リスボン旅遊 2013年10月 #1/2

リスボン旅遊
2013年10月
#1/2

シンガポール・チャンギ空港で、トルコ航空のカウンターで搭乗手続きをして、イスタンブール乗継でリスボンに向かいます。イスタンブールとの時差は5時間で、飛行時間は11時間となります。

2013年 筆者撮影

イスタンブールからリスボンへの飛行ルートです。時差は3時間で、飛行時間は5時間となります。

イスタンブール・アタテュルク空港

早朝、トルコ最大の空港イスタンブール・アタテュルク空港に着いた。ここでヨーロッパ各都市への乗り継ぎ客が多く発生し、ターミナル内はとても混雑している。迷路のような通路を通って、屋上の喫煙所にようやくたどり着いた。

そこには、大勢の喫煙者が朝日を浴びて、気持ちよさそうに憩っていた。そして筆者もその一員になった。

2013年 筆者撮影

水煙草をたしなめる人。違った文化圏に来たのを実感する。

2013年 筆者撮影

トルコ航空の機内食。エコノミークラスです。

2013年 筆者撮影

リスボン空港 Aeroporto de Lisboa

ヨーロッパの西の果てにあるリスボン空港に到着した。ヨーロッパの端に位置していて、空港の規模は、イスタンブール空港と比較すれば、地方空港なみのスケールであった。

ブラジル経由で大西洋から1968年7月に上陸して以来45年ぶりのリスボン到着となった。

2013年 筆者撮影

空港からはバスで市街地をバイパスし、15kmほどでべレム地区についた.

大きな広場に着いたら、そこには大きなポルトガルの国旗がたなびいていて、我々を迎えてくれた。金色(黄色)の球状の模様は、大航海時代の航海用具、天測儀だとのことだった。

2013年 筆者撮影

2013年 筆者撮影

飛行機に長時間積み込まれて、リスボンに至り、そこの開放的な公園が、旅行の出発点になるのはゲームチェンジとして合点である。

2013年 筆者撮影

べレム地区

べレム地区には、ベレンの塔、4月25日橋、サンタマリア教会とジェロニモ修道院など、2つの世界遺産があるので必見の地区である。

おお。路面電車が未だ現役で走っている!!

2013年 筆者撮影

4月25日橋、Ponte 25 de Abril

テージョ川の河口に架かる吊橋。全長2km。建設は1962年に始まり1966に完成した。対岸のAlmada とリスボンを結ぶ。

2013年 筆者撮影

サンフランシスコ・ベイエリア・ブリッジを施工したアメリカの建設会社によって造られた。リスボンは巨大地震の歴史があるので、設計には慎重を期したであろう。
主柱の基礎は、川の中にあり。玄武岩の岩盤に達するまでの深さは80mである。これは、世界一の深さだそうだ。
片側2車線の4車線道路が上にあり、下のデッキには1999年より橋梁を強化して、複線の鉄道が営業している。

2013年 筆者撮影

河岸の鉄道と倉庫街。港町らしい風景だ。

2013年 筆者撮影

ベレンの塔、Torre de Belém 世界遺産

リスボンの中心部から西郊10kmのテージョ川の河口に在る。

ポルトガル国王のマヌエル1世(1469~1521年)により、リスボン港の防衛とテージョ川を出入りする船の監視を目的に、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見や、マゼランの世界一周の偉業を記念して建設された。

3階建ての石造の四角い塔である。モロッコ出身の建築家が設計したこともあり、イスラム建築の影響も見られる。

2013年 筆者撮影

船の出入りを監視する目的の要塞建築である。

ベレンの塔はマヌエル様式の優美な外観を持ち、「テージョ河の貴婦人」と呼ばれていたそうだ。長い航海を終えて帰ってくる船乗りたちを優しく迎えるリスボンのシンボル的な存在でもあった。2階には船の安全を見守るマリア像がある。

2013年 筆者撮影

ベレンの塔の足元を洗う波。

2013年 筆者撮影

2013年 筆者撮影

Monument Gago Coutinho e Sacadura Cabral

最初の南大西洋横断の記念碑。ポルトガル人の航空士によって世界で始めて1922年に成し遂げられた。

2013年 筆者撮影

リスボン・リオデジャネイロ間、世界初の南大西洋横断飛行のルートマップ。

公園の歩道の石造ベンチを発見。分解が出来るようデザインされている。

2013年 筆者撮影

サンタマリア教会とジェロニモス修道院  
Mosteiro dos Jerónimos  世界遺産

サンタマリア教会

大航海時代のポルトガルの富を凝縮した歴史的建造物である。1502年にマヌエル1世もによって着工され、1511年に大部分が完成したものの、最終的な完成には300年ほどかかっている。マヌエル1世もバスコ・ダ・ガマと共に、ここに眠っている。

