香港・マカオ #2/2 1979-1981年

香港,マカオ
1979~1981年
#2/2

香港

1979年の香港島

当時の香港島中環地区のシンボルだった建物が3っつ並んでいます。右端にに1963年開業のマンダリンホテル(現マンダリンオリエンタル香港) 1つ置いて左に1963年開業で1995年に閉店した、香港ヒルトン(1969年宿泊)。

この2つのホテルと九龍側にあるぺ二ニンシュラホテルが、当時の香港のホテル御三家であった。ぺ二ニンシュラホテルの1階のラウンジは、セレブ好みのコロ二アルな雰囲気で、とてもおいしいコーヒーを飲めるので、評判が高かった。

右にマンダリンホテル(現マンダリンオリエンタル香港)左に香港ヒルトン
2つのホテルにはさまれて、中国銀行(香港)香港島の業務中心地区中環にある。

1979年 筆者撮影

香港島から九龍に向かうスターフェリー 
1979年 筆者撮影

香港島中環地区

1979年当時は、香港島の斜面に沢山の緑が繁茂している。10年後になると、前面に沢山の超高層ビルが建設され、その後この緑の斜面の風景は見られなくなった。

1979年 筆者撮影

左にマンダリンホテル(現マンダリンオリエンタル香港)

1979年の香港 筆者撮影

マンダリンホテルの前の広場で人力車  

1979年の香港 

ハイドロ船でマカオへ 1979年

今回の香港訪問を機会に、未知であったマカオを訪れることにした。マカオまで出ている船は、当時としては珍しい水中翼船であった。

  香港・マカオを結ぶ水中翼船,
1979年 筆者撮影

ホテル・リスボア

フェリーのマカオ側の船着場のすぐ近くに、ホテル・リスボアがあった。1階ではホテルの入り口近くに賭博台があり、群がる香港の有産階級やセレブで賑わっていた。行きずりの旅行客に対して監視のゆるいよき時代であった。当時のマカオはラスベガスに比べるまでもなく。小規模なカジノ都市であった。

その後、好奇心も手伝って、マカオの国境の近くまで行き、対岸の中国本土を見に行くことにした。まだ中国は鎖国状態のような時代であり、対岸には動きのない静まった農村の風景がそこに横たわっていた。そのころの中国のGDPが日本の3分の1以下の時代である。

マカオで当時唯一のカジノ・ホテルリスボア   
1979年 筆者撮影

行き違うカトリックの修道女たちが話し合っていた言葉は?
海岸沿いの大きな邸宅が連なる道路を歩いていると、数人のカトリックの修道女とすれちがった。会話が耳に入ってきた。話し合っている言葉はポルトガル語であることが容易に理解できた。今は小国になってしまったポルトガルが、この遠いアジアの一角で、まだ領地を所有している現実を耳から理解できた。

海岸沿いの大きな邸宅  1979年 筆者撮影

マカオでポルトガル料理

当時すでに、マカオの大多数の住民は、広東人で占められていた。香港では美味な広東料理を食していたので、マカオでは是非ポルトガル料理、ということになった。海辺の丘の上にポルトガル風コロニアルのしゃれた建物を見つけた。その中がレストランになっていた。
料理はエキゾチックなカレー味であった。多分このマカオへ到着する行程で、インドのゴアやマラッカの食文化が混合し、食に厚みを加えたのであろう。

ポルトガル料理店 1979年

壁にかかる絵画はリスボンの海辺の要塞

この頃は高級飲食店でもタバコが普通に吸えました。!

マカオのポルトガル料理店
 1979年 筆者撮影

スターフェリー

1980・1981年の香港

九龍半島から香港島へ。道路や鉄道の海底トンネルが出現するはるか前、スターフェリーは香港市民と外国人旅行者の便利な足であった。この大型渡し舟に乗るときは、いつも高揚した気分になったものだ。以下は1982年当時ののスターフェリー乗船の記録である。(写真下9枚)1979年筆者撮影

ビルの上に大型看板。夜の景色はさらに美しい。

六国飯店 スージー・ウオンの世界

1981年

映画スージーウオンの世界のストーリーは、アメリカ人の画家が香港に渡り、夜の世界で生計を立てていた若い香港女性と知り会い、その出会いの悲劇と愛の物語の映画である。

1961年に公開されたこの映画の舞台になったのが、香港島ワンチャイにある六国飯店の客室であった。スージーウオンは、この画家のモデルでもあった。

六国飯店内の映画の看板

筆者は、香港での大型店舗の内装設計を受注して、1980年から1981年にかけて、8回にわたって香港を訪れた。その時に逗留したホテルが、スージーウオンの六国飯店であった。

1933年開業。5階建て。当時の香港島で一番高い建物。

九龍半島のスターフェリー波止場より香港島ワンチャイ地区を望む
屋上に大きな赤いSANYOのネオン看板がある建物が六国飯店

1980年 撮影

六国飯店は戦前からの由緒あるホテルで、客室は40M2ほどある。シングルベッド4台が置ける充分な広さがあった。なるほど︕
これならば画家がスタジオとして油絵を描く快適なスペースになる。窓のサッシュは珍しくも鉄製であり、レトロ感をかもしだしていた。

食後は、食卓がマージャン卓に

ホテルの1階には中華レストランがあった。早朝からオープンしていて、点心で有名であった。いつも地元の人達で満席で、朝から活気があり、かなり騒々しい広東語が飛びかっていた。食後は、驚いたことに、食卓がマージャン卓に変貌し、勤めに行く必用のない香港のオバちゃんたちが、このレストランを社交の場にしていた。

ホテルの1階の点心レストラン食卓の灰皿にタバコ。喫煙は自由でした。 1981年

2013年の香港六国飯店

30年以上のブランクの後に香港を訪れる機会が出来た。再び六国飯店を訪れてみた。するとワンチャイ地区前面にあった海は、埋め立てにより、はるか遠くになっていた。六国飯店の建物は、下の写真の様に造り返られ、映画スージーウオンの世界は、完全に消滅していた。

六国飯店 筆者撮影2013年

筆者撮影2013年 六国飯店

追記。第二次大戦の日本統治時代、六国飯店は軍に徴用され東京酒店と改名され、軍関係の宿舎となったそうな。

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