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ヨーロッパ周遊
4ヶ月 #7/9
1968年
ストックホルム ⇒ コペンハーゲン ⇒ ハンブルグ ⇒ ミュンヘン ⇒ フィレンツェ
ストックホルム>列車泊25>コペンハーゲン
9月15日 コペンハーゲン7;15着。
コペンハーゲン14;00発。ハンブルグ20;10着。ハンブルグ20;30発。
デンマークの風車

1968年9月 筆者撮影
ハンブルグ>列車泊26>ミュンヘン
9月16日 ミュンヘン7;15着 ゲーテインスティチュート。
ウルムで赤松さんと会う。
ミュンヘン21;30発。ミュンヘン>列車泊27>フィレンツェ
フィレンツェ
9月17日 フィレンツェ
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
巨大なドームが特徴の大聖堂。イタリアの晩期ゴシックおよび初期ルネサンス建築を代表するもので、フィレンツェのシンボルになっている。
1296年から140年以上をかけて建設された。

1968年9月 筆者撮影
ジョットの鐘楼
ジョットの鐘楼は、ドゥオーモ(大聖堂)の南隣にあるゴシック様式の鐘楼。高さ約85メートルで、大聖堂と同じく赤、白、緑の大理石が使われていて、とてもシックだ。1334年に着工され、1359年に完成。

1968年9月 筆者撮影

1968年9月 筆者撮影

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

アルノ川河岸の建物。 1968年9月 筆者撮影
ダビデの像
ダビデ像は、ミケランジェロの彫刻作品。制作開始1501年、完成1504年。
オリジナルのダビデ像は、シニョリーア広場に面した市庁舎(ヴェッキオ宮殿)の正面入口脇に置かれていた。 暴動などによる損害や風雨によって大理石が劣化することを避けるため、1873年以来フィレンツェ・アカデミア美術館にある。
もともとダビデ像が置かれていた市庁舎前には1910年から複製が置かれている。
シニョーリア広場のダビデ像
本来この像は高い台座に載せてヴェッキオ宮殿正面に壁を背にして置かれる予定であったので、正面下方からこの像を見上げたときに均整の取れた肉体と映るように上半身を大きく作ったのだと言われている。
そのためこの像が展示されているアカデミア美術館のホール中央空間は、ミケランジェロの意図にそぐわない不適切な場所であるという。

シニョーリア広場のダビデ像, 1968年9月 筆者撮影

シニョーリア広場のダビデ像
フィレンツェ>列車泊28>ローマ
9月18日 ローマ9;30着 カラカラ浴場、サン/ピエトロ。 ローマ22;28発。
ローマ>列車泊29>ミュンヘン
9月19日 ウルム、 ミュンヘン
9月20日 ウルム → ハイデンハイム → ミュンヘン 20;10発
ミュンヘン>列車泊30>パリ
9月21日 パリ
9月22日 パリ
パリ>列車泊31>ツエルマット
スイス・ローザンヌ⇒ツエルマット

ローザンヌからレマン湖沿いの景色の開けた所を進み、鉄道はローヌ川に沿い山岳地帯に入る。丹念に造られた幾つものトンネルや鉄道橋を抜けて
ツエルマット に至る。
日本最高所の鉄道駅といわれるのがJR小海線の野辺山駅(標高約1345m)である。 ツエルマットは(標高1,620 m)
ローザンヌからツエルマットまで約100km。勾配やカーブが多いので3時間はかかるが、景色が良いので飽きない。

1968年9月 筆者撮影
ツエルマット(標高1,620 m)のヒュッテ山小屋ごしに、
マッターホルン(標高4,478m)を遠望。(写真下)
9月23日 ツエルマットで日本人大学教授と会う。
ツエルマットはガソリン車の乗り入れが禁止されていて空気がきれいである。
スイスはヨーロッパの中で最も物価の高い国である。
ここツエルマットに宿泊し更にケーブルカーなどに乗り継ぎマッターホルンの麓まで行ったりすると予算オーバーは間違いない。
ここに滞在している人たちは、ほとんどが富裕層であるとの印象を受けた。

ツェルマットのホテル越しに名峰マッターホルンを遠望する。
1968年9月 筆者撮影
まだ9月だというのに、空からは白いものが降って来た。つい1ヶ月前は灼熱のスペイン・アンダルシア地方でシエスタであったが、ここスイスの避暑地ははや雪であった。

1968年9月 筆者撮影
ツエルマット>列車泊32>ローマ
9月24日 ローマ・バチカン市国 システナ礼拝堂、日本人2人と会う。イタリア人女性2人、会話が優しい。
ローマ>列車泊33回>ウルム
大失態事件発生
パスポートを列車の座席に置き忘れる。
ローマから夜行列車でスイスを経由して留学中の親友がいるウルムへ向かう。イタリア・スイスの国境でパスポートの車内チェックがあった。もう朝になっていた。車窓の景色があまりにも美しかったので、止まった駅で途中下車をした。プラットホームに降り立ち列車が出てしまった後で、一等コンパートメントの座席にパスポートを置きっぱなししたことに気が付いた。さてこれは一大事である。
直ぐに駅長室に飛び込んだ。この駅は田舎の駅で乗客も少ない駅であったので、駅長さんは丁寧に聞き取りを行い対応してくれた。まず筆者からどの車両に乗ってたかを尋ね、列車の車掌と次の停車駅の駅長に電話をしているようであった。
10~15分ほど祈る様に待っていると応答があった。パスポートは車内で発見、最寄りの駅で駅長に引き渡した。という結果がもたらされた!!。その駅の名前を手帳に書き込み、次に進入してくる列車を1時間ほど待ち、パスポートの保管されている駅に向かった。そして2時間半ほど手元を離れた日本国パスポートは、国民の手に無事戻った。
この事件が起きた国がスイスであったのが、幸運だった。他のヨーロッパの国であったらどうなっていただろうか?

ローマがらスイスを越えてドイツ・ウルムに至る国際列車のルート
9月25日 バーゼル → カールスルーエ → ウルム
9月26日ー9月29日 ウルム?
9月30日 ウルム発
10月1日 ハンブルグ (泊〕
10月2日 ストックホルム キャンピング
10月3日 ストックホルム から フィンランド・へルシンキ
10月4日 - 7日 ウルム?
10月9日 ローマ着
10月10日 ローマ
10月11日 ローマ → フィレンツェ。
10月12日 フィレンツェから。