上海、蘇州 #3/6
1985

姑蘇城外寒山寺

「地図の説明」 寒山寺①は、蘇州駅②、北寺塔③の旧市街から西に約5キロメートルの京杭大運河の支流である楓江運河に沿ってある。

寒山寺①

寒山寺に沿って楓江運河がある。ロマンチックな名前の運河であるが、同時に地元民の生活運河でもある。

寒山寺という現在の寺名は、唐代の7世紀中ごろに、風狂の人寒山がこの地で草庵を結んだという伝承にちなむとされる。張継が、有名な「楓橋夜泊」を詠んだのは8世紀中頃のことである。確かに古刹である。

1985年 筆者撮影

寒々とした蘇州市外の寒山寺を1985年の江村橋の上から望む。とても良いフトォトスポットだ。

1985年 筆者撮影

幸いに日中戦争の戦火はまぬがれた。1940年映画『支那の夜」のテーマソング「蘇州夜曲」(西條八十作詞、服部良一作曲、李香蘭歌唱)に、この寒山寺が登場する。

山門はなく、この照壁の左右の隙間から境内に入るのがユニークである。寺院の正面が楓江運河に向かって西面し、従来の中国寺院の決まりとされる南面のレイアウトにとらわれていない。境内の建物の配置が融通無碍である。

〔写真下〕寒山寺照壁前の3人組。蘇州市のお役人さん(右)、筆者親友Y氏(中)、筆者(左)

1985年 筆者撮影

寒山寺境内に入って振り返ると、渡って来た江村橋が見える。
この空間構成が秀逸だ。

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

まず鐘楼に案内される。

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

除夜の鐘

除夜の鐘を聞きながら新年を迎える行事は、日本人の有志関係者により、1979年に始まったとされる。
以後、寒山寺では、毎年大晦日には除夜の鐘が鳴らされることになっているという説明があった。

3人組。蘇州市のお役人さん(右と左)、筆者(中)

1985年 筆者撮影

除夜の鐘と筆者1985年

七言絶句「楓橋夜泊」

中唐の詩人で政治家でもあった張継の七言絶句「楓橋夜泊」は、日本の学校では漢詩、漢文の授業で教わるので、広く知られている。この詩は都落ちした旅人が、蘇州西郊の楓江にかけられた楓橋の辺りで船中に泊まった際、旅愁のために眠れぬまま寒山寺の鐘の音を聞いたという様子を詠ったものとされる。この場所は北方から京杭大運河を伝い、蘇州に入城する際の基点になる位置であったのだ。

旅好きな筆者にとって、この漢詩「楓橋夜泊」は、時代を超えても心を打つ作品だ。早速拓本を購入した。

「楓橋夜泊」の碑 撮影筆者1985年

寒山寺境内独り占め。他の旅行者がいなく静寂な空間である。

1985年 筆者撮影

境内に屋根材を発見。素焼きで小型なグレー色の屋根瓦がこの地域の特徴である。

1985年 筆者撮影

お経を上げるお坊さん。

1985年 筆者撮影

1.寒山寺 2.江村橋 3.鉄鈴閣 4.楓橋 5.楓橋古鎮 6.楓江運河 7.京抗運河

古橋(楓橋、江村橋)
江村橋②

江村橋は、寒山寺直近の楓江運河に架かる橋で、多くの参詣客にとっては参宮橋にあたる。右の黄色い壁が寒山寺の外塀。

1985年 筆者撮影

楓橋④

楓橋は、寒山寺の北100メートルの場所に架けられた石造の太鼓橋である。京杭大運河から分岐した楓江運河が交わる水運の要衝でもある。この橋のふもとあたりで、張継が、七言絶句「楓橋夜泊」を詠んだと伝えられている。

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

自転車を引いて渡れるようになっています。

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

楓橋のふもとの女の子二人。
車では渡れないが、自転車は引いて渡ることが出来る。

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

運河の分岐点。奥が京杭大運河。

1985年 筆者撮影

鉄鈴閣と楓江運河
鉄鈴閣③

寒山寺境内北側の楓江の河畔、寒山寺側に築かれた古関。

明の時代に築かれた蘇州で現存する唯一の関門。京抗大運河から蘇州城内に攻め入る外敵軍団を、打ち払い防御するために造られた。

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

楓橋より蘇州城内を望む

1985年 筆者撮影

楓橋古鎮⑤と北寺塔

アーチ橋である楓橋のてっぺんより蘇州市内を遠望。
橋の袂には寒山寺北側に楓橋古鎮⑤が広がっている。(手前)
遠景は、報恩寺の北塔③、9層76mが6km先に、蘇州のアイコン然としてそびえている。1985 年当時、この南宋時代に建てられた塔をさえぎる建造物はない。絶景かな︕

1985年 筆者撮影

楓江運河⑥

護岸の階段を通して、荷物の揚げ下げをする運搬船. 

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

若い女性が、土砂を人力で陸揚げしているようだ。かなりの力仕事だ。

1985年 筆者撮影

京杭大運河⑦

限りなく連なる物資運搬船!

この先で当時の交通の大動脈である京杭大運河に合流する。

1985年 筆者撮影

船荷は石炭のようだ。

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

運搬船の渋滞が起きていますね。

1985年 筆者撮影

1985年 筆者撮影

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