ジャワ島鉄道録 1984年

ジャワ島鉄道録 
1984 年

東ジャワ州クデリ

スラバヤから車で出発し、南西に130キロほど行ったところで、クデリという大きな町に遭遇した。東ジャワ州では、スラバヤに次ぐ第二の経済規模であるそうだ。その理由は、巨大な煙草工場と数々の精糖工場があり、この町の雇用と経済を支えている。

巨大な煙草工場では、インドネシア売り上げ第一位の紙巻煙草「グダン・ガラム」を製造している。この周辺一帯で大規模な煙草の葉が栽培されているためだ。1958年設立で、現在では4万人の従業員が雇用されている。
筆者がこの大工場をたまたま訪れたのは昼食時で、沢山の女工さんたちが工場前で昼休みを過ごしていた。まさに人海戦術で煙草を生産している様だった。

東ジャワ州の朝霧の中、鉄橋を渡る長距離列車。

偶然発見!砂糖精製工場 Meritjan Sugar Factory 

一方、スラバヤでの仕事の合間にクディリ市を訪れた時に、この町のはずれに、偶然にもこの砂糖工場を発見した。この地域は、東ジャワ州の大河ブランタス川の流域で、植民地時代から大規模なシュガープランテーション農場が周辺に存在している。

エコな工場、サトウキビの絞りかすを燃料にプランテーションから収穫し、ヤードに集結されたおびただしいサトウキビ。

1984年 筆者撮影

サトウキビの絞りかすを燃料にして蒸気を作り、サトウキビを工場まで運搬する蒸気機関車。 これは究極なエコ運搬といえないだろうか︖ 

1984年 筆者撮影

オランダ植民地由来、100年の歴史を刻む蒸気機関車が現役であった。1984年

1984年 筆者撮影

このヤードは、鉄道ジオラマを実物大にした様で、圧倒感がある。
教育観光資源としての価値が大有りである。が、当時は訪れる人は完無であったので、自由に歩き回れてこの雰囲気を独占できた。

1984年 筆者撮影

このほか、製糖工場の専用線や森林鉄道などが、巾600mm,700mmなどのナローゲージで多数存在する。

1984年 筆者撮影

運転手から許可を得て機関車に試乗する筆者。1984年。

1984年 筆者ガイドさん撮影

高原都市バンドン

バンドンは、標高768mの盆地にある西ジャワ州の首都であり、文京都市として知られている。筆者は仕事でこの高原都市を、ジャカルタから鉄道を使い頻繁に往復した。蒸し暑いジャカルタからバンドン駅に降り立つと、気温は5℃ほど下がり、通年快適さを手にすることが出来た。

西ジャワ州バンドン駅
資料を調べてみると、インドネシアの鉄道はオランダ設立の蘭印鉄道会社により、1864年に建設を始め、1864に運行を開始した。日本の新橋 –横浜間の開通は1872年なので、日本より8年ほど鉄道開業が早かったことになる。
1884年にジャカルタ –バンドン間の鉄道が開通

バンドン駅の駅舎
ホームから駅舎までの通路は地面階にあり、日よけ雨よけのため屋根が架けられている。その下を列車が潜り抜ける。

1984年 筆者撮影

乗り場から乗り場へは線路を横切って通行する。味のある駅舎である。正面に改札口がある。

1984年 筆者撮影

バンドン駅ホーム。本数の少ない列車をゆったりと待つ乗客。

1984年 筆者撮影

インドネシア鉄道の目玉!

チクバン鉄橋

CIKUBANG鉄道橋は、PADALARANG駅とCILAME駅の中間に架かる。高低差800メートルを、くねくね曲がり距離を稼ぎながら鉄道が施設されているのが解る。

筆者は顧客であるバンドンの大手デベロッパーへの設計図書プレゼンや打ち合わせで、この鉄道橋を、少なきとも10回は渡ったと思う。

ヂーゼル列車はこの橋に懸かる前、必ず速度を落とし慎重にゆっくり渡り、渡り終わると再び徐行からスピードアップを繰り返していた。

1984年 筆者撮影

インドネシア最長の鉄道橋CIKUBANG鉄道橋。
全長約300M。 高さは川面より80M。1906年より使用。
1953年に鉄骨逆アーチ梁を、ジーゼル機関車運行のため追加し補強。
鉄骨の橋脚と反転アーチの融合した構造体が美しい。いつまで見入っていても、飽きることは無い。後世に残したい鉄道遺産である。

山岳地帯をぬって施設されたジャカルタ・バンドン間の非電化単線のジャワ鉄道。
1984年 筆者撮影

1984年 筆者撮影

橋脚の上の鉄路の両サイドには覆うものが無いので、車内からはあたかも空中を進行している感じでスリルがあった。ただし車内からは橋そのものの構造物が見えないので、いつか時間を作り外から見たいものだ、と思っていた.

その後、ジャカルタ・バンドン間に高速道路が開通したので、路肩に車を止めて、しばらく草ぼうぼうの小道をたよりに歩き、撮影ポイントを探し回った。CIKUBANG鉄道橋は車内から想像していたよりはるかにダイナミックな構造体であった。

1984年 筆者撮影

1984年 筆者撮影

この鉄骨橋を渡りきると、すぐさまトンネルに突入する。トンネルを出てしばらく下るとバンドン市がある高原の盆地に至る。

1984年 筆者撮影

駅隣接の操車場は露天の鉄道博物館

キアラコンドン駅と操車場

筆者の顧客であったバンドンの大手デベロッパーの依頼で、彼らの開発予定地を見に行くことになった。それはバンドン市郊外にある駅の構内で、半分放置された様な敷地であった。そのため、あたかも露天の鉄道博物館の様なこの敷地を検分することが出来き、記録に収めた。この鉄道路線は1894年にジャカルタ・スラバヤが全通の歴史あるジャワ島の幹線である。

陸橋より。遠方がスラバヤ方面。非電化なのでスッキリした写真になる︕

KIARACONDONG駅とその構内。2006年7月筆者撮影。

バンドン市内にあるKIARACONDONG駅舎。
バンドン駅から東方面へ一駅目にである。

KIARACONDONG駅入口。2006年7月筆者撮影

KIARACONDONG駅とその構内。列車の色は60年前の湘南電車?か

KIARACONDONG駅とその構内。2006年7月筆者撮影。

左方向はスラバヤ。右方向はジャカルタ。

KIARACONDONG駅とその構内。2006年7月筆者撮影。

スラバヤ、ジャカルタ方面時刻表。急行は止まらず一日4本程度。

KIARACONDONG駅とその構内。2006年7月筆者撮影。

手動の信号機。

手動の信号変換装置。2006年7月筆者撮影

手動のポイント切り替え装置。2006年7月筆者撮影

手動のポイント切り替え装置。2006年7月筆者撮影

KIARACONDONG駅構内。地面に水平に置かれ保存されている鉄塔。

2006年7月筆者撮影

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