インド紀行 1989 #8/26 ファテプール シクリ

インド紀行 1989
#8/13
ファテプール シクリ

1989年2月7日早朝、ラジャスタン州首都のジャィプールのマハラジャ由来のランバーパレスホテルをチェックアウトし、あらかじめ予約をしていた運転手と通訳つきのヒンドゥスタンモーター社のアンバサダー車で、ファテプールシクリをはじめて訪れることに。国道21号をひたすら205kmほど東へ走り、休憩時間を含めなければ、3時間半ほどで到着となる。

脱穀

道路は片側1車線ずつで、標高300mほどの乾燥したインド中央平原をひたすら東に伸びている。その行程で奇妙な光景に出くわした。前面道路に2mX6mのムシロのようなものが、路上に繰りかえし、ある間隔で置かれている。ムシロ上には穀物か何かを干してる様だ。ドライバーは、ムシロをよけると思いきや、その上をかまわず走行して行くではないか。

後に通訳から聞いたところ、農家が脱穀の手間を省くために、通過する車の4輪タイアを「脱穀機のかわりに使っている」との説明に妙に納得であった。

今はインドは冬の2月であり、この辺は朝の気温は10度、昼は25度前後と、とても快適だ。雨も数ヶ月は降らないので、道路もタイアも乾ききっている。車脱穀には最適な期間である。そして何度も脱穀作業を繰り返しながら、目的地ファテプールシクリに昼ごろ着いた。

しかしその後脱穀された食物はどういう流通経路をたどるのだろうか。穀物に対する衛生上の配慮はどうなっているのだろうか。こうした方法でなされた穀物や豆類などが5星ホテルのレストランに供給されてもおかしくはないだろう。

インドの国民車

ヒンドゥスタンモーター社のアンバサダー車。1980年代の英国のモリス車をモデルに、2000年代までインド製造されていた。ロンドンタクシーの様に後部座席が高いので、前面の見通しが良い。

1989年 筆者撮影

宮殿都市; ファテプール シクリ 

FATEHPUR SIKRI ユネスコ世界遺産

そのファテプールシクリの位置はアグラの西方40キロの平原にあり、約55m高低差がある1kmX3kmの赤色岩盤台地に存在している。

ファテの意味は勝利、プールは市街の意味である。16世紀の後半にアクバル皇帝により、ムガール帝国の首都として建設された。

豊臣秀吉が伏見城の普請を決意した約20年前に完工している。その後秀吉の死後、家康により1619年廃城になり、当時の伏見城は今は存在していない。
一方その後廃城になったファテプールシクリは630年を経て現存し、ユネスコ世界文化遺産になっている.

下図のように、城壁が広域を囲んでいたが、現在では鉄道が城域を貫通していて、停車場もある。その近くには、小規模の町が無秩序に形成されている。

筆者作図 1

下の筆者作図2を説明すると、この城郭は、建築計画的な観点からは、政庁であると同時に居住施設、宗教施設、そして軍事施設でもあることがわかる。
また建築のデザイン的な視点で見ると、ヒンズー教文化と回教文化のきわめて巧妙で創造的なフージョンであると言える。

その後自然からの湧き水にに頼った湖が枯渇することなり、アクバル大帝は1585年に首都をパンジャブ地方のラホールに移し、この地を時々訪問するにとどめた。

筆者作図 2

Diwan-i-Aam : Hall of Public Audience
一般聴衆用の広場

一般聴衆用の広場 1989年 筆者撮影

宝石のパビリオンと呼ばれる楼門が内外の結界となり、次の広場スペースに接続している。この楼門の内側の広場(下)で、一般聴衆の謁見が行なわれる。

広場の南西側にトルコサルタンの居住用建物とトルコ風呂がある。

1989年 筆者撮影

Diwan-i-Khas

この建物は、王の執務の場であり、同時に私的な謁見のための場であったとされる。
この建物の特徴は、陸屋根の四隅に日よけの東屋状の小ぶりのチャトリを配す。チャトリChhatri とは、文字どうりの意味は、キャノピー、傘の意味で、ムガール朝建築の特徴であり、記念碑の意味あいも兼ねている。ムガール建築のてっぺんに、好んで設けられる。

1989年 筆者撮影

下の写真は、クアラルンプールの中央駅の一部である。この建物にもムガール建築の伝播による影響でチャトリが設けられている。

巨大な柱頭をもつ中心柱

内部には、写真のような中心柱がある。36個の蛇の彫刻ブラケットが、上階の大梁を支えている。
上部には対角線状に大梁が渡っており、中央に巨大な柱頭をもつ柱で支えられた円形の台座がある。この台座からアクバルは、1階の床に座った者どもを謁見する。謁見を受ける者は1階の床に侍って、この中央のプラットフォームに座るアクバルを仰ぎ見る。
この求心的な謁見機能の構成は、アクバルを中心とする世界の秩序化の意志を具現化しているとみることができる。

1989年 筆者撮影

Anup Talao: 人工の池

アクバル宮殿の中には、木陰を作る樹木がまるで無い。この乾燥した台地には、木の生育には適していないからであろう。唯一この人工の池が宮殿に潤いを与える庭園になっていて、この宮殿のフォーカスとなっている。

中央に四角い島状の台が設けられていて、ここで歌や踊りなど宮殿のイベントなどが、昼夜執り行われていたものと、想像する。 

1989年 筆者撮影

Khawabgah complex (Dream Palace)

