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インド紀行 1989
#12/26
ヴァナラシ・1
ヴァナラシ
ヴァナラシは、インド最大の宗教都市であり、ヒンドゥー教の一大聖地として、インド国内外から多くの信者、巡礼者、観光客が集まる一大都市だ。
ヒマラヤ山脈に水源を持ち、ヒンドスタン平原を流れるガンジス河は、全長約2500kmを流れて、ベンガル湾に注ぐ大河である。その流域の中で、唯一北方向に流れの向きを変えている場所が、ここヴァナラシ付近である。
川が北進する西岸の河岸段丘上に、ヴァナラシが位置する。
その正面が日の出の方角となる。このような東向き場所は、ガンジス河流域で唯一稀有な立地と言うことが出来る。

ホテルからガンジス河まで
昨夜(1989年2月10日)国内航空でカジュラホがら、ヴァナラシに着き、夕方ホテル・タジ・ガンジスにチェックインした。小ぶりで、簡素なホテルであったが、経営がタジグループであったので、安心であった。

ホテル・タジ・ガンジス 1989年 筆者撮影
ホテルから現地のガイドの案内で、ヴァナラシの街を横断しガンジス河(ガンガ)に向かう。
途中の大通りには、下写真の様な柵で道路が二つに分割されている。聞くところによると、どちらか一方が、混雑防止のための団体巡礼者専用ということであった。インドの多くの人々は一生に一度、この巡礼路を歩くことを夢と考えている。

ヴァナラシのメインストリート 1989年 筆者撮影
ガンガに向かう道路の日の出まえ。

1989年 筆者撮影
大荷物を運搬し、ガンガに向かう人力車の群れ。

1989年 筆者撮影
早朝、家族連れを乗せて沢山の人力車の集団がガンガ方面に向かう。

1989年 筆者撮影
大きなドラム缶を頭に載せ運ぶ女性や、客待ちの人力車が道に溢れる。

1989年 筆者撮影
この屋台のおばさんは、鉄板の上で売り物のチャパティ焼きを準備中。

筆者撮影 1989年
ガンガの西岸に、ガートと呼ばれる下図のような階段状の沐浴場が、南側6キロ位にわたって続く。北端(スケッチの右端)には、この地の原点・基点としての火葬場がある。年中多数の遺体が荼毘に付され煙が絶えることがない。
遺灰はガートの北側、すなわちガンジス河の下流方向に流される。ヴァナラシは、これをもってインド最大の巡礼都市、そして最大の宗教都市となった。
つまり「火葬場無くしてヴァナラシなし」という事だ。

筆者作図
ガンジス河(ガンガ)に面した河岸段丘の上には、インド各地の藩王(マハラジャ)によって競って建てられた大きな邸宅群がある。その真下に階段状のガートがあり、川岸で沐浴が出来るように造られている。また、東面した全ての窓から川越しに日の出を見ることが出来るようになっている。

筆者作図
ガートの様子。
ヴァナラシの喧騒の市街地が途切れ、ガンジス河(ガンガ)に面した河岸段丘の上に着いた。朝6 時ごろであったであろうか。いきなり視界が広がり、正面に姿をあらわすガンガ。対岸から日が昇る時間までもう少しだ。

筆者撮影 1989年
日の出まぎわのガンジス川のガート
早朝でまだ沐浴者の数はない。まだ肌寒い静寂な朝だ。

筆者撮影 1989年

1989年 筆者撮影
ガンガのガートの水際に到着し、早速日の出を拝する巡礼者たち。

1989年 筆者撮影
1989年 筆者撮影
ガンガの水際には、漂流するゴミが多い。そして客待ちする遊覧用のボートも沢山待機。さらにその間を縫って沐浴の準備をする人々。

1989年 筆者撮影
われる物売りのボートがすでに客待ちしていた。売り物は銅製の壷に入ったガンジスの聖水であろうか。後ほど2つ買うことにした。これは、良く考えられた商売だ。ここ船上で売られている聖水は、外国人向けの小壷であるが、インド各地からの巡礼者たちは、大量のガンガの聖水を持ち帰り、故郷で待っている人達に分配することが名誉とされる。

1989年 筆者撮影
岸辺から離れつつあるボートから、ガートを写す。ガートはまだ閑散の状態で、階段や建物が良く見える。

1989年 筆者撮影
そのうち沐浴する人が増えて来る。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
朝日に向かって沐浴する。

1989年 筆者撮影
ガンジス川の中流になると、上流からの汚染水により、バクテリアや細菌の宝庫となる。現地の人達は、免疫を獲得し、病気を心配していないようだ。
もし「自分探し」の日本人が、ここでインド人をまねて沐浴の行為を行った場合、健康に問題が出て、体を壊す人が出る。

1989年 筆者撮影
ヴァナラシのガートは、混沌のインドを象徴する場所でもある。火を起こし鉄板の上でチャパティ(インド風のパン)を作っている中年のお母さん。その隣で子供が、我慢できずオシッコやウンチを垂れ流している。近くでおじさんが、歯を磨いたり、うがいなどをしている。
こうした混沌とした風景を、まわりのみんなは許容しているようだ。そのような行為を、自分たちにとっても日常生活の普通なこととしで、気にしていないようである。まさに聖と俗、混在。

1989年 筆者撮影
もうこの部分のガートでは、沐浴が密な状態になり、多数の人々が沐浴の順番待ちになっている。

1989年 筆者撮影
火葬場の近く
ヴァラナシのガンガ近くで死んだ者は、輪廻から解脱できると考えられている。このためインド各地から多い日は100 体近い遺体が運び込まれるそうだ。
遺体は、金糸などの布にくるまれて来るという。 また、インド中からはるばるこの聖地に巡礼し集まり、ひたすら死を待つ人々もいるという。
火葬場では交代勤務で約 650 人が働いているという。
死者はここでガンガに浸されたのちにガートの火葬場で荼毘に付され、遺灰はガンガーへ流される。ここには聖なる火と呼ばれる種火が焚かれ、人々はこの火より火葬にする火種をもらう。
「ヴァナラシが火葬場のために存在するのである」
火葬場がヴァナラシがのために存在するのではない。
一連のガートの北側の端に行くと、沢山の人が火葬に従事しているようだ。
ガイドの人に案内してもらって近くへ行った。焼かれている体から足が外にはみ出していて、そこは自分の肉体の油で燃えている。撮影は厳格に禁じられているので、写真はない。

1989年 筆者撮影
遺体を火葬するのに使用する薪が、無造作に積み上げられている。
下の壁に着いている黄褐色のものは、乾燥中の牛糞。良いエコ燃料だ。

1989年 筆者撮影
広々とした階段状のガート。早朝は人の密度は低いが、訪問者が帰るころになると、人の密度が高まり、沢山の物乞いがかたまりとなって、出口である階段上部に集まる。多分100人以上はいるであろう。密集した物乞いの集団を通り抜けるのは大変だ。ガイドさんは、我々のためにパイサ・コイン(ルピーの下の単位)を沢山容易済みで、並んでいる人々にまんべんなく配って、その場をしのぎ脱出となった。

1989年 筆者撮影
インドの街は、どこでも人で溢れている。特にこのヴァナラシはそうだ。
ガンガの帰り、昼間の光景。

写真 筆者撮影 1989年2月10日