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インド紀行 1989
#9/26
タジマハール・アグラ
タジマハール 世界文化遺産
タジマハールの敷地は東西約300mX南北約560mであり、入り口は南側にある。南の大楼門 (GREATGATE)を抜け、大庭園を北側に進むと、敷地の北の端でヤムナ川に面した一角の中央に白大理石の巨大な建物(墓廟)がある。その西端にはモスクがあり、東端には迎賓施設が配されている。

タジマハールは、ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンにより建設された。彼の愛妃ムムターズ・マハールの墓廟である。1632年着工、1653年竣工の21年にわたる大事業であった。墓廟は総大理石で造られていて、素材はラジャスタン州のジャイプール(前述)から運ばれ、西側のモスクや東側の迎賓施設の赤色砂岩は、ファテプールシクリ(前述)の石切り場から運ばれたといわれている。
彼女は夫の従軍先で36歳で死亡したと伝えられる。ガイド氏が、王妃は36歳までに14人の子を産んだという。信じがたいことだ。
南大楼門(GREATGATE)前で、入場券を買う。
ここは国内各地からの旅行者が、かなり多い。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
GREAT GATE を潜り抜けると、この風景が現れる。広大な庭園のはるか向うに白亜の建物があらわれる。この白亜の建物は墓廟であり、基壇の4隅に、高さ42mの4本の尖塔(ミナレット)を配して、遠近感の効果や視覚のバランスを保つ様、設計上の配慮がなされ、その効果に成功している。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
白亜の建物! 総白色大理石!

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
大理石基壇の手前で、用意された袋状のスリッパに履き替えを行う。
これは、すべての訪問者にとって必須である。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
建物正面は、5つの大小のイーワン(半ドーム)で構成されていて、プロポーションが絶妙だ。ドームの天井もすべて白亜の大理石!

四方の出隅が削られて、変形8角になっていて、そこにもイーワン(半ドーム)が設けられている。
ドームの天井もすべて緻密な細工が施された白亜の大理石!

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
青空に純白のミナレットが映える。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
建物基壇の隅に配されたミナレット。その背景にあるのは赤色砂岩の迎賓施設が(ゲストハウス)配されている。北側の基壇の下部は、赤色砂岩が使われている。
ここは北端で北側にヤムナ川が流れていて、それを一望することが出来る。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
基壇の下への導入部。下りると王妃の石棺がある。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
観覧を終えて、帰途に着く群衆。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
建築の外装に使用する天然石には各種の材料がある。その中で、白大理石は、太陽からの紫外線に も弱い素材の一つである。また空気汚染物質の化学的影響を も受けやすい素材でもある。今後永年にわたり、この廟外観の自然石の美しさを保ち続けるには、並々ならぬ努力が要ることであろう。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
見学終了し、次の目的地、アグラ市内のレッドフォートに向かう。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
シャー・ジャハーンは、タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に黒大理石で出来た自身の廟を作ろうとしたとされるが、これは実現しなかった。

アグラ・レッドフォート
ユネスコ世界文化産
上の地図にアグラのレッドフォートとタジマハールの位置関係を示す。
アクバル大帝は、この城を1565年に着工し1573年に完工させた。タジマハール着工80年前にあたる。
その後このアクバル大帝の居城は3代のシャー・ジャハーンに受け継がれた。
その後息子たちの間で後継者争いが起き、アウラングゼーブが後継者争いに勝った。
彼は父親シャー・ジャハーン(タジマハールの建立者)との後継者争い確執の結果、シャー・ジャハーンを城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジ)に幽閉してデリーに移った。
マル・シン・ゲート Amar Singh Gate
アーグラ城への観光の入口となっているアマル・シン・ゲート。
赤色砂岩造りの城壁に囲まれたアーグラ城の門であるこのゲートは、重厚でかなりの高さがあり門の内側は3重の造りで防御を固めている。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
防御門に至るスロープ。滑り止めの石畳。雨水排水のための小さな側溝もある。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
城内宮殿に至るまでに、この様な高い壁で囲まれた進入路を通り、幾つかの門を潜り抜けねばならない。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
囚われの塔
シャー・ジャハーン(タジマハールの建立者)は幽閉されたアーグラ城塞内のこの場所から、毎日自分の建てたタジマハールを遠望し、愛妃ムムターズ・マハールを偲んでいたという。
シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に対となる、自分自身の黒大理石の廟の建設を構想していたことも、想いだしていたに違いない。

シャー・ジャハーン(タジマハールの建立者)はここに幽閉された。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
一番向こうの少し突きだしている八角形が囚われの塔です。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
ヤムナ川を望むバルコニー。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
アグラのレッドフォート城は、アクバル大帝が建てた部分は赤色砂岩でできている。白大理石でできている部分はシャー・ジャハーンによるものといわれている。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
謁見の間(ディワニ・アーム)
城内の宮殿 謁見の間(ディワニ・アーム)の遠景。中央奥の皇帝の玉座がある場所は、どこから見ても、柱に隠れて見えないように設計されているという。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
白大理石の水盆!
真水が引き込まれていました。足元を洗うためのものでしょう。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
宮殿建築、足元のデザイン。
異常な仕事振り。良く気配りがなされています。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
雨水処理用の排水口に芸術品のような手仕事が施されている。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
井戸の跡?

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
前面眼下にヤムナ川が流れ、遠景には広大なヒンドスタン平原が広がる

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
ヤムナ川側の城壁。堀の跡も観察されます。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

アウラングゼーブ帝の後継者達は、各地に群雄割拠しだし、独立性を強めた藩王達を押さえることができず、ムガール帝国は弱体化していった。
アーグラ城は2度に渡ってマラータ王国の軍団に占拠され、兵達が略奪を尽くしたという。更に1803年には、イギリス軍が占拠した時には、宮殿は既に略奪されてい荒れ果てていたとのことだ。
アグラ城・城外
城の内側と外側は、風景がこんなに違います。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
アグラの旅行代理店の事務所です。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
石細工の工房

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
近くに石細工の工房がありました。アグラ城下の伝統工芸なのでしょう。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
伝統工芸、
テーブル天板のストーン・インレイの仕事をしています。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
お店のショールーム。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
お店のショールーム。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
街中で見かけた三輪タクシーに乗る2人の回教徒女性。左の人は顔にベール。右の人は全く顔が見えません。

写真 1989年2月7,8日 筆者撮影
1989年2月8日、シェラトン・アショク・アグラ ホテルをチェックアウト。13;00発、国内線で次の目的地カジュラホに向かう。

写真1989年2月7,8日 筆者撮影