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ヨーロッパ周遊
4ヶ月 #8/9
1968年
フィンランド
スオミ「SUWOMI」とは、フィンランドそのものの意味。言語はスオミ語。民族名はスオミ人。日本人が自国をジャパンと呼ばず日本。言語は日本語。民族名は日本人。と同じ調子である。
スオミ語。この言語も起源はウラル語族系である。ヨーロッパの他の民族の言語がインド・ヨーロッパ語族に属するのに対して、言語の起源が異なる。
フィン人は、日本の古代と似て自然崇拝に基づいた社会であった。スオミ人が統一国家樹立を実現する前に、スウェーデン人の征服を受け、キリスト教化され、ヨーロッパ世界に組み込まれた。
その後、スウェーデンによる長い支配を受け、宗教や文化などで強い影響を受けている。19世紀になるとロシアの支配を受けた後、帝政ロシア崩壊直後に独立した。
しかし第二次世界大戦の直前に、ソ連の侵攻を受けた。絶望的な戦力差にもかかわらず、善戦もあって領土の一部を割譲しつつも独立を維持した。第二次世界大戦においてはナチス・ドイツと提携していたこともあって戦後は日本と同様に敗戦国の地位に甘んじることになった。
後退を余儀なくされたソ連(当日)の国境線は、南北1,000Km以上あり、いわゆる鉄のカーテンであり、日本で言えば北海道と北方領土問題の関係に酷似していると言えなくもない。

ヘルシンキ
ヘルシンキは100万人以上が住む都市圏としては最北に位置する都市であり、フィンランドの政治や教育、金融、文化、調査センターなど様々な分野の中心都市で、ヨーロッパでも最北の大都市である

ヘルシンキのメインストリート, 1968年 筆者撮影
ストックホルムとヘルシンキを結ぶ連絡船の甲板で、日本で大卒後ドイツに留学中の若者で出会い、意気投合しフィンランド2週間の旅を一緒に続けることにした。ヘルシンキ市内で老婦人の大家さんのアパートメントの一室を一緒に借り、そこを拠点にフィンランドをリサーチすることにした。
初日の朝、アパートの寝室で日が昇ったので目が覚めると、もう午前10時になっていて、何だか損をした感じになった。11時ごろに街に出て街歩きを4時間程し、3時になると大通りのビルにネオンが灯りだす。3時には街全体が暗くなり、お酒を飲んでも良いい雰囲気になる。ヨーロッパ最北端の首都の冬至まであと1ヶ月の日常である。
この様な風土の中で、政府は国民がアルコール依存症にならないように、酒屋での購入にはアルコールクーポンを発行していて、それ以上は買えない仕組みになっていた。ただし外国籍の旅行者は例外になっていた。
ある夜、街中のビルの地下酒場に入ろうと舗道で看板を見ていると、若い金髪の女性が話しかけてきた。単純に一緒にお酒を飲みたいと言うことだったので、酒を飲みながらフィンランド語の練習でもしようと思った。入口のチェックカウンターを無事通過し雰囲気の良さそうなラウンジに入って行った。
すると、彼女はラウンジに座っていた見知らぬ男性に手を振って合図をした。彼は彼女のボーイフレンドであった。こうして、外国人の筆者は彼女の酒場へのフリーパスとして上手く使われたのであった。

ヘルシンキのメインストリート, 1968年 筆者撮影
タンペレ
ヘルシンキの北180㎞のタンペレは湖水地方に位置し、風光明媚な場所で世界のサウナの中心地と言われている。(下地図参照)
サウナでは、ヴィヒタと呼ばれる白樺の木の枝を束ねたもので自身や仲間と身体を叩きあうて習慣がある。血行を促進する効果がある。これらの所作は、神道で常緑樹である榊を使ったり「祓い」や「禊ぎ」などの所作と似ていると思えなくもない。
サウナで温まった後は、街を歩き外気が0度近くでも寒さを感じない。また、氷の張った池に入り、またサウナに戻り、それを何回も繰り返す人達もいた。
フィンランドではどこの湖でも氷が貼っている。この機会にスケートをものにしようと試みたが筆者には無理であった。

タピオラ
町の名前は、フィンランド神話の「Tapio(森の精霊)」であるタピオに由来。
タピオラは、首都ヘルシンキの西部にあり、に位置しフィンランドの南海岸にあるエスポー市の主要な中心地の1つです。

タピオラ・ガーデンシティ
(Tapiola Garden City)
イギリスでは、1946年にロンドンの過密対策として周辺に複数のニュータウンが計画され、ミルトン・キーンズが建設された。
タピオラは1950年代と1960年代にフィンランドの民間の非営利企業である住宅財団によって田園都市として設計され、大陸ヨーロッパで最初の戦後の「ニュータウン」プロジェクトの1つとなった。
それ以来、タピオラの都市生活と自然を組み合わせた建築と造園は世界的に注目を集めていた。
セイナッツァロの村役場
アルバール・アールトの設計による。役場棟は、東側が議会場、北側がオフィス、西側が職員住宅という構成になっている。
1949年、村役場の設計コンペティションで、アールトが1等に入選。同年に建築工事が着工され、1952年に完成した。

セイナッツァロの村役場, 1968年 筆者撮影
森の中の教会

森の中の教会, 1968年 筆者撮影
林と共存する建築

集合住宅, 1968年 筆者撮影

集合住宅, 1968年 筆者撮影

集合住宅, 1968年 筆者撮影

集合住宅, 1968年 筆者撮影

集合住宅, 1968年 筆者撮影
JYVÄSKYLÄ
フィンランド湖沼地帯の中心都市。
ヘルシンキの北 270 km にあるフィンランド第3の都市。
周辺には氷河期に削り取られ出来た無数の湖沼が広がっていている。
このフィンランド湖沼地帯の中心都市は北緯62度に位置している。
太平洋側の緯度と比較して見ると、カムチャッカ半島の付け根より北の位置にある。

湖沼地帯
JYVÄSKYLÄ UNIVERSITY
ALVAR AALTO の作品

1968年 筆者撮影

1968年 筆者撮影
林に囲まれた湖沼地帯

1968年 筆者撮影
森の中の住宅

1968年 筆者撮影
湖畔の一軒家

1968年 筆者撮影