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スラバヤと郊外の避暑地
1983年
スラバヤ

フライト機材はDC9!
ジャカルタ・スラバヤ間は国営ガルーダ航空で約1時間強のフライトで機材はDC9が多用されていた。エンジンは胴体の後方に2つ付けられているタイプであった。着陸間際に積乱雲の下に入り、嵐の中で揺れながら着陸態勢に入ったときは気持ちが良くなかった。DC9は1965年に供用が始まり、1982年で製造が打ち切りになった。
スラバヤ・ジュアンダ空港に着陸態勢に入った DC9機の窓からの眺め。豊饒な水田が広がっていた。

1983年 筆者撮影
ジュアンダ空港
スラバヤの空港が国際化される1990年以前は、ジャカルタで国内線に乗り換えてスラバヤに行く必要があった。仕事のために10往復以上、時間の無駄と煩わしさを強いられた。
スラバヤ・ジュアンダ空港のターミナルビル到着出口。(写真1983年)

スラバヤ・ジュアンダ空港, 1983年 筆者ガイド撮影
ブミ・ハイアットホテル
1983年当時、スラバヤで唯一の国際級ホテル。

1983年 筆者撮影
スラバヤ市の真ん中を流れる川に架かる橋。
そのふもとでバラックを建て過ごす市外から来た出稼ぎ住民たち。
このような光景はめずらしくはなかった。背後には建設中のホテルの建築。

1983年 筆者撮影
オランダ時代からのスラバヤの鉄道駅舎。タイムスリップ感がある。

1983年 筆者撮影
跨線橋に上ると、貨車の操車場が広がっていた。

1983年 筆者撮影
スラバヤ市内の密集した住宅地。全般的に屋根の傾斜が急である。オランダの家の屋根との類似性が見られる。「SHARP」の広告物が唯一の新しく造られた異物感として存在している。

1983年 筆者撮影
スラバヤの目抜き通りを奥に入ると自動車のない世界が広がっている。
そこのは客待ちの人力車が木陰に駐車している。
貨物を運ぶ自転車が動いていて、ここにもタイムスリップ感が感じられる。

1983年 筆者撮影
東ジャワ州
スラバヤはインドネシア第二の都市であり、物なりの良い東ジャワ州の首都である。南緯7度の港湾熱帯都市で、通年暑さを逃れることが出来ない。
1983年当時は、エアコンのあるホテルを除いて冷房の効いたショッピングモールはまだ存在せず、週末の外出はフライパンの上に居るようだった。
そこで毎週末は、スラバヤ南郊60kmのアルジュナ山の麓にある高原地帯に行くことにした。

スラバヤの郊外を行く
スラバヤの市街の南郊は湿地帯になる。塩田や大規模な海老の養殖場が海沿いの湿地帯に広がる。

1983年 筆者撮影
この付近で製造されるカマボコが地域の特産品になっていて、インドネシアでは良く知られている。

1983年 筆者撮影

1983年 筆者撮影

1983年 筆者撮影
ブランタス川
この東ジャワ州の大河、ブランタス川の海に近い下流域は、うっそうとしたマンゴローブ林に覆われている。多種の生き物の生息する汽水域である。

1983年 筆者撮影
このジャワ東部の大河、ブランタス川を渡り南進すると湿地帯から、山岳高地に入る。写真正面の秀麗なアルジュナ山(3239m)の裾野(写真右端)に車を進めると、過ってこの地に栄えたマジャパヒト王国の遺跡がある。
仕事でスラバヤに頻繁に滞在を繰り返していた時期に、このような遺跡があると聞き、このインドネシアにあった中世ヒンズー王国の検分にしばしば訪れることにした。1980年代前半のことである。
ブランタス川とアルジュナ山

1983年 筆者撮影
アルジュナ山

1983年 筆者撮影
アルジュナ山

1983年 筆者撮影
東ジャワ州の避暑地

スラバヤは1年を通して、とにかく暑い町である。仕事で短期滞在中、週末は冷気を求めてアルジュナ山の麓にある保養地に出かけ英気を養うことにした。
このような高地がスラバヤから50kmぐらいの所にあったのが幸いであった。

1983年 筆者撮影
高地リゾート・トレテス(Tretes) への坂道で、採れたてのジャックフルーツを売る地元の農婦。

1983年 筆者撮影
アルジュナ山を目指して小さな村々を抜けて行く。

1983年 筆者撮影
避暑地トレテス(Tretes)
植民地時代にオランダ人がリゾートとしたのが起源である。
トレテスは標高850mの山裾にある(写真下)。年間を通じての気温は18℃から26℃で絶好の避暑地である。以前はオランダ風木造の別荘が沢山あったらしいが、保全が良くなく朽ちてしまい、ヨーロッパ風の建物はもう無かった。
筆者が訪れた1980年初頭は、この避暑地を訪れる人は少なく、近代風ホテルやしゃれたリゾート風ヴィラはなく、ローカル風の家屋が宿を兼ねていた。

1983年 筆者撮影
肉団子入りスープ麺
避暑地のヴィラの前には、時々下写真の様な売り子さんが廻ってくる。
ホテルから前の通りに出て路上で食べるローカルな簡易食は、結構おいしいものだ。

1983年 筆者撮影
保養地のホテル。

1983年 筆者撮影
山の清水が水場に引かれていて、女神像から溜池プールに注がれている。インドネシアでは87%がイスラム教徒である。イスラム教は偶像崇拝を禁じている。
インドネシアがイスラム教化する前からあったこれらのヒンズー教由来の遺跡の女神像は、この地域の地元民の中に生き続け、その機能を果たし続けている。これから感じられることは、インドネシアの宗教に関する懐の深さであり、興味深い。

1983年 筆者撮影
ここトレテスの高原保養地は、都会から訪れる人は少なく、ましてや外国人などはほぼ完無であった。この山からの清水を湛えた冷たいプールは、野良仕事後の地元民専用の夜の憩いの遊び場だったといえる。

1983年 筆者撮影