バンコク #1/2 1969-1978年

バンコク #1/2
1969~78 年

初めてのバンコク 1969年

シンガポールに仕事で駐在することが決まり、その際の経由地、バンコクに始めて飛来した。飛行機が着陸態勢に入ると、見渡す限りの水田平野と、沢山の椰子の木が見えてきた。久しぶりに見る熱帯特有ののランドスケープで、心が昂ぶった。(1969年2月13日)(写真下6枚)

バンコク周辺の肥沃な平野, 1969年2月 筆者撮影

1969年2月 筆者撮影

1969年2月 筆者撮影

1969年2月 筆者撮影

1969年2月 筆者撮影

1969年2月 筆者撮影

空港

空港に到着した。入国審査のカウンター周りに、濃緑の軍服を着た兵士が沢山目を光らしていた。中には銃を持った者もいて物々しい雰囲気だった。東京の会社からバンコクへ、会社の費用として米ドルの現金を携帯してきていたので、見つかれば没収の危険があったのだ。幸いにも危機はまぬがれた。当時は、ベトナム戦争の真っ最中であり、共産勢力の東南アジア諸国への南下ドミノが恐れられていて、戦場に近いバンコクは緊張状態にあったのだろう。

SEATO ( Southeast Asia Collective Defense Treaty) Manila Pact,

SEATO とは、米、英、仏、豪、ニュージーランド、タイ、フィリピン、によって1954年に結成された。所謂、北大西洋条約機構(NATO)をモデルにした反共軍事同盟の東南アジア版であった。バンコクに本部があった。

筆者が バンコク、シンガポール、マニラを1969年に訪れた当時は、東南アジア諸国は、歴史、文化、言語、宗教が異なり、植民地から独立したばかりであった。これらのモザイク状の国家は、共産化の脅威にさらされていて、東南アジア諸国は不安定な国家の集まりであるとのことを実感した。

1975年には、サイゴンが北ベトナムの手に落ち、SEATO は1977年に解散した

バンコク観光・王宮

次の日、シャム王朝の王宮を訪れた。屋根瓦や護衛像の色彩の配色に衝撃を受けた。濃い緑色と濃いオレンジ色の補色のコンビネーションになっている!しかもアクセントに金色が!それらが、熱帯の強い日差しにマッチし、色彩的に均衡を保っていたのだった。

バンコク王宮の瓦屋根, 1969年2月 筆者撮影

1969年2月 筆者撮影

1969年2月 筆者撮影

1969年2月 筆者撮影

1969年2月 筆者撮影

1969年、建築中の バンコク・ドゥシットタニホテル 建築現場

さらに市内に逗留し、東京の会社の設計になる建築中のドゥシットタニホテルの現場を見に行った。建築現場の中は、整頓が悪く乱雑で、暗く、湿度がとても高かった。(写真下7枚)

ドゥシットタニホテルの建築現場,
1969年2月 筆者撮影

ドゥシットタニホテルの建築現場,
1969年2月 筆者撮影

ドゥシットタニホテルの建築現場,
1969年2月 筆者撮影

ドゥシットタニホテルの建築現場,
1969年2月 筆者撮影

ドゥシットタニホテルの建築現場,
1969年2月 筆者撮影

ドゥシットタニホテルの建築現場,
1969年2月 筆者撮影

ドゥシットタニホテルの建築現場,
1969年2月 筆者撮影

1969年 バンコクの市街地
当時はすでに日本車も街中を走っていて、家電の会社のネオン看板も沢山あった。大手建設会社も進出しはじめ、ドゥシットタニホテルの建設を請け負っていた。バンコクは、日本企業東南アジア進出の最初の拠点であった。
時は、ベトナム戦争真っ只中であり、べトコンの脅威が東南アジアで深刻だった時代だ。にもかかわらず、ホテル現場の近くには、パッポン通りという、新宿の歌舞伎町の様な一帯があり、飲み屋、マッサージパーラー、ストリップ劇場、日本人経営のバーラウンジなどで、夜は盛況を極めていた。南ベトナム派兵のアメリカ兵士が、当時のサイゴンから近場の休暇で訪れる天国でもあったわけだ。

バンコクの市街地,
1969年2月 筆者撮影

バンコクの市街地,
1969年2月 筆者撮影

バンコクの市街地,
1969年2月 筆者撮影

バンコクの市街地,
1969年2月 筆者撮影

バンコクの市街地,
1969年2月 筆者撮影

バンコクの市街地,
1969年2月 筆者撮影

1978年・開店後のドゥシットタニホテル

1978年にバンコクを訪れた時は、ドゥシットタニホテルがすでにオープンしていた。

更に3たびバンコクを訪れた時に、ドゥシットタニホテルを訪れた。ラーマ4世通りとシロム通りの角地で、正面はルンピン二公園があり、まぎれもなく一等地に出来た五星ホテルであった。

バンコク・ドゥシットタニホテル,
1978年 筆者撮影

バンコク・ドゥシットタニホテル,
1978年 筆者撮影

バンコク・ドゥシットタニホテル,
1978年 筆者撮影

バンコク・ドゥシットタニホテル 車回しのスロープ
1978年 筆者撮影

ドゥシットタニホテル・ロビー,
1978年 筆者撮影

バンコク・ドゥシットタニホテル,
1978年 筆者撮影

バンコク・ドゥシットタニホテル,
1978年 筆者撮影

1978年 筆者撮影
小象さんとホテル従業員の象使い

その後爆発的なモータリゼーションにより、広かったラーマ4世通りの真上に、巨大なコンクリートの高速道路が造られた。そのため残念なことに、借景であったルンビニ公園との繋がりが遮断された。現在では高速道路が、前面にかぶって、下のような写真のホテル正面の風景は失われた。都市の公共インフラ構築が如何に個々の既存の民間不動産の価値に、決定的で死活的な影響を及ぼすかを示す良い例の一つである。

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