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インド紀行 1989
#4/13
デリー
1989年2月4日 エアインディア AI428 ボンベイ発07;15 デリー着09;05
インド第一の商業都市ムンバイ(当時はボンベイ)と首都ニューデリーを結ぶ空の国内幹線の機材は、かって筆者が1968年に、モスクワからシベリア上空で乗ったような、再び乗りたくないロシア製(失礼)であった。機内のサインは堂々とロシア語もある︕
当時の統計によると、この巨大な国土と歴史豊かな観光地を有するインド全体のインバウンド客が、歴史的な観光地がほぼないに等しいあの小さな都市国家(失礼)、シンガポールより少ないということがわかって、観光産業とそれに影響を及ぼす国際情勢について考えさせられた。
首都デリー DELHI
インドの首都であるデリーは、二つのはっきりした性格が違う街区に分かれている。
オールドデリー市街地 (オレンジ色)
1648年、アグラから遷都され、ムガール帝國の首都となった。1857年に城下町として整備され、市街地は城壁で囲まれ、たことが、下図のスケッチを通して理解することが出来る。
ニューデリー市街地 (イエロー色)

イラスト筆者作成
イラスト筆者作成オールドデリー市街地拡大図。
人口が増えるにしたがって、初期に建てられた大きな「Haveli」(後述)と呼ばれる商館や邸宅が細分化され、今日のオールドデリーが形成された。
車が入れずとも、ロバと牛や人間が通行するに充分であった昔ながらの曲がりくねった道路が今でも迷路のように存在する。こんなところで迷子になったら大変なことになりそうだ。戦後のインド・パキスタン分離政策によりパキスタンやカシミールからの難民の受け入れにより、そのまま大量の人口圧力を受けるにいたった。そして想像を絶する過密混雑都市となった。
レッドフォートの入り口広場から西方向に軸線として、チャンドニ チョーク街が形成されている。巨大なフライデイモスク、JAMAMASJIDはレッドフォートの南西に位置している。(下地図、迷路のような道路)

イラスト筆者作成
レッド・フォート REDFORT
世界文化遺産
1639年から1648年までに、約9年間の歳月を掛けて、インド・イスラミック(ムガール)様式の巨大な城郭が建設された。ムガール朝帝王、シャージャハーンは完成後、アグラからデリーに遷都を行い、この城はその後大英帝国の手に落ちるまで、200年にわたり、ムガール朝の皇帝の居城として機能した。
この巨大なインド特有の赤色砂岩の城壁が作られていたころは、日本では徳川時代前期に相当し、鎖国令により長崎に出島が作られていた時期に重なり合う。
現在は、レッド・フォートはインド近世史を体感できるオールドデリー最大の観光スポットである。

1989年2月 筆者撮影
城郭西側、ラホール門。 城内には沢山の歴史的建造物と庭園がある。

1989年2月 筆者撮影

1989年2月 筆者撮影

1989年2月 筆者撮影
チャンドニチョーク街 CHANDNI CHAWK
訪問初心者としてオールドデリーを語るとき、外せないのがチャンドニチョーク街である。 東西に一直線伸び、東の突き当たりがレッドフォート、西の突き当たりにモスク、中間地点にオールドデリー鉄道駅への入り口広場(Moonlight Square)がある。この鉄道駅から長距離列車がインド各地方に運行している。
チャンドニチョーク街の軽飲食店。
(デリー風居酒屋)
テントの下に裸電球、壁にかけられた文字盤。中世のインド世界の雰囲気が、あたかもこうであったろうという感じをかもし出している。

1989年2月 筆者撮影
人口が増えるにしたがって、初期に建てられた大きな「Haveli」(後述)とよばれる商館や邸宅が、なし崩し的に小さな商店や食堂に細分化され、今日の超過密オールドデリーになった。

1989年2月 筆者撮影
“Haveli”
「Haveli」と呼ばれる商館や邸宅。立て込んだ街区の中において、中庭があり、プライベートで風通しのよい空間になっている。ゆたりとした造りになっている。


オールドデリー鉄道駅。
プラットホームで一夜を明かす乗客。ここで睡眠をとり次の日早朝、鉄道大国インドの各遠隔地に出発する。こうすれば宿代を節約できるのだ。デリーの冬は寒いので、乗客は毛布を持参している。インドは何でもありである。
ガイド氏と明日のジャィプール行きの切符をチェックしに行ったときに、この光景に遭遇し撮影した。

1989年2月 筆者撮影
冬のデリーは、夜と早朝の野外が、吐く息が白くなる程まで気温に下がる。
プラットホームで一夜を明かす乗客

1989年2月 筆者撮影
デリー旧市街を馬車で移動する人々。
乗り合い馬車が移動の手段。

1989年2月 筆者撮影
こちらは乗り合い軽三輪車。

1989年2月 筆者撮影
ジャマ・モスク
FRIDAY MOSQUE、 JAMA MASJID
ムガル帝国の創始者バーブルは中央アジア出身で、彼がティムール朝の中央アジアにおける没落を機に現在のアフガニスタンからインドに進入し、第二次ティムール朝と言えるこのムガール帝国を建国した。
3つのドーム、2つのミナレットを有し、収容人数・2万5千人の巨大なモスク。 ムガール帝国王、シャー・ジャハーンによって17世紀中ごろ完成した。

