シンガポールの黎明期 1970年代 #3/10

シンガポールの黎明期
1970年代
#3/10

街区と郊外の様子

カンポングラム付近

1971年頃、シンガポール在住の同僚駐在員と一緒に、当時存在していた「泥棒市」付近へ行ってみた。比較的欧米人や日本人が多いオーチャードエリアと比較して、ここはまるで別の国の雰囲気を醸し出していた。

車道と歩道の区別はなく、店先と道路の境界線も曖昧で、戦後の東京の闇市を思い出させる雰囲気であった。違いと言えば、年中高温多湿であること、人々の肌の色、タクシーがベンツであること、背景に立派なモスクがあること、などであった。

シンガポール・カンポングラム地区

 1971年 筆者撮影

シンガポール・カンポングラム地区

 1971年 筆者撮影

シンガポール・カンポングラム地区

 1971年 筆者撮影

シンガポールの1960年代は植民地支配から独立に至る困難な時代で、民間投資が永くに渡りストップしていたことが、これらの写真が示している。

この辺りには、スリを専門にするプロの犯罪グループも紛れ込んでいていたり、バイクに乗ったひったくりもいたり、筆者も2件の被害にあった経験がある。

シンガポール・カンポングラム地区 1971年 筆者撮影

当時のシンガポールでは、横断歩道は交差点信号機の近くには一応設けられていたが、遠回りを避けた歩行者がどこでも自由に道を渡るのが普通であった。中心地区金融街の道路においても同様で、車の運転者はランダムに車道を横切る歩行者に細心の注意が必要であった。

シンガポール・カンポングラム地区 1971年 筆者撮影

取り壊しを免れた現在の KAMPUNG GRAM 地区。シンガポールのマレー系の歴史的建造物やまとまった街区が保全された。

マレーハウス

自然環境に適した住居

オイルショックが起こり、市内では不動産デベロッパーが苦しんでいた頃、郊外では下の写真のようなのんびりとした世界が広がっていた。沢山のゴム林や果樹園が周辺を占めていて、これぞ「南洋」といった世界であった。

1971年 筆者撮影

「高温、多湿、多雨」のシンガポールやマレー半島の自然環境に適した住居が、過ってのシンガポール郊外には存在していた。
「地面から高床、入母屋の屋根・深い軒先、バルコニー・野外テラス」。熱帯の気候に呼応した通気のよい住居で、周囲の自然に寄り添って建てられていた。エアコンは無し。(写真上・下)

その後、1970年後半ごろから防火上の理由から、条例により木造建築はすべて認められなくなり、これらの建物は順次消えてゆく運命になった。

1971年 筆者撮影

1971年 筆者撮影

1971年 筆者撮影

1971年 筆者撮影

1971年 筆者撮影

かやぶき屋根

市内中心から10キロほど郊外に出ると、「かやぶき屋根」があちこちに存在していた。1980年代以降、人口増加と都市計画法により下の写真の様な風景は短期間で失われていった。

1971年 筆者撮影

これらの地元では、靴を履いている人はほとんどいない。
ゴムサンダルかはだしが普通であった。

1971年 筆者撮影

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