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インド紀行 1991
#14
ウダイプール
1990年の8⽉、イラクのクーエイト侵攻をもって、中近東情勢は⼀気に不安定化した。戦争の可能性が⾼まり、世界経済が落ち込み、投資家の警戒感から建築関係の仕事が回転しなくなった。それにより暇な時間が出来たので、旅に出ることにし、⼆回⽬のインド旅⾏とネパール紀行を2週間ほどすることにした。旅程は次のようであった。
コルカタ1泊、カトマンズ3泊、デリー2泊、ウダイプール3泊、オーランガバード2泊、

デリーに再び
ここを訪れた1991年1⽉15⽇。第⼀次湾岸戦争開始⼨前のことで、観光客はまばらであった。
インドからは中近東には沢⼭の出稼ぎ⼈が⾏っており、その上輸⼊品の⽯油の⾼騰、また会戦前夜で上客であるアラブ地域への家具や装飾品などの輸出のキャンセルにあって、インドにとってはトリプルパンチの時期であったのだ。
こう言う事情の下で、アラブ諸国からの注文がキャンセルされた家具や調度品が倉庫に山積みになっていた。筆者は投げ売りに近いエスニック家具や調度品を選びを購入して、シンガポールにムンバイから船便で送り届けることにした。
ニューデリーで宿泊したホテルの客室平⾯図スケッチ

ホテル サムラート ニューデリーのレイアウト, 筆者 スケッチ
ウダイプール
ウダイプールは、デリーを含む北⻄インドと、アラビア海を結ぶ中間地点にあり、交通ルートの要衝である。
16世紀の中ごろ(⽇本の戦国時代にあたる)、この地を⽀配していたヒンズーのメルワール藩王(マハラジャ)は、ムガル皇帝アクバル(イスラム王朝)と永らく抗争関係にあった。マハラジャは⻑く続いた戦争に負け、⾸都チトルガールは陥落した。
⾸都を失った藩王ウダイ・シンは、メーワール王国の新しい都を築いた。これが現在のウダイプールである。 町の名前はウダイ・シング2世の名から付けられた。
ウダイプールの周囲には数珠つなぎの様に⼈⼯湖が形成されていて、都市の⼈⼝と農業の⽀えになっている。マハラジャによってこの⼈⼯湖群が完成されたことにより、ウダイプールはラージャスターン州南部の⾏政、商業の中⼼地になった。
町並みは、ジャイプールほど⾦がかかった建物は少ないが、⽩い建物が多く、ジャイプールの「ピンク・シティー」に対して、ウダイプールは「ホワイト・シティー」と呼ばれている。
シティー パレス (歴代藩王、マハラジャの宮殿)
ウダイプールの標⾼は600mである。シティー パレスは約 750mの丘の上にある。ピチョラ湖の湖畔に⾯する丘の上に建てられたシティーパレス〔藩王の宮殿)から、レイクパレスホテル(避暑⽤宮殿)を湖上に眺望することが出来る。(下スケッチ)

筆者 スケッチ
レイクパレスホテル
ピチョーラー湖中の⼩島に、⽩亜の⼤理⽯で建てられた宮殿(ジャグニワース宮殿)。
1743〜46 年に藩王が夏の避暑宮殿として建てた。後の藩王の代になり、ウダイプル初の⾼級宮殿ホテルに改装され、 湖の中にたたずむ⽩く輝く美しい宮殿ホテルとなった。


筆者 スケッチ作成
レイクパレスホテルは、シティーパレスの城壁のふもとにある⼩さな専⽤波⽌場から⽔上のみのアクセスである。ホテルの予約を済ませたゲストのみに、ホテル専⽤⼩型ボートの乗船が許される。
このためホテルの船着場に着くまでに、⼀種の特別感を味わうことが出来る。この様なホテルアプローチの演出上の期待感を備えているホテルは、世界中の宿泊施設でも稀であろう。

