏ロンドン出張のため会えず。Waldy氏に電話。
8月23日 マドリッド22;15発>列車中泊⑮>8月24日 グラナダ 9;00着
グラナダ
アルハンブラ宮殿。 世界遺産
アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味する。
宮殿と同時に城塞の造りのなっていて、その中にモスク、住居、政庁、軍宿舎、馬屋、学校、浴場、庭園といった様々な施設を備えている。
ここはスルタンの居所であるとともに、数千人が居住する城塞都市でもあったのだ

2013年11月に再びアルハンブラを訪れた時は、沢山の旅行者で溢れていたが、1968年当時は、この世界一級の建築遺産を訪れる人は少なかった。

グラナダ・アルハンブラ宮殿, 1968年8月24日 筆者ガイド撮影
8月24日グラナダ17;30発。>列車中泊⑯>8月25日マドリッド9;00着
8月25日 マドリッド 9;00着、乗換え13;05サラゴサ着。17;50サラゴサ発、急行タルゴで 22;00バルセロナ着、一泊。
バルセロナ・ガウディの建築 世界遺産
8月26日 バルセロナ グエル公園、ガウディのアパート建築、港近くのバザールで、買い物を試みるが目的達せず。
アントニオ・ガウディ作、グエル公園 世界遺産

バルセロナ・グエル公園, 1968年8月26日 筆者撮影
8月26日 バルセロナ19;15発、23;45セレブレ発>列車中泊⑰>8月27日リヨン7;21着
8月27日 リヨン7;21着、St Juan Hotel de Ville。リヨン10;02発、ジュネーブ12;18着、Palais de Nacion, Union de profesional ジュネーブ18;18発。ローザンヌ0;59発。