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オーストラリア 1989
厳しい検疫
シドニーの空港では、今まで訪れたどの空港よりも厳しい検疫措置を実施していた。植物、動物、動植物でできた物品、特定の⾷品(例︓乳製品、⿂・⿂製品、蜂蜜、⾁・⾁製品等)など、広範囲の物品が対象になっていて驚いた。
過去において外来の動植物の持ち込みで、オーストラリアの固有の動植物が絶滅した為である。害⾍や病原体の侵⼊を防ぎ、オーストラリアの環境および動植物や⼈々の健康を守るために、厳しすぎるほどの検疫や通関⼿続きを⾏っている。
機内では、空港に着陸態勢に⼊る前にフライト乗務員が、あろうことか、乗客の頭越しにスプレーする消毒液みたいなものも、到着後の厳しい検疫の前触れみたいなものだったのだろう。
シドニー、ザ・ロックス
シドニーのザ・ロックスは、オーストラリア最初の⼊植地点である。当時の⾯影を残す倉庫街やテラスハウスが⽴ち並ぶ港と坂の趣のある街だ。シドニー観光でオペラハウス、ダーリングハーバーと並んで多くの旅⾏客が訪れる場所である。

シドニー、ハーバーブリッジ
シドニーの都⼼と湾の対岸を結ぶ巨⼤な鉄⾻アーチ橋。

1989年 筆者撮影
ザ・ロックス
ザ・ロックスは、ヨーロッパの⼊植者が1788年に上陸をした場所として、シドニー誕⽣の地と⾔われている。ザ・ロックスには、粗野で騒々しい囚⼈や兵⼠、⽔夫、街のギャングなどの本国では排除された植⺠者が住んだ歴史的地区である。英国からの囚⼈の移送は1840年に終焉を迎えている。今ではこのザ・ロックスは、シドニーの観光名所になっている。

1989年 筆者撮影
ザ・ロックスの歴史地区の上を横切るシドニー橋。この巨⼤なシドニー橋建設により、橋のたもとにあったオーストラリアで⼀番古い植⺠地時代の名残りを残すロックスの町並みは、その⼤半が失われてしまったとの事である。
シドニー橋, 1923年着⼯、1932年完成.

1989年 筆者撮影
ザ・ロックスのメインストリートの先に、シドニーハーバーブリッジが⾒える。

1989年 筆者撮影
ザ・ロックス。⽯造りの建物や開拓時代を思わせる倉庫やテラスハウスを改装したカフェやショップ、⽯畳の⼩道など、古い街並みが美しいロックスを楽しむのには「てくてく」と歩くのが⼀番︕

1989年 筆者撮影
旧倉庫や旧集合住宅のような建物が残っています。ホテルの客室から撮影

1989年 筆者撮影
ホテルの客室から撮影

1989年 筆者撮影
ホテル周辺のザ・ロックス中⼼街。シドニーの観光の⽬⽟としては、⼈が少ない。

1989年 筆者撮影
シドニーでの宿泊はザ・ロックス OLD SYDNEY PARKROYALに予約をした。インターネットが無かった時代、どのようにこのザ・ロックスのど真中のホテルを探し当てたのかは覚えていないが、このホテルを選択したのは⼤正解であった。
ホテル基準階のスケッチ。

ホテル客室のスケッチ。

Rydges Sydney Harbour
客室階から湾の対岸に世界遺産のシドニーオペラハウスを臨む。

1989年 筆者撮影
教会の尖塔とシドニー湾。

1989年 筆者撮影
ホテルからシドニー都心がバッチリ。晴天である。

1989年 筆者撮影
ホテルからシドニー・ハーバーも望映レンズでバッチリ。

1989年 筆者撮影
建物の隙間からシドニー湾。ホテルから写す。

1989年 筆者撮影
建物の隙間からシドニー湾。ホテルから写す。

1989年 筆者撮影
都⼼からザ・ロックス地区の出⼊り⼝に構えているデューティーフリーの店舗。⽇本⼈旅⾏者が良く利⽤している。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
ゴールドコーストへ
この⽇の⼤失敗。
シドニーから次の⽬的地は国内線でゴールドコーストである。このシドニーの出発空港でありえない事が発覚した。空港チェックインで、スタッフから我々2⼈の航空券の⽇付が昨⽇になっていることを告げられた。航空券が失効していたことになる。
どのような説明をしたかは覚えていないが、ひたすらネゴの結果、搭乗OKになり、⽬的地に予定通り⾏けることになった。国内線であったことも幸いしたのだろう。
オーストラリア国内航空,EAST-WEST、DC10機である。前部に備え付けられた階段を搭乗する前に、記念撮影。

1989年 筆者撮影
ゴールドコーストの空港に着陸態勢となる。席を立って海岸沿いの美しい鳥瞰写真を撮ろうとしたら、体格の良いオーストラリアの女性乗務員に、罵倒をあびせる様に怒られ、撮影を断念 !!

1989年 筆者撮影
ゴールドコースト直近の空港は、東南アジアの地⽅都市にある空港よりも、さらに⼩さな空港であった。空港の名称は、COOLANGATTAで、オーストラリア先住⺠の⾔葉で「良い眺めの地」と⾔う意味だそうだ。1989年当時はまだ国際空港ではなかった。10年後の1999年に名称がゴールドコースト空港に変更され、同時に国際空港となり、その後利⽤者が爆発的に増加した。

COOLANGATTA空港 1989年 筆者撮影
ラマダ ゴールドコースト
チェックイン後、部屋から眺めたゴールドコーストの海岸.