夕暮れのオールドデリーのフライデイモスク。
正面入り口階段で門を入ろうとしたところ、どこからとも無く守衛の兄ちゃんが出現、入場を拒まれた。
このムガール帝国の荘厳なモスク内部を見たかったのに。残念。

ガイドさん撮影
オールドデリーを出て、南接するニューデリーに入り巨大なインド首都の庁舎の建物群を見ながら、さらに南郊に進む。そして下記のすごい世界遺産に至る。
QUTUB COMPLEX
右側のALAI MINAR塔〔下図右側〕はその倍の高さで計画されていたが、2.5mの高さに到達したところで放棄されている。
後に世界遺産になったクトッブ・ミナールは下図左側にある。

クトッブ・ミナール
QUTUB MINAR(victory tower)
ユネスコ世界遺産
デリー南部郊外にあるイスラム教モスクの敷地の一角にあるミナレット。
高さ72m、直径は 下部で18m、頭頂部2.7m。
永年の地盤変化により、わずかに傾斜している。1981年の落雷で、内部の階段が停電し中にいた人々が、人なだれにより300人以上の死者を出した。その後は内部には入ることが出来ない。
礼拝を呼びかける尖塔で、最上部まで3百段以上乗らなければならないそうだ。
この塔は、既存のヒンズー教の建築の敷地の中に、1192年に着工され1220年に完成した。レンガ造としては、世界最高のミナレットである。現存するインドイスラム建築の黎明期の作品である。1993年にユネスコ世界文化遺産に登録された。
以下は世界文化遺産に登録される4年前のクトッブ・ミナールの写真である。

1989年2月 筆者撮影
1993年にユネスコ世界文化遺産に登録された。


1989年2月 筆者撮影
この5層のミナレットの下層部の周囲は円柱と角柱が交互に連なり、総体としての円柱を形づくっている。この造形手法は、太陽光によって生まれる塔本体の陰影の効果を的確に計算に入れた宗教建築上の傑作である。
下の写真は、マレーシア クアラルンプール ペトロナスタワーズである。設計者はアメリカの著名な建築家シーザー・ぺリである。
彼はこのクトッブ・ミナールのミナレットから、イスラム調のデザインのインスピレーションを得た、と思われる。

世界遺産の修復現場
世界遺産の修復は、機械を使わず、古来のやり方で︕

1989年 筆者撮影
中世さながらの工具と工法で建物の補修を行う職人集団。
機械はなく、まして重機もなしに、ただただ人力で、ひたすら大人数で。
そして屋根なし地面が工房である。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
この部分はヒンズー施設を征服後、作られたイスラムの宗教建築である。
そのため、ヒンズー風とイスラム風様式が混在している。保存さている列柱の造形デザインは、ヒンズー風オリジナルが残っている。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
あさ7時デリー駅出発、ジャイプールにむかう
踏み切りで、列車通過を待つ地元の人々。窓には進入出防止の鉄格子。
急行列車の窓のカーテンは、かなり使い古され汚れが目だっていた。

1989年 筆者撮影
途中停車駅のプラットホームで、人に混じって売店の前に牛さんが︕
これこそインド︕

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
ジャイプール駅に無事到着
デリー7時発。ジャイプール11時着、約250kmを4時間で。
長距離急行列車の寝台車。(3段ベッド)

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
デリーからの急行列車で、ラジャスタン州のジャイプールに到着した。
列車を降りると、どこと無くターバンを巻いたポーターたちが現れ、我々2人分のスーツケースを運んでくれる。当時はキャスター付きのキャリーケースがまだ無かった時代である、このような少額チップで得られるポーターサービスがインド旅行では有難くもあり、必須でもあった。

1989年 筆者撮影
二つのスーツケースを頭に載せ、二つの荷物を手に抱え、陸橋を渡るポーターさん。これには本当に助かる。

1989年 筆者撮影
列車の屋根の乗客
昨夜のオールドデリー駅には、汽車待ちで仮眠を取る乗客が、ホームの地べたにべったりと寝ていたが、この写真は翌日ジャィプール駅の陸橋を渡っていた時に目にした光景である。一人で屋根に乗っている乗客は、この駅では降りず、まだこの先まで行くらしい。おそらく無賃乗車であろう。まさにインドは何でもありだ。

1989年 筆者撮影
ジャィプールの駅前で、出迎え人を待つ女性。

1989年 筆者撮影
駅の出口で待機していた旅行会社のガイドさんと無事落ち合い、車で街に向かう。駅に迎え人が居ない場合、タクシーやオート三輪の大勢の運転手たちに囲まれ、大混乱になる。こういったストレスは避けるに越したことは無い。