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インド紀行 1989
#6/13
ジャイプール・2
風の宮殿 ハワー・マハル
ジャイプールはその建物の色彩から、ピンクシテイーとも呼ばれている。
朝、お日様が、斜めにあたったピンク色の建物。そして雲ひとつ無い青い空のコントラスト。この建築は独特で、ここジャイプールにしかない芸術作品だ。この城壁都市の目玉作品である。
自転車で朝風を切る初老の男性。珍しくワイシャツ姿である。

1989年 筆者撮影
窓に設けられた風通しの良いスクリーンや小窓から、宮廷の女人達は街の雑踏を眺められるが、下の市民らは彼女らを見ることが出来ないようになっている。
宮廷に仕える女性は一般社会に姿をさらすことが禁じられていたわけだ。
風の宮殿 ハワー・マハル

1989年 筆者撮影
風の宮殿ハワー・マハルを裏側からみる。建物は廊下と張り出し窓のみの、薄い壁状の造りになっている。 そこを風が横切る。

1989年 筆者撮影
ピンク色のインド砂岩。当地原産。

1989年 筆者撮影
マハラジャの宮殿 シテイパレス
ラジャスタンとムガールの二つの様式が融合した建築として有名な旧藩王の宮殿。域内には沢山の宮殿風建物がある。多くが博物館となって公開されている。

1989年 筆者撮影
建立以来1946年ごろまで、200年以上の間ジャイプール藩王の住居として、またジャイプル王国の政治の中心として機能した。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
宮殿の守衛さんは赤いターバンで、グリーンの門の補色になっている。
よいコントラストだ。

1989年 筆者撮影
ピンク系の壁に、緑色系の門構えと張り出しバルコニー。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
天文台 ヤントラ・マンディル 世界遺産
マハラジャが造った天文観測施設。シテイパレスの中にある。天体望遠鏡が出現する前の時代の様々な天体観測器がある。星占いにも利用していたという。この施設は他の宮殿伝統建築と違い、幾何学的なフォルムになっている。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
人と駱駝が共に生きる。
インドも砂漠地帯のラジャスタン州に来ると、市中でも郊外でも駱駝を普通に目にすることになる。駱駝は人間と一体になって日々の仕事をこなしている。
動物園で見る駱駝とこの地域の駱駝は、似ていて非なる生き物である。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
車道を占拠する牛たち︕
インドはお牛様の天国だ。ヒンドゥー教では、牛は神聖な生き物とされている。
ここジャィプールの道路には、いたる所に牛が徘徊している。飼い牛も野良牛もお出ましである。のろのろ動いていても、車も他の乗り物も皆よけてくれる。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
黒毛牛もいた。(下写真)。ヒンドゥー教徒は牛肉を、回教徒は豚肉を食べることは宗教上厳禁である。スーパーには牛肉や豚肉、ハム・ベーコンなどの売り場がない。
肉といえば鶏肉と羊肉に限られる。以前デリーに仕事で駐在していた知人が、シンガポールに買出しに来て、大量の冷凍牛肉をインドに持ち帰っていたのを思い出した。駐在員仲間で分け合うためだ。長期間禁断の焼肉・すきやきなど、さぞかしたのしかったであろう。
(デリーの大使館が集結する地域には、西洋料理、中華料理の店はある)

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
牛糞は貴重な燃料源だ︕
ジャイプール郊外の農村で見た風景。
右側に円筒状に積まれているものはなんだろう︖

1989年 筆者撮影
下写真のこれらは何だろう︖ 道路上から集めた牛糞を素手で草鞋状にしたものを天日に干しているところだ。このあたりは乾燥地帯で薪の入手が困難である。
この牛糞干しは、軽量で火持ちもよいので、ご飯炊き竈の理想的な燃料になる。

1989年 筆者撮影
宝石細工の職人
伝統的でシンプルな工具を使い、様々な色つき原石を加工したり研磨したりしている。昔から宮殿に納めていた技能が、現在にも受け継がれている。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
城外の人々の暮らし
農家の老夫婦?

1989年 筆者撮影
農家の庭で子供たちがゲームに熱中、牛たちは地面にうずくまる。

1989年 筆者撮影
街道の水汲み場
ジャイプールからアグラへは、乾燥した大草原の街道をひたすら車で走る。途中で眼にした共同井戸のある場所に人影を見つけた。ひと休み。そこには大きな菩提樹のようなシンボリックな木があって、その木陰で会話を試みた。

1989年 筆者撮影
突然現れた外国人旅行者に興味深々の子供たち。

1989年 筆者撮影
水汲みに来ていた女性に許可を得て写真を撮った。ベールをかぶり顔を隠しているのは既婚の女性で、他の若い女子は、素顔で写真に応じている。

1989年 筆者撮影
お別れの挨拶。
たぶんこの子の行動範囲は、この集落の数キロ以内なのであろう。外国人に遭遇することはめったに無く、ましてや東アジアからの旅行者に会うのは、初めてであったのに違いない。

以上写真すべて1989年2月 筆者撮影