2013年 筆者撮影

この建築資金はバスコ・ダ・ガマたちがインド方面から持ち帰った香辛料貿易による莫大な利益によって賄われた。

2013年 筆者撮影

この建物と彫刻は、マヌエル様式の最高傑作ともいわれる。

2013年 筆者撮影

サンタマリア教会

教会は建築と彫刻が程よく融合し、その独特な優美さは、並ぶものはない。最高傑作である。

2013年 筆者撮影

2013年 筆者撮影

2013年 筆者撮影

2013年 筆者撮影

2013年 筆者撮影

細緻なステンドグラス。

2013年 筆者撮影

バスコ・ダ・ガマの死と埋葬

2013年 筆者撮影

バスコ・ダ・ガマは3回目のインドへの航海の際、ゴアで体調を崩し、1524年にコーチンで没した。コーチンの聖フランシス教会〔前述)に葬られた遺体はその後、ポルトガルに移送られ、このジェロニモス修道院の教会に葬られた。

2013年 筆者撮影

2013年 筆者撮影

2013年 筆者撮影

マヌエル様式の建築と装飾。

ポルトガル王マヌエル1世(在位:1495-1521)の治世に流行し、ポルトガルのほぼ全域に広まった。16世紀前半のポルトガルでは大航海時代に海外交易で得た利益を背景に、王室の富を誇示するかのように過剰ともいえるが、一方で繊細な装飾を施した建物が多く建てられた。

王室の勅令によってポルトガル全土の建物に適用されたマヌエル様式は、自国の航海の達成を祝福するポルトガル人全体の感情に支えられた。

ドアの周りに圧倒的な彫刻作品!

2013年 筆者撮影

窓縁の彫刻が精緻だ。

2013年 筆者撮影

左にジェロニモス修道院、右にサンタマリア教会

2013年 筆者撮影

ジェロニモス修道院

サンタマリア教会の西側に連なるのが、世界遺産・ジェロニモス修道院である。

2013年 筆者撮影

パステイス・デ・ベレン洋菓子店Casa Pastéis de Belém

リスボンの世界遺産、ジェロニモス修道院の見学を終えて、ほど近くにある1837年創業の洋菓子店老舗に来た。北から南まで、ポルトガルのどこに行っても食べられる最もポピュラーなお菓子です。

2013年 筆者撮影

パステイス・デ・ベレン、「Pastéis de Belém1837」と店の前のモザイク歩道に誇らしく刻まれていた。継続は力なり

2013年 筆者撮影

ジェロニモス修道院から伝えられたという秘伝のレシピを守って作られる、パステル・デ・ナタ(エッグタルト)はここだけの味わいだそうだ。

2013年 筆者撮影

観光客がひっきりなしに訪れている。

2013年 筆者撮影

エッグタルトは、ポルトガルでは「パステル・デ・ナタ」と呼ばれます。
ポルトガルで一番おいしい「パステル・デ・ナタ」が食べられると評判なのが、「パステイス・デ・ベレン」。

2013年 筆者撮影

持ち帰りも出来るらしい。

2013年 筆者撮影

幸いに我々一行も、幸運にも空席が有ったので、ゆっくりすることが出来た、

2013年 筆者撮影

外のパイ生地は驚くほどカリっとサクサク。400度という高温で短時間で焼き上げているため、これほどのパリパリ感が出るのだとか。そして中にはトロリとしたとろけるようなクリーム。卵アレルギーの筆者も試食したが、ほどよい甘さで、お代わりをしたくなる。

2013年 筆者撮影

アズレージョ

ポルトガル伝統の装飾タイル、「アズレージョ」で彩られた店内は、老舗らしい雰囲気で情緒満点。このポルトガル独特のデザイン壁タイルは、ブラジルや東南アジアのレトロ建築にも、富の証として頻繁に用いられた。ここリスボンでその発生源にたどり着いたわけだ。

2013年 筆者撮影

ここに来るお客さんのほとんどが注文するのが、「パステル・デ・ベレン(エッグタルト)」だそうだ。確かに皆この「パステイス・デ・ベレン」の看板商品を注文している。

2013年 筆者撮影

リスボンのべレム地区にあるジェロニモス修道院の修道女たちによって、18世紀以前に発明されたと信じられている。修道院以外でこのクリームタルトを売り出した最初の店は、この「べレム洋菓子店」(Casa Pastéis de Belém)である。