写真 1991年 筆者ガイド撮影
18世紀の中頃、メワール王朝の時代に湖の⼩島に夏の宮殿が避暑⽤に作られた。宮殿は⼊り⼝が東に⾯するように配置されている。これは、インドにおける多くのヒンズー寺院のレイアウトを踏襲している。宮殿内の居住者が毎朝、⽇の出を礼拝することに配慮したもであろう。

写真 筆者撮影

セポイの反乱〔インド兵⼠による反英闘争、1857年)から逃れて来た欧⽶⼈をこの島の宮殿にかくまって保護したという歴史もある。
1930年から55年ごろにかけて宮殿は荒廃して⾏ったが、BhagwatSinghにより宮殿からホテルに変更がなされ、⽣き残りをかけて⼤改装をおこなった。アメリカ⼈のアーティストのデザインで⾏なわれた。
1971年になって、ムンバイのタジマハールホテルを所有運営するタジホテルグループが、このレイク パレスホテルの運営に携わることになって今⽇に⾄る。
過去に訪れた有名⼈。
エリザベス⼥王、イラン国王、ネパール国王、ジャックリーヌ・ケネディー。1983年にジェームスボンド出演のオクトープシーの撮影舞台となった。

ィラスト 筆者作成
レイク パレスホテル近景。

写真筆者撮影

筆者作成 スケッチ
敷地の⾯積は 16,000m2程である。中庭には、⽴派ではあるが⼈の気がないプールが横たわっていた。
ガルフ戦争が起きる気配のさなかであったので、ゲストの数は極めて少ない。

写真 筆者撮影
1991年1⽉17⽇に、この レイク パレスホテルに宿泊中、第⼀次湾岸戦争が勃発した。

人影の少ない湖上の宮殿ホテルから、対岸の城壁に囲まれたシティーパレスを望む。

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影
レイク パレスホテルのコートヤード。

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影
レイク パレスホテルの平⾯図。
筆者の宿泊した部屋は右端のコーナーにある。中庭にプールがあり、それを囲み客室があり、部屋から湖が⾒えるような配置である。波⽌場とレセプションエリアは、東に⾯していて、マハラジャのシティーパレスの全景が⾒える。

筆者撮影
マユール・マハール スイートルーム
ホテルの⽞関から客室に案内してくれたバトラーによると、このスイートルームは昨夜までベルギーの皇室家族の⼀員が宿泊していたとのことであった。
筆者が宿泊したスイートルーム

写真 1991年 筆者撮影
マユール・マハール スイートルーム
のスケッチ図
バスルームを含めると60m2ほどの広さ。1991年1⽉16⽇から3泊した.

筆者 スケッチ
この宮殿ホテルの⼤きな特徴は、部屋への採光にある。早朝湖⾯に反射した朝⽇が⾊ガラスを通して室内に⼊る。特に⽩天井に投射された⾊調は、湖⾯のさざなみが揺れた状態で⽬に⼊るので、それをベッドに寝そべり、移ろう光を⾒ていると飽きることがない。さらに朝の太陽の⾓度が少しずつ変化する。それに呼応して天井に映し出される⾊影の位置がゆっくりと移ってゆく。その天井をベッドに横たわりながら朝⾷の時間も忘れて1時間以上⾒続けていた。
この様な光と⾊彩の織り成す効果を、設計者が計算にいれ、意図的に造り出したとすれば、その効果は⼤成功だったと⾔える。

写真筆者撮影

写真筆者撮影

写真筆者撮影
リヴィングにブランコがある。

写真筆者撮影

写真筆者撮影

写真筆者撮影
ベッドヘッドには、クジャクの刺繍もの。

写真筆者撮影

写真筆者撮影
総⼤理⽯のバスルーム

写真筆者撮影
バスルームへの入口の間。

写真筆者撮影
廊下と客室のドア、

写真筆者撮影

写真筆者撮影

全ての写真 筆者撮影 1991年1月