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ブラジル長期滞在の記 #7/15
ブラジリア
海外渡航、1962年
サンパウロからブラジリアまでは約1000キロ、片道18時間半のバスの長旅となった

サンパウロからブラジリア 陸路移動

筆者撮影
サンパウロからブラジリアへの幹線道路。いくつかの地⽅都市を抜けて⾏くにつれ、町の様⼦がだんだん貧しくなってゆく。

筆者撮影
そして下の様な西部劇のカーボーイタウンさながらの休憩場を見ながらバスは行く。

筆者撮影

筆者撮影

筆者撮影
幹線道路は拡張工事がいたるところで進行中である。

筆者撮影
ブラジルの国土の広さを実感 !

筆者撮影

筆者撮影
ブラジリアのバスターミナルへ着いた。
学⽣時代から憧れていた新⾸都ブラジリアに到着。
1950年代後半の設計になる建築デザイン、今⾒てもとても近代的である。

筆者撮影

筆者撮影

筆者撮影

筆者撮影


50年後のブラジリアバスターミナル

ブラジリアの都市と建築
フランスの著名な建築家ルコルビジェは、1936年にはブラジルの都市計画家ルシオ・コスタの招聘を受け、ブラジルに滞在し、オスカー・ニーマイヤーと共に、リオデジャネイロの旧教育保健省庁舎の設計に携わった。後期の代表作フランスの『ロンシャンの礼拝堂』(1955年竣⼯)は、カニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、シェル構造の採⽤など鉄筋コンクリートで可能になった⾃由な造形を⽰している。ここブラジリアでは、従来主張していた近代建築の指標である機能性・合理性だけでなく、それを超える新たな表現に達した。ルコルビジェに触発され、ルシオ・コスタが都市計画を、オスカー・ニーマイヤーが建築設計を担当し、ブラジルの新⾸都ブラジリアが出現することとなった。

連邦政府国会議事堂。ブラジルのオスカーニーマイヤーが携わった建築物。
1987年世界遺産に登録
プラナルト⼤統領宮殿
1987年 世界遺産に登録


1960年代半ば、まだ未完成のブラジリアのカテドラル
ブラジリア都市計画基本プラン。
⾶⾏機の両翼の付け根にあたる場所に、⾼速道路直結のバスターミナルがある。
この結節点の南の軸線上に都市の⼼臓部。この区画に国会議事堂、⼤統領宮殿、カテドラルなどシンボリックな建築を配している。東⻄⽅向の⾶⾏機の両翼にあたるゾーンには、⾏政機関が配され、その補助部⾨も付随している。


⼈⼯の湖にかこまれた計画的な⾼級住宅地区。
ブラジルの国⼟は、⽇本の20倍もあることは良く知られている。
主要都市は⼤⻄洋側の海岸部に集中し、内陸の開発がなかなか進まなかった。そのため海岸部のリオデジャネイロから⾸都を国⼟の中央部に遷都する案が永年唱えられてきた。
1956年ジュッーセリーノ・クビチェック⼤統領により遷都決定。
1960年に完成。
筆者が訪れたのは、その8年後であったが、⼼臓部に完成した建築群は、充分に輝きを保っていた。
しかし、都市的には、⼈間のスケールをはるかに凌駕した印象であった。
その後、都市の成⻑の過程で、当初の計画からはみでた、機能的に必須な⺠間サービスセクターが、無秩序な市域の拡⼤を起こし今⽇に⾄っている。敢て⾔うならば、都市住⺠の⽣活に密着した様々な商業、サービス業のアメーバ状の増殖に対しての計画的な配慮に課題があることを発⾒しただけでも、この「輝ける都市」を訪問した価値があったと思っている。

50年後のスプロールしたブラジリア

無秩序に拡⼤した郊外住宅地