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香港,マカオ 1969年
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1962年の香港
香港島のピークに上るケーブルカーの中途から撮影。左側にヒルトンとマンダリンの二つのホテルが見えている。まだまだ高層ビルが少なく、こじんまりとした1960年代の香港の中心街・中環である.

1969年の香港
香港旧啓徳空港 1969年頃

前回1962年の香港へのアプローチは海からであったが、今回は初めての空からであった。
香港旧啓徳(カイタク)空港。九龍半島側にあり、世界一危険な空港ひとつといわれ、パイロットにとっては、世界一着陸が難しい空港であった。理由は、滑走路の突き当たりや周辺に、600mを超える山々が連なり、南風により北から着陸する場合、常に急旋回を強いられたためだ。
また北側に道路一本で隔てられた6階建てのアパート群があり、着陸の際、屋上の洗濯物がはっきり見えるくらいの、すれすれの着陸が常であった。その上、4月ごろの香港は雲が低く立ち込め霧のときも多く、滑走路まで何も見えない雲の中を旋回し着地したこともあった。そうした怖い経験を頻繁にしたので、香港に出張する際は、もっぱら地元を母港とするキャセイパシフィックにきりかえた。すこしでもランディングの恐怖から逃れるためだった。
1989年に滑走路2面の新空港がランタウ島に出来、啓徳(カイタク)空港は、停止になり、もうあの世界一のランディングスリルを経験することはない.
香港旧啓徳(カイタク)空港へのアプローチ

香港旧啓徳(カイタク)空港へのアプローチ
1969年 筆者撮影

香港旧啓徳(カイタク)空港へのアプローチ
1969年 筆者撮影

香港旧啓徳(カイタク)空港へのアプローチ
1969年 筆者撮影

香港旧啓徳(カイタク)空港へのアプローチ
1969年 筆者撮影
空港の滑走路に沿って至近距離に集合住宅が建っている。

香港旧啓徳(カイタク)空港へ到着
1969年 筆者撮影

香港旧啓徳(カイタク)空港へ到着
1969年 筆者撮影
日本航空(JAL)の垂直尾翼に「鶴丸」がない。「鶴マーク」採用前の飛行機。

香港旧啓徳(カイタク)空港へ到着
1969年 筆者撮影

香港旧啓徳(カイタク)空港へ到着
1969年 筆者撮影
香港の免税店
一方、当時国内では、イギリスのスコッチウイスキーやフランスのコニャックなどは、海外酒類高関税により、法外な値段で売られていた。そのため香港カイタク空港は、自分も含めて日本人の旅行客が、蟻やミツバチのように酒類免税カウンターに群がっていた。異様な光景であった。
この免税店は2人のアメリカ人が起業し、ベトナム戦争中の兵士たちの需要を満たすのが、初期目的であったと聞いている。この会社が後になってシンガポールに進出し、筆者の顧客になるとは、この当時夢にも見ることはなかった。
1970年前後、滞在先のシンガポールから一時帰国する場合、フライトはかならず香港に寄るため、それを利用して香港でよく宿泊する機会を得た。当時のヒルトンホテルやマンダリンなどを、見学も兼ねて泊り、一流ホテルを研究するためであった。
当時の香港には、3大ホテルがあると言われていた。九龍半島側にペニンシュラホテル、香港島側にヒルトンホテルとマンダリンホテルが位置していて御三家と呼ばれていた。
1969年の香港
空港から香港島へは、九龍半島の突先からスターフェリーで渡るのが唯一の方法であった。

スターフェリー波止場(香港島), 1969年 筆者撮影
香港マンダリンホテル
写真中央にあるビルが香港マンダリン。当時は、まだ高層の建物が少なく、ホンコン・ヒルの緑がバックグラウンドに豊富に見える。

香港マンダリンホテル, 1969年 筆者撮影
写真左側にあるビルが香港マンダリン。

香港マンダリンと植民地風の香港政庁。

海を挟んで対面に九竜半島。

香港マンダリンホテル, 1969年 筆者撮影
香港ヒルトンホテル
スターフェリーの到着波止場の右側に香港ヒルトンホテルが見える。

香港ヒルトンホテル全景。

1969年 筆者撮影
香港ヒルトンホテル

1969年 筆者撮影

香港ヒルトンホテル, 1969年 筆者撮影
下の写真は、香港ヒルトンホテルの客室から、当時のワンチャイ、コースウエイベイを眺めたものである。

香港島市街地のオアシス、ヒルトンホテルの客室より撮影
1969年 筆者撮影
マンダリンホテルの豪華レストラン

香港マンダリンホテル, 1969年 筆者撮影

香港マンダリンホテル, 1969年 筆者撮影

香港マンダリンホテル, 1969年 筆者撮影
香港の中心市街地。
香港中環の市街地を散歩する。

1969年 筆者撮影

1969年 筆者撮影
香港の商業地区。
自由港である香港の商業地区の大通り。

1969年 筆者撮影

1969年 筆者撮影