2013年 筆者撮影

洋菓子を作る道具が店内にさりげなく陳列されていた。

2013年 筆者撮影

じゅ鉄の工芸品。天井に反射する光が美しい。

2013年 筆者撮影

リスボンの路面電車。

久しぶりの現役のトラムにリスボンの街で出会った。永らく路面電車を見ることがなかったので、これが現役で動いていることに、感激した。リスボンのトラムが電車方式になったのは、1901年で、軌間は900mmの特殊軌間である。

2013年 筆者撮影

リスボンの中心市街地、歴史的街区の地下には、今では地下鉄メトロ線が縦横に走っている。しかし外国人旅行者にとって市内を周遊するには、5路線・総延長48kmのトラム ネットワークに勝るものはない。このトラムに乗ると、複雑なリスボンの地形と、坂道に連なる町並みが手に取るように理解できる。

2013年 筆者撮影

バイーロ・アルト地区Bairro Alto

Bairro Altoは、ポルトガル語で高い地区を意味する。リスボンでも古い地区で、住居と商業地区が混在する。かつては貧困階級が多く住んで居たそうだが、ファードの聴けるクラブや酒場が多く集まるようになり、現在は人気のある地区となっている。

1990年代から、バイロ・アルト住民の自家用車や救急車を除いて、車の乗り入れが禁止されることになったが、筆者が訪れた2013年には、まだ沢山の車が坂道に駐車していた。

ミゼリコルディア通り、
RUA DA MISERICORDIA

バイロ・アルトを南北に繫ぐメインストリート、ミゼリコルディア通り。
この坂のある町並みの風景は、ヨーロッパの都市の中でも独特で、歩くにつれ絵になる風景が展開する。

2013年 筆者撮影

サン・ロケ教会 
IGREJA DE SAO ROQUE

サン・ロケ教会はミゼリコルディア通りの坂道を登った、つきあたりのてっぺんに位置する。小ぶりな教会だ。日本ではフランシスコ・ザビエルが所属していたことで有名なイエズス会の教会である。

1584年には、苦難の航海を経てリスボンにたどり着いた天正遣欧使節団が、宿舎として1ヵ月間ほどこの教会に滞在したことが後で調べてわかった。サン・ロケ教会は、日本とポルトガルの交流史を語るうえで欠かせない存在であるといえる。

2013年 筆者撮影

シアード広場、Largo do Chiado

バイーロ・アルトのシアードは、古い物と新しい物が入り交じった、昔からの商業地域である。地元住民と旅行客が混在し、重要な文化地区であり、美術館や劇場を抱える。

その一角の小さい広場前に、筆者の目的地、老舗カフェ、『ア・ブラジレイラ』がある。ここは、前もって調べておいたので、難なく探し当てることが出来た。

2013年 筆者撮影

目的の「カフェ・ア・ブラジレイラ(Café A Brasileira)」は左奥に見えるテラス席の場所です。丘の中腹、ガレット通り(Rua Garrett)にある。

2013年 筆者撮影

リスボンでブラジルコーヒーで一服。

2013年 筆者撮影

カモエス広場、Praça Luís de Camões

ルア・ダ・ミゼリコルディア通り坂道の中腹に、この広場がある。その周囲に2つのブテックホテルやシックな建物があり、広場を囲んでいる。このあたりは、美しい通りと広場、文化施設、カフェや店が多い。

Le Consulat ホテル 

カモエス広場の真正面にあり、存在感がある。高層階の部屋からは、眼下にこの美しい町並みとバスコ・ダ・ガマが出航して行ったタグス川(テージョ川)の河口が目に入ることであろう。 

2013年 筆者撮影

Bairro Alto Hotel

カモエス広場ミゼリコルディア通りの角地にあるブテックホテル。壁のシックな色合いが良い。横を路面電車が通る。    

2013年 筆者撮影

Miradouro de São Pedro de Alcântara

サン・ロケ教会の裏手をしばらく歩いていると、崖の上にある高台の公園に着いた。ここからは真下に広がるリスボン中心市街地と、鉄道の終着駅を見下ろすことが出来る。

2013年 筆者撮影

São Pedro de Alcântara公園の展望台に小雨が降りだした。大屋根の鉄道の終着駅を見下ろすことが出来る。対面の丘には、サン・ジョルジェ城が、雨に曇ってかすかにみえる。

2013年 筆者撮影

1968年夏のリスボンを振り返る。

リスボンは筆者がはじめて訪れたヨーロッパの都市である。ブラジル・リオデジャネイロからクルーズ船で大西洋を渡りリスボンへ上陸した。
最初のヨーロッパの宿は、バイーロ・アルト地区の高台であった。そのバルコニーから撮った写真が残っていた。左に見えるのが、コメルシオ広場(約200メートル四方の広場)で、リスボンの基点になる場所である。〔下、1968年筆者撮影)

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