ENG | JAP
インド紀行 1991
#15
アジャンタ・エローラ
オーランガバード
1月9日、ウダイプール空港を11時20分発、国内線で次の聞きなれない目的地オーランガバードに向かう。12時25分に到着し、空港を出て周囲を見渡すと、西部劇に出て来る様なカーボーイタウンの様相だった。標高は513m、南西のムンバイまであと350km、ここはデカン高原、その真ん中に来たわけである。オーランガバードから30km圏にアジャンタ・エローラの2つのユネスコ世界遺産がある。

アジャンタ
オーランガバード空港から車で2時間半、約100kmの位置にアジャンター石窟群がある。

アジャンター石窟群は、インド・マハラシュトラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことである。

アジャンター石窟群 グーグルマップより
アジャンター石窟群 世界遺産
マハラーシュトラ州のデカン高原の中を流れるワゴーラ川の湾曲部を囲む断崖が、550mにわたって連続して続いている。その斜面の岩盤をくりぬいて、大小の29の石窟が築かれている。ここに古代仏教の石窟寺院群が残っている。内部には、グプタ様式の壁画や彫刻など、最も古い時期の仏教美術が残る。
ここにある石窟はアフガニスタン方面から、はるばる中国西域に伝わった石窟の源流とも考えられている。アジャンタ石窟群は現在でも、インド伝統的芸術の原点として、また東アジアへと広がる仏教美術の原点として、大きな価値があると思う。この様な世界的な遺産がインドのこの遠隔地にあることに、感慨せざるを得ない。
開窟年代は、前期(第1期)と後期(第2期)に区分される。前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀の時代に築かれている。
アジャンター石窟寺院は、1819年、英国の軍人が虎狩りをしていたときに、巨大な虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、石窟に迷い込んだ。永年放棄され、コウモリのすみかになっていた石窟群を再発見することになったそうだ。

洞窟は僧侶たちの祈り、生活、修行の空間であったために、いずれも装飾は少なく小型で簡素な造りであった。アジャンタの築かれた年代は6世紀半ばくらい迄で、その中には開窟途中のまま放棄されたものもある。

1991年1月9日 アジャンター石窟群 筆者撮影
石窟群への通路は岩壁と峡谷の間を削って造られている。そのためアップ・ダウンの坂道が多い。年配者や過体重の人達には厳しいので、人力の担ぎ手が待機して移動を介助してくれる。担ぎ手チームは4人1組で、30分程の仕事で20米ドルの料金だ。30分1人あたり5ドルの収入になるので、彼らにとっては良い収入源であろう。


1991年1月9日 アジャンター石窟群 筆者撮影
大小の29の石窟が築かれている。

1991年1月9日 アジャンター石窟群 筆者撮影

1991年1月9日 アジャンター石窟群 筆者撮影

1991年1月9日 アジャンター石窟群 筆者撮影
引き算の建築
基礎を造成しその上に石材を積み上げていくのを「足し算の建築」とすれば、ここアジャンタの宗教施設はまさに「引き算の建築」と言って良い。

エローラ
エローラは、オーランガバードから30Kmほど離れた村にある。ここに世界的に有名なエローラ石窟寺院群がある。全部で34の石窟寺院や修道院が彫られている。5世紀から10世紀の間に造られた。


エローラ石窟群 グーグルマップより
エローラ石窟群 世界遺産
アジャンターの遺跡群は、紀元前1世紀ごろからあったといわれ、それに比べエローラ遺跡群は時代が下がり、6~7世紀頃には造られていたと言われています。
インドでは、仏教の石窟寺院が造られた紀元前1世紀ごろから、やがて仏教が衰退し、ヒンドゥー教が盛んになっていった時代の流れを、ここアジャンターとエローラの遺跡群から感じることができます。

第1窟から第12窟が仏教寺院(仏教窟)である。
第13窟から第29窟までの17窟はヒンドゥー教寺院(ヒンドゥー教窟)で、第30窟から第34窟までの5窟がジャイナ教の寺院(ジャイナ教窟)となっている。
「エローラ石窟寺院」では、仏教のみならず、その後、盛んになっていくヒンドゥー教やジャイナ教の寺院や修道院の石窟が続いている。
仏教は、衰退してしまい、エローラ石窟寺院群を観ていても、すっかりヒンドゥー教の彫刻や壁画に置き換わっていく様子が見て取れる。
カイラサナタ寺院 エローラ第16窟。
岩山から寺院を彫りだすアイディアは、前述のマハバリプラムの「ラタ」の影響をうけ、岩石を大規模に掘り出し、岩窟の範疇を越えた寺院建築を造り出している。カイラサナタ寺院は、エローラ石窟群の中で最大な遺跡である。

「西インド015エローラ」より
カイラサナタ寺院はアテネのパルテノン神殿の倍ほどの規模があるそうだ。紛れもなく一つの岩盤石から彫りだされ、完成品は多層建造物の造りになっている。宗教家、建築家、芸術家、沢山の石工職人のチームワークによって組織的になされたものであろう。このインドの奥地まで来て、こんな文化遺産が存在存在していたことに驚き、鑑賞した価値は得難いものであった。
カイラーサナータ寺院は、U字型をした3層構造になっていて、一番上から下までおよそ45メートルの深さがある。
カイラーサナータ寺院の最頂部

4travel.jp より
建築者は、まずは山の頂上から始め、下へと彫り進んでいった。考古学者によると、紀元757年から783年の間に20トン以上の火山岩を彫り出したという。大変な作業だったであろう。

写真 筆者撮影

写真 筆者ガイド撮影
この『石窟』を作るには、20万トンの岩を掘り出し、100年の歳月を必要としたという。

写真 筆者撮影

写真 筆者ガイド撮影
熟練の職人たちが山腹の洞窟の硬い一枚岩を丹念に彫り進めて作った一大芸術作品と言えるだろう。

写真 筆者撮影
この『石窟』を作るには、20万トンの岩を掘り出し、100年の歳月を必要としたという。

カイラサナタ寺院の上階部分まで登ってみた。観光客は我々二人と現地のガイドさんのみ、監視人は居らず、許可を求める人も居なかった。

写真 筆者ガイド撮影

写真 筆者ガイド撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者ガイド撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影

写真 筆者撮影
エローラ石窟群を見学し、一休み。

写真 筆者ガイド撮影
アジャンタのみならずエローラ石窟群への通路も、岩壁と峡谷の間を削って造られている。そのためアップ・ダウンの坂道が続く。年配者や過体重の人達には厳しいので、人力の担ぎ手が待機して移動を介助してくれる。担ぎ手チームは4人1組で、30分程の仕事で20米ドルの料金だった。30分1人あたり5ドルの収入になるので、彼らにとっては良い収入源であろう。

写真 筆者撮影
1991年1月20日夜、ムンバイ(当時のボンベイ)空港は混乱の極み
湾岸戦争が2日前に勃発したインド旅行の最終日、0時5分のシンガポール行きの便に乗るため空港に着いたが、ムンバイ空港は混乱の極みであった。
ムンバイが面するアラビア海の対岸で湾岸戦争が起こったのがその理由だ。
チェックインカウンターで手続きする。すると確認済みの我々の席は、無いとのことであった。緊急時で、だれか政府の高官か軍人たちに席を取られたに違いなかった。至急翌日の同じ便を再予約し、今晩の宿を請求することにした。交渉の末、あてがわれたホテルは空港直近の5星ホテルTHELEELAMUNBAIに決まった。ここでゆっくりインド出国まで、旅の疲れを癒すことになった。
THE LEELA MUNBAI

getyourvenue.com より