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
海岸沿いに沢⼭の⻑期滞在⽤の建物。

1989年 筆者撮影
1980年代に、⽇本のバブルが膨らみだすと、不動産業者からの投資が活発に⾏われるようになり、これら多くの⾼層マンションが建てられるようになる

1989年 筆者撮影
ロビーの前はサーファーズパラダイスの海岸である。

1989年 筆者撮影
ラマダホテル基準階のスケッチ

ラマダホテル客室のスケッチ。3っつのベッド、⾯積は35m2ぐらい。

ラマダホテル客室

1989年 筆者撮影
ゴールドコーストの⽇本料理店
ゴールドコーストの街中を案内してもらうと、⽇本料理屋さんが多いことがわかった。広い敷地に庭園を持った豪華なものもあった。将来オーストラリアに観光客が増加するのを⾒越して、先⾏投資をしているのかもしれなかった。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
このお店「⼭⽞」さんは、シンガポール・オーチャードにある店と同系列であるとのことだった。筆者は過って、オーチャード通りのビルの屋上にあった店には、よく⾷事に⾏っていたので、近親感があり、このなかに⼊ってみた。給仕をしてくれる⼥性たちがすべて着物を着こなしたオーストラリアの⽩⼈で、この感じは初めての体験で、とても場外観を感じたものだ。注⽂は英語と⽇本語のチャンポンで通じるので、この点では違和感がなかった。

1989年 筆者撮影
岩を配した⽇本庭園。

1989年 筆者撮影
知⼈経営の⽇本料理店。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
サーファーズパラダイス
ANAホテル ゴールドコースト

1989年 筆者撮影
ゴールドコーストの市街地

1989年 筆者撮影
ゴールドコーストのフードフードコート

1989年 筆者撮影
コートゴールドコーストのフードコート⽇本⾷お持ち帰り

1989年 筆者撮影
賑わう街⾓。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
ゴールドコースト⽬抜き通りの免税店 DutyFreeShoppers

1989年 筆者撮影
海外移住者の優雅な住宅と⽣活
1980年代後半になると、⽇本国内はお⾦がだぶつき、空前のバブル状態だった。富裕層は海外に不動産を買いあさっている時期であった。機会があって連れて⾏ってもらったこの家屋も、⽇本⼈所有の凄い物件であった。
ゆったりとした前庭に数台各々の⾞を⽌める充分のスペースがあった。

1989年 筆者撮影
住宅の裏側には⾃然のクリーク、⽔辺の空間が広がり、個⼈所有のポートが桟橋に繋がれている。ここからいつでも気が向いたときに、エンジンをかけ⼊り江を抜け、外洋に出航することが出来る。

1989年 筆者撮影
早朝おにぎりを作り出航の準備が整った。⽇本⼈の永住者と、その訪問者の⼥性たちのグループ。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
地元オーストラリアのキャプテン達が、遠出クルージングの準備。

1989年 筆者撮影
フィッシングに出航
天然⼊り江の周辺、住宅や⾼層マンションに囲まれている。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
奥まった静かな⼊り江をゆっくり下り、外洋を⽬指す。

1989年 筆者撮影
沖に出て釣りをする
外洋の沖に出た。幸いに快晴の朝である。サーファーズパラダイスの建物群が⼀望できる。朝⾷のおにぎりをいただく。この海⾯下には⼈を襲うサメが沢⼭棲息している。

ゴールドコースト海岸 遠景 1989年 筆者撮影
オコゼを釣り上げた︕
オコゼは背びれに棘があり、ここに毒がある。この棘に刺さってしまうと激しい痛みと痺れと格闘する事になるとのことだ。⼿に背びれのトゲが刺さらない様、取り扱いの際には注意しながら、背びれの棘をハサミで切り落とす。

1989年 筆者撮影
背びれがきれいに切り落とされた。これで安⼼である。この⿂「オコゼ」の味はとても美味と⾔われている。

1989年 筆者撮影
⾒た⽬はとてもパンチが効いていますが、味はとても美味と⾔われている「オコゼ」。

1989年 筆者撮影
サメも釣れた
オーストラリア⼈の釣り⼈がサメを釣り上げました。そのまま船上に釣り⽷で上げるのは危険です。

1989年 筆者撮影
船にはそれを⾒越して鎌状の道具が置いてあり、それで突き刺し船上デッキに揚げます。

1989年 筆者撮影
サメは断末魔の時に、ものすごい⾳(声)を出します。聞いたことが無い「ゲーゲー」と不吉な⾳(声)である。静かになったところで、噴出した⾎を洗い流します。

1989年 筆者撮影
(⼦供のサメか︖)それにしても、引き上げてみると意外に⼤きい︕

1989年 筆者撮影
砂漠の⼤陸
帰途は、⼀旦シドニーに戻り、そこからシンガポールをめざした。離陸後し,1時間もしないうちに、⼤地の緑がなくなり砂漠地帯になる。機上から観察し続けていると、雲を⾒かけることは無く、乾燥した⾚茶⾊の⼤地が⾶⾏4時間にわたり続いていた。この⼤陸の⼈間が住める領域は、国⼟の20%ぐらいであろうか。。。