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ダッカ, バングラデシュ
2011~2014
#2/3
ダッカの建築基準と都市景観
翌日の朝、ホテルの10階のラウンジで朝食をとることになった。窓から街の中心が見渡せる北側に座った。外を見ると、なんとその風景は壮大な高層貧民街?といった感じであろうか。まず目立つのは、建てかけのビル、足場も安全囲いもない安普請のビル数棟が目に飛び込んでくる。泊まったこのホテルはコスパが良いので商人がよく利用しているホテルである。一泊朝食つき70-80ドルの値段である。
後に150ドルで朝食がつく5星ホテルに移ることにした。ダッカの一般事務職の月給の一ヶ月分以上の出費になる。外国において仕事での滞在の場合、良い睡眠と安全で良い食事が必須であるので、これは他の選択肢がないといえる。

写真 2011年 筆者撮影
建てかけのビル?それとも廃墟?

写真 2011年 筆者撮影

写真 2011年 筆者撮影

写真 2011年 筆者撮影
都心に大きな工場!
市街地中心部の超人口集中地区に、下写真のような比較的大きい古い縫製工場が存在している。地面に降りて観察してみると、前面道路は3m巾しかなく、人ごみで終日混雑している。消防車が入るのが困難で、火災が発生した場合、大惨事になることであろ。
左となりには、建築中の完成間もない100戸ほどのマンション。2013年撮影。まれに見るかなり恐ろしい都市景観である。
2012年9月には、ダッカ郊外で217人が死亡する縫製工場の大火災が起きている。盗難防止のため、避難階段に鍵がかけられていたとのことである。

その後、この工場ビルは取り壊しになるとのことである。
写真 2,011年 筆者撮影
裏街のお店
一般市民の活動を観察するには、空気、匂い、騒音が伝わる臨場感が大切である。そのための移動手段は人力車に勝るものはない。
捨てられたテレビを修理して販売する横丁の店。

写真 2011年 筆者撮影
裏町の理髪店。

写真 2011年 筆者撮影
羊の肉を売っています。

写真 2011年 筆者撮影
年季ものの看板に、TOKYO LIGHTING INDUSTRIES とあった。

写真 2011年 筆者撮影
街の雑貨屋さん。貧しい家族が買いやすくするため、商品はすべて小割にしてパッケージされ売られている。

写真 2011年 筆者撮影
裏町の屋台で立ち飲み。
ジュースやお茶を出す屋台。ダッカの知人同行者と旧市街を歩きに歩いて、ここで一服することに。ジンジャーティーは一杯5円です。美味しかったです。この野外でのガラスコップの紅茶の立ち飲みは、先進国、大都市のチェインコーヒー店の数百円の飲み物に勝ります。衛生状態には疑問符がつきますが。。。

写真 2011年 筆者撮影
頭上に物を載せ運搬する人を良く見かける。

写真 2011年 筆者撮影
ムガール王朝のオールドダッカから今日まで、都市の拡張。
ムガール王朝がほぼ全盛期のころ、東の偏境ベンガル地方のほぼ中心地に、ダッカのの基になるいわゆるオールドダッカが誕生することになる。その後今日まで都市空間の拡張、拡大が4世紀以上のわたってたえまなく行われてきた。
この都市の基点となったオールドダッカの後背地は、地形状の問題を抱えていて、限定的かつ変形的な成長を余儀なくされた。

ガンジス、ブラマプトア川の支流の支流にあり、それらの大河や支流の水害を免れるものの、周辺には網の目のような支流があり、洪水を免れえる台地がきわめて限られている。
一番高い標高は、北部15キロにある空港で、海抜11mである。
この河畔に造られたオールドダッカから空港までの、巾7-8kmの帯状の部分のみ、洪水対策を免れうる河岸段丘的な地形である。
そのため、都市開発の面積的な制約から、高密度化そしてスラム化の道をたどる事になったといってよい。
下図;
黄色い部分。台地に相当する地形。雨季には水はけの問題がある。
水色の部分。低地で水はけ悪く、冠水する地域。

ダンモンディとカラバガン対照的な街区
ダンモンディ地区
1950年代、高級住宅地として、エリート層むけに開発されたダンモンディ(Danmondi)という街区がある。
池を中心とした区画の大きい都市計画が実施された。完成当時は、親水公園を含む高水準の2階建て住宅専用地であった。
しかし、その地の利のよさと、ゆったりした町並みが逆に作用し、今日では、高密度高層住宅区域に変貌している。
この地区の宅地地価は、平米あたり1万円相当で、東京の地価なみである。バングラデシュの庶民としては、天文学的な数字といえる。
カラバガン地区
その一方、東隣の大通りを境にした約1キロ四方のカラバガン(Kalabagan)という地区がある。無計画で高密度で土地の細分化された、スラム予備軍となる地域である。地区内の道路は、図のごとく無秩序で、巾3-4mで迷路状に広がっている。したがって歩行者、人力車、オート三輪車以上の通行には向いていない。消防車も入ってゆくことが難しい。
この道路際には、低層、中層の建物がひしめいていて、くねった道の各所に死角があり、犯罪が起こりやすい空間構成であこの二つの街区の道路を、地図をもとにパターン化したのが下のスケッチである。ダンモンディ地区は、計画された広い道路が形成されているが、カラバガン地区は、自然発生的な小道が網の目のように広がっている。車の少ない時代に形成された町に違いない。この対照的な街区が大通り一本を隔て隣り合っている。

