ブラジル長期滞在の記 #8/15 バイーア#1

ブラジル長期滞在の記 #8
バイーア #1

サンパウロからバスで片道30時間、往復60時間かけて行った価値があった。

サルバドール・デ・バイーア#1

バス旅の行程は、片道2000キロ、休憩を入れて約30時間。

サンパウロで勤めていた事務所のボスに、休暇を申請して、かねてから都市と建築を見たいと思っていた、ブラジル東北部のサルバドール・デ・バイーアに長距離バスで向かうことにした。行程は、2000キロ、休憩を入れて約30時間である。(往復60時間)

ドイツ製ベンツのバス。

バスは長距離用のドイツ製ベンツであり、ひとまず安心。サンパウロ中心部を定刻に出発した。

運転手は2人いて、昼夜を通して交代での長距離運転で乗客を運んでくれた。

2人共、制服にネクタイのスタイルで、プロ然としての任務に当たっている。

1964年 筆者撮影

バス走行中に姿を現す山のふもとにへばりつく村落。

1964年 筆者撮影

緑の農牧地は、行程の3分の1くらいまでで終わり、その先は人家もまばらな高原の大地をひたすら走りつづける。途中、洗面所と簡易な給油所があるので、それだけは救いである、街灯はなし。 

夜間は、当然真っ暗な中を車のライトのみでフルスピードで進む。

1964年 筆者撮影

荒涼とした大地をひたすら走り抜ける!

1964年 筆者撮影

⼈気のないバスの休憩所とトイレ。

1964年 筆者撮影

飛行機のフライトでは、このような写真は手に出来ない。

1964年 筆者撮影

小さな町の休憩所とバル。

終点の休憩所とバル。1964年 筆者撮影

サルバドール・1 1965年

世界遺産登録以前に訪れた

ブラジル南東部に位置するサンパウロは、金融、物流、工業の南米一の集積地であり、ブラジルのダイナモである。

北東部には、サルバドール・デ・バイーアがある。ポルトガルのブラジルにおける植民地経営の最初の首都であり、その後、時代を通してブラジルに文化的影響を及ぼした。

サンパウロの事務所で、同僚に休暇でサルバドールを見に行くプランを告げると、皆一様に、わざわざそこまでという反応をした。繁栄のサンパウロに比べてブラジル北東部は貧しく、サンパウロへの出稼ぎの最大送り出し地域であるという印象上の位置づけが原因である

ブラジル・バイア州の⾸都、サルバドールのCidadeAlta(上の町)の世界遺産、
歴史保存地区。2の位置に Elevator Lacerda 。 4と 5の位置に Poulinho 地区.

ブラジル・バイア州の首都

サルバドールのCidade Alta(上の町)の世界遺産、歴史保存地区。
2の位置に Elevator Lacerda 。 4と 5の位置に Poulinho 地区。

それらの北東地方からの出稼ぎ人は、サンパウロの建築現場などで働き、かつかつで生計をたてている。

移民のルツボでありグローバル都市で生活する、パウリスタ(サンパウロっ子)は、後進的なブラジル北東部を見下していて、旅行先としての関心はきわめて低いことがわかった。

Nossa Senhora da Conceisao da Praia教会(手前)と Elevador Lacerda ラセルダエレベーター。(奥)

ラセルダエレベーターは下の町と上の町高低差70mを上下に結ぶ。
リスボンにある同様な昇降機を手本にして、1873年に完成。初期は、人力によるロープと滑車。その後動力は蒸気機関。1909年より電気モーターに。
1970年当時、観光客はまれで、車もすくなく、荷馬車がゆっくりと石畳を通行している。

⾺⾞に注⽬ 1964年 筆者撮影

馬車はなくなり車に置き換わっている。

ラセルダエレベーターを降りて振りかえると!

ラセルダエレベーターを降りて振りかえると!  1964年 筆者撮影

アフロ・ブラジルの独特な舞台装置がここにある。

ぺロウリーニョ広場、1963年ごろ撮影(下)。

サルバドール歴史地区で、最も歴史都市遺産を感じられる地区である。

ここにブラジルの基点となる⿊⼈⽂化のエッセンスが凝縮されている。

サンバ、カポエラ、カンドンブレ、これらブラジル特有の無形⽂化財は、サルバドールが起源であると多くのブラジル⼈が認めている。

突き当たりにCasadeJorgeAmadoがある。過って、ここはアフリカからの奴隷が取引された建物。現在はカーニバルをはじめ、多様なブラジルらしいイベントが⾏われ、魅⼒的な⼀⾓になった。

左端の教会が⿊⼈教会。Igreja Nossa Senhora do Rosario dos Pretos かっての⿊⼈奴隷達が、⿊⼈のために⾃ら建築を⾏って完成させた教会である。

1964年 筆者撮影

Igreja de Nossa Senhora do Rosario dos Pretos, Pelourinho, 

かっての黒人奴隷達が、黒人信者のために自ら建築を行って完成させた教会 
Igreja Nossa Senhora do Rosario dos Pretos

  1964年 筆者撮影

世界遺産登録後のCasa de Jorge Amado

アフロ・ブラジルの⾷⽂化

ここブラジル東北部の⾷べ物は、ブラジル南部とはとても異なるものである。ここ街中の屋台で⾷事をすると、はるか対岸のアフリカ⽂化の味がする。

アフロブラジル⾵⾷べ物屋台と⿊⼈⼥性

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