下写真の池AnupTalaoの北側には、アクバール帝の私的空間がある。

貴族たちとのミーティング用密室、公の書類と書籍の部屋、寝室と浴室など、様々な用途の部屋が設けられている。

1989年 筆者撮影

池の北西に、アクバール帝の私的空間の一部。

1989年 筆者撮影

Panch Mahal, パンチマハール

この複合宮殿建築内の5階建ての建物は、パンチマハールと呼ばれ個々の建物群の中で、とても際立った存在である。Chhatris(前述)とよばれる軒深い石作りの東屋風建築が、上階の5層目にそびえている。地面階から見あげると崇高感がある。そして階を登るにしたがってセットバックしているのが、この建物の特徴である。上りつめた5階から眼下の人工池や宮殿建築群を見下ろすと、マハラジャ気分を体験できる。

1989年 筆者撮影

名前は五(パンチ)層の宮殿(マハル)の意。壁がまったくなく、四周は独立柱だけで構成されているのが特徴だ。風通しに優れている。居住ではなく隣接した人工池の気化熱を利用した、納涼と遊興のための場だったと思われる。

この建物は柱と梁、そして手摺で構成されている。このオープンでのびのびとした感覚は、日本建築を思い起こさせる。

1989年 筆者撮影

五(パンチ)層の宮殿の天辺。ここはかなりの人が居た。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

天井床は、厚手の石材で構成されていて、継ぎ目に漆喰や接着剤は使用されてない。雨季に雨水が滲み出した跡があった。         

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

パンチ・マハルの最下層。

筆者が訪れたのは冬に当たる2月であったが、このような風通しのよい日陰の空間は、暑い季節にはとても心地良いことであろう。

1989年 筆者

インド赤色砂岩を、建物の部材に継続して使用しているので、統一感がある。

1989年 筆者撮影

ファテプールシクリは、イスラム征服王朝によって建てられたが、建物の詳細を良く観察すると、柱の形状、梁を支えるブラケットなど、永く受け継がれてきたヒンズー教寺院の建築手法とデザインが継承されているのが解る。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

パンチマハール上階より撮影。背後にマリヤム宮。             

1989年 筆者撮影

Jodha Bai- Mariam-uz-Zamani’s Palace: マリヤム宮

ムガール帝国の王アクバールの第三夫人の専用宮殿。
次期帝国の王Jahangirの母であり、 その次の王ShahJahanの祖母になる。
豪華な内装が施されていた。
アクバルは妻マリヤムがヒンズー教徒であることを認め、この宮殿内部にヒンズー寺院を設けることを許した。

1989年 筆者撮影

 1989年 筆者撮影

            1989年 筆者撮影

Birbal’s House:

アクバル帝お気に入りの大臣、Birbalのための邸宅。chaj asと呼ばれる日よけのための軒深い張り出し庇が四面を覆うっている。Birbalはヒンズー教徒であるので、この建物は彼向きの仕様になっている。隣接して、宮殿専用の駱駝や馬の厩舎が設けられている。 

             1989年 筆者撮影

Jama Masjid: 
金曜モスク ユネスコ世界遺産

アクバル宮殿の南西に、独立して金曜モスクがある。このジャマモスクは、ファテプールシクリの遺跡群の中でも も初期のころに造られた壮大な祈りの場である。

以下、この金曜モスクを例にして、イスラム教のモスクの建築的構成について、解説を試みました。

#1 Bulaud-Darwaza  金曜モスクの門

この巨大な広場空間への入り口楼門は、 Buland-Darwaza と呼ばれる。40メートルの高さがある。

宗教施設に入るには靴を脱ぎ、布袋状の履物に履き替えねばならない。お金を払い、モスク専用に用意された袋状の布靴に履き替えねばならない。

1989年 筆者撮影

宗教施設に入る際の劇的な効果を狙って、門の前に急勾配の巨大な階段を配している。アクバルのグジャラート地方征服を記念して建設されたという金曜モスクの門。            

1989年 筆者撮影

正面に巨大なイーワーン(後述)を備え、上部と背面には無数のチャトリ(前述)が並んでいる。 大きすぎて一枚の写真に入れきれない。赤い砂岩と白い大理石の構成が見事。黒いのはこうもりの巣か︖

             1989年 筆者撮影

半ドーム イーワーン

この形式を「チャハル・イーワーン」 (4イーワーン)という。

イーワーンは、イスラム宗教建築における半ドームでおおわれた前面開放型の空間をいう。ペルシャ古代建築起源のものである。 11世紀以降のペルシア系のモスクでは,中庭の四辺の中央にそれぞれイーワーンを配し,これらを結んでオープンな回廊をめぐらし、中庭を囲む形式が定着した。主要な入口部分のイーワーンには,特別に意匠とデザインにエネルギーが注がれている。

#2 PRAYER ROOM 

正面の建物がイーワーンを中心にした礼拝スぺ-スである。この建物の中で、メッカの方角(西方)に向けて祈祷する。

右の白い建物は、墓廟である。深い白いchaj asで覆われている。

   1989年 筆者撮影

祈祷所棟の上に、チャトリ(前述)が列をなして並んでいる。

1989年 筆者撮影

#3 TOMB 墓廟

大理石の柱と彫刻の蛇のブラケットが日よけキャノピーchajjasを支える。この柱周りの大理石の彫刻は繊細で密度が高い。

 1989年 筆者撮影

墓廟内部。仕上げの基調は、白大理石。

1989年 筆者撮影

白大理石スクリーンの木漏れ日が床に当たり、その形状パターンは刻々変化する。

1989年 筆者撮影

#4 MOUSOLEUM 霊廟

建物周囲の上のチャトリは、実用的というより装飾的な意味あいになっている。

1989年 筆者撮影

ファテプールシクリは文化遺産として、ユネスコに登録されたが、この金曜モスクは現役として今でも継続使用されている。

外へ出ると果物売りの家族が、炎天下にいた。

1989年 筆者撮影

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