シンガポールの黎明期 1970年代 #2/10

シンガポールの黎明期
1970年代
#2/10

街区の様子・都心とチャイナタウン 

都心・業務街

Asia Insurance Building

このシンガポール都心にある18階のオフィスビルは、1955 に完成して以来 1971年にマンダリンホテル(36階)が出現するまで、シンガポールでは最も高い建物であった。

ASIA INSURANCE BUILDING, CBD SINGAPORE(現在 Ascott Raffles Place)1969年 筆者撮影

1962年、筆者がシンガポールに寄港した際には、許可を受けこのビルの上から低層の赤い屋根が連なる市街地を一望している。さらに1970年にシンガポールに駐在員として来た時にもそこにあり、依然としてシンガポールでは最も高い建物であった。

一方、当時の東京は、超高層ビル霞が関ビルディング(地上36階、塔屋3階)が1965年に起工1968年に完工している。
戦後1965年にシンガポールが国家として独立を果たす前後は、マレー系のデモ隊と、中国系住民が衝突し、人種暴動が発生したりで不安定な時期であった。そのような時代的背景により、12階建てのこのビルが16年間にもわたり最高層の記録を持ち続けていた。

ASIA INSURANCE BUILDING, CBD SINGAPORE
1971年 工事現場より筆者撮影

ASIA INSURANCE BUILDING, CBD SINGAPORE, 2022

2022年グーグルアースで旧Asia Insurance Buildingを探してみると、ビルの谷間にかろうじて残っていた。過っての中継貿易港が、国際金融都市に変貌した。(写真上、下)

ASIA INSURANCE BUILDING, CBD SINGAPORE, 2022

Asia Insurance Buildingの右隣にあった建物。その後取り壊され消滅。

1970年 筆者撮影

シェントン・ウエイ。
後にシンガポールの金融街として開発されるはるか以前の様子。

1970年 筆者撮影

クリフォード埠頭

バックグラウンドは植民地時代の銀行・貿易商社の建物。1970年代初頭頃から順次取り壊され、近代建築に置き換わって行った。

1970年台のシンガポール・リバー。対岸の家屋は倉庫。積み荷の上げ下ろしが人力で行われて汗臭い。川の水はごみが浮き異臭を放ち、非衛生的な世界であった。

シンガポール・リバーサイド。過去と現在。(写真上、下)
積み荷の上げ下ろし作業が禁止され、川が整備されて川岸の家屋は保存地区となり、倉庫群はカフェや飲食店などに変身し、市民の憩いの場となった。

1970年 筆者撮影

チャイナタウン

1970年初頭には、シンガポールのオーチャード通りは、欧米系と一部の地元民のみの外出先であった。

シンガポールは多民族による移民国家なので、マレー系はカンポングラム、インド系はリトルインディアなどの繁華街もそれぞれ存在し、庶民の需要に答えていた。その中でも中華系の圧倒的な大多数の庶民が集まる商業の中心地区は、チャイナタウンであった。(下の地図)

シンガポールのチャイナタウン 保存地区の領域図

密集したチャイナタウンの商家, 1973年筆者撮影

以下は1970年代のチャイナタウンの映像である。

シンガポールのショップハウス前の通路

1970年 筆者撮影

シンガポールのショップハウス2階のファッサード

1970年 筆者撮影

シンガポールのショップハウスの裏通り

1970年 筆者撮影

シンガポールのショップハウス前の道路

1970年 筆者撮影

シンガポールのショップハウスのスの2階から顔を出す住民 

1970年 筆者撮影

シンガポールのショップハウス前の道路に集う家族

1970年 筆者撮影

シンガポールのショップハウス前を行くイベントグループ

1970年 筆者撮影

各戸の二階の窓からは、洗濯物が竹竿で道路の上に突き出ています。また、下の道路には夜間のオープンに備えて屋台の骨組みが置かれて場所を確保しています。野菜や肉類はすべて量り売り。生きた鶏、食用蛙、蛇!なども売っていました。

シンガポールのショップハウス前に並ぶ屋台.

1970年 筆者撮影

チャイナタウンの屋台

食材や食器を洗った汚水は、道路際の雨水溝に垂れ流し、異臭が街路に漂う。1980年代になると、この様な野外屋台は条例により、シンガポールから一掃されることになる。

中華正月には、金銭を求め獅子舞いのグループが各店舗の前でパーフォーマンスを行い、賑やかさを演出していた。

新年を祝う爆竹は幸運と繁栄を呼ぶとされ、中華街のみならず商業施設の前などで行われていた。1972の旧正月に多数の死傷者が出たため、その後は法律で禁止され爆竹の所有そのものが禁止されるようになった。

シンガポールのショップハウス前の獅子舞い.

1970年 筆者撮影

春節の爆竹が終わった後には、筒を包んでいた赤い紙が、道路あるいは広場の地面に広がり路面が真紅に染まり、年に一度の非日常的な世界が出現する。

爆竹  男人窝より

1973年になると、下の様な近代的な集合住宅の建物がチャイナタウンの一角に出現する。

シンガポールのチャイナタウンの一角、完成間際の近代建築

1973年 筆者撮影

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