2011年 筆者スケッチ図
ダンモンディ地区の街並。

写真 2011年 筆者撮影
大気汚染に包まれるカラバガン地区、

写真 2011年 筆者撮影

写真 2011年 筆者撮影
隣り合わせのグルシャン地区と
Korail Bosti地区

グルシャン地区
ダッカの高級住宅地として1970年ごろに都市計画され、形成されたグルジャンという区域がある。
西にボナニ地区、西に大使館などが集まるバリダラ地区がある。3地区を隔ててボナニ湖、グルジャン湖があり、各地区に水辺の環境を提供している。
当初の計画概念は、水辺の高級住宅地を提供することで出発したが、インフラが既存の他地域よりすぐれていることとにより、メインストリートは外国企業を含むオフィス街に変貌した。
このグルジャンを含む三地区の計画が発案された当時は、バングラデシュ独立の前、東パキスタン時代であった。1970年の計画では、大きな区画の純居住地のモデルタウンであった。
その後、バングラデシュ独立を経て1990年ごろまでには、大区画住居地は中高層マンションになり、目抜き通りには事業所ビル、ショッピングモール、レストランなどの商業施設が出来、ホテルや外国人用の施設にも侵食され、今日のような複合的な地域になった。
街の幹線道路が交わる交差点は、四方をどぎつい看板で覆われ、無秩序な駐車場に利用されている。街の中心であるべき核になる場所が、混乱しており、本来あるべき街の顔の風格を奪っている。
二つの細長い湖の陸地の中心部分には、一本の幹線道路が南北に設けられている。湖側に面した地域には、親水プロムナードないしはグリーンベルトなど公共エリアが欠如している。私有地の隣が水面になっているので、その境目にごみの不法投棄が行われ、水面と陸地の境目が曖昧になり、事実上の侵食埋立地が発生する。その後その埋立地に、不法建築、スラムなどが発生しやすい。

Korail Bosti地区 2011年 筆者スケッチ図
そして、このように水面の埋め立てが、なし崩し的に行われると、水域が徐々に狭めれれ、その結果水質汚染により環境汚染がじわじわと進む。気がついた時には、回復に大きな予算が必要となり、その予算が当局の限度を超える場合、スラム化の拡大を阻止する行政が敗北し、都市のインフラや風格を保つことが出来なくなる。
Korail Bosti地区
その一つの例として、このようにして出来てしまったスラムに、Korail Bosti 地区がある。
このスラムは3.5km2もあり、人口は7.3万人にも上るそうだ。人口密度は1km2あたり2万人で、ダッカの一般的な住宅地の2倍ほどになる。このスラムは、一帯の高級住宅地と背中合わせに存在する。これらの二つの対照的な存在は、特筆すべきものであろう。
こういった場合のスラムの定義としては、地方から職を求めて都会に出てきた人々が、水面を埋め立て、ブロック壁を建てあとは廃材を利用して、棲家を無秩序に展開してクラスター化したものである。
その不法建築ゆえに、水、電気、汚水処理、ゴミ回収などの行政サービスを受けることが出来ない。道路は自然発生にまかせ、迷路のようになる。家の面積を最大限に確保するので、道路巾は極端に狭められる。救急車、消防車はもちろん、一般車さえ入ることが出来ない。
これらのスラムは、一度出来てしまうと、一掃するにはあまりにも大きな社会的な紛争という代償を払うことになるので、当局が手をつけるのが困難となる。
鳥瞰図、ダッカ最大のスラム地区。計画された周辺の町並みの中心部に堂々と存在する。

Korail Bosti地区

拡張し侵食するスラム
自然発生的に建物の侵食が、池の回りの道路から池の中心に向かって始まる、この地域の建物は、トタン屋根の小企業の町工場であることが多い。


グルジャン地区
グルジャン地区のメインストリート。この通りに銀行、オフィスビル、ホテルなどが集中している。

Gulshan 1 交差点には駐車場はあるが、歩道橋がなく、車優先の交通システムとなっている。このため車所有の願望が強い。

写真 2011年 筆者撮影
グルシャンの大交差点のビル前面の看板群。

写真 2011年 筆者撮影
Holey Artisan Bakery。
グルシャン地区の湖畔にある テロ事件があったダッカでは最も有名な飲食店。2016年7月1日のテロリストの襲撃で、イタリア人9人、日本人7人を含む計18人の外国人、地元の人も含めると全部で24人が犠牲になった。Holey Artisan Bakery。

パンパシフィックホテル・ダッカ
このホテルは、通算13回のバングラデシュ訪問での常宿となった。通算で50日の投宿となった。このホテルは日本の建設会社によって建てられた。

写真 2011年 筆者撮影
水辺にあるが、湖水は汚染が酷いので、残念ながら立地をうまく生かしきれていない。

写真 2011年 筆者撮影
ホテルのコーヒーショップ。毎朝いつもフルーツとヨーグルト、そしてコーヒーとパン。

写真 2011年 知人撮影
パンパシフィックホテルを出ると、いきなり混沌の街に変わる。正面に大きなロータリーが構え、交通渋滞と喧騒に突き当たる。仕事場はロータリーの向こうからしばらく歩いたところに有るが、ロータリーを歩いてわたることは、きわめて危険なので、たったの500mの距離を送迎の車に頼らなければならない。

写真 2,011年 筆者撮影
格差の存在。
ヘアサロンから出てきた女性2人。どこかのパーティーにでも出かけるのだろか?

写真 2011年 筆者撮影
ホテルの結婚式場。知人が結婚式に招待されたので、筆者も同行してみた。外の街の喧騒から隔離された富裕層の華やかなパーティーであった。

写真 2011年 筆者撮影
ホテルの外は地獄、中の宴会場は天国。といったとところであろうか。

写真 2011年 筆者撮影