ダッカ, バングラデシュ 2011-2014 #1/3

ダッカ, バングラデシュ
2011~2014
#1/3 

ダッカのエアポート

2度目のインド旅行で、シンガポールからネパール・カトマンズを目指して、エアインデイアに乗り込んだ。1991年1月9日のことであった。当時のフライトは、カルカッタ(現コルカタ}へ入るには、ダッカ経由とのことであった。

バングラデシュの首都ダッカに着いて駐機場では機内待機になり、沢山の乗客が降り、ぼぼ同数の人たちが乗りこん出来た。いずれも旅行客にある華やかしさはなく、なんとなくくすんだ空港から、同じようなくすんだ人たちが乗り込んでくる感じであった。

その後、20年がたち、2011年仕事で再びダッカを訪れるまで、その時の印象が後々まで残ることとなった。ダッカの旧空港。

ダッカの新空港

この2000年までの20年間で東南アジア、南アジアの経済環境が変わり、この一帯の人の流れが増加してきた。その理由は、シンガポールやマレーシアにおける労働者不足の増加に起因する。両国も過っての発展途上国からステップアップが着実になされ、更なる労働力をインドやバングラデシュに頼る移民政策がなされたことによる。

したがって、多くの直行便が毎日飛ぶようになったことだ。今回の航空機種はエアバスになり、乗客の構成は最多である出稼ぎの人たちに少数の東アジアの人たち、そして更に少数の欧米系、裕福なバングラデシュ人となっていた。

空港は当然のことながら新しくなりエアーブリッジもできた。そのエアーブリッジには、5-6台のハンディキャップ用の車が乗客待ちをしていた。これはつまり、外国の病院に通うことが出来る金持ちの家族が出現したということである。途上国の中にも成人病に患う人が増えたとの風景と見て取れる。

新空港はどの都市でもピカピカになり、地域色が薄れたといわれている。まさにこの空港が多くの途上国の典型的な一例といえるでしょう。

入国審査の長い列。

  到着の荷物、荷物、荷物。巡礼者たちの物か。
 写真 2,011年 筆者撮影

先進国と途上国の空港内部の違いは、照明デザインにある。一般的には箱物と動線の機能を満たす設計は、先進国のお手本を踏襲あるいはコピーすればよいので、どうしても似たもの同士になる。しかし、照明とその効果には大きな差が生じる。ソフト面のデザインは視覚的なコピーが不可能である。そこで内部照明空間の快適さに異なった影響がでる。

入国審査は5つのカウンターに分かれている。1、バングラデシュ国民、2、南アジア諸国民、3、その他の外国人、4、外交官とそれに準じる人達、5.外国人投資家となる。この行列者がほとんど居ない4番と5番の区別が、この国の特徴を明示している。

バングラデシュ人のカウンターは沢山あるが、列も一番長く混雑している。しかしいずれにしても荷物がベルトコンベヤーから出てくるのが遅いので、そんなに急いでも意味がない。入国審査も荷物チェックもいたってスムーズである。

さて、一と通りの手続きを済ませ、到着ロビーに出るとホテルの出迎えの人々が名札を抱え待機している。インドの主要空港と比べると、混雑の度合いはかなり低い。この国は、一般観光客数がきわめて低く、ビジネス客は各々に出迎えがあるので、観光客の客引きは少ない。他の大都市やリゾートの空港に比べて、速やかに車のピックアップ場所まで進んでゆくことが出来る。

ダッカの交通渋滞

空港という管理された空間を出ると、いきなり街の喧騒の真っ只に放り出され、飲み込まれることになる。空港の敷地の出口は、いきなり郊外に通じる幹線道路になっていて、信号なしのロータリーで右折。もう夜10時を回っているのに、そこにいろいろなタイプの車、バス、トラック、ニ輪車、オート三輪が集まって動いている。

ドライバーは一寸先を奪い合い、殺気立ったエネルギーが発散されている。そこから街の中心地までの幹線道路は片側三車線であるが、混雑し渋滞のため、実際には四車線、処によっては五車線となり、車の海となっている。こともあろうか、左折道路の角の手前で、古いポンコツの荷物車がエンコしており、大混乱。すべての車がクラクションの大オーケストラ。暗い夜道の大音響。まだ空港を出て5分足らず、市内まで思いやられる。ダンプカーや夜の満員バスなどを追い抜き、低速のインド製オート三輪車をよけながら30分ほどで中心街のホテルに着いた。

ホテルの近くにはKawran Bazzarというダッカでは一番大きい青空マーケットがあり、竹篭に積んだキャベツなどを頭上に載せたクーリー達が、歩道で運搬にいそしんでいた。。

そして仕事が終わり、疲れが出てくると、歩道に布切れを敷き、仮眠に入るようだった。肉体労働をした後の快い疲れは、心地良い。野外の歩道で眠ることも、天国ということか。

ダッカの街中の交通

都市鉄道:  人口一千万人級の都市であるが、大量輸送が出来る鉄道がない。これが出来れば、道路の渋滞が劇的に減るであろう。計画はあるが、なかなか実現しない。

乗用車: 上流階層、会社の社長、部長クラスは運転手つきの乗用車で通勤する。一部のトップクラスの階級はドイツ車など使用しているが、通勤や買い物にはほとんどは日本製の輸入中古車を使い、そのうちトヨタがダントツに多い。次のランクはサラリーマンなどでバイクとなる。

オート三輪車、人力車: また、オートリキシャ

人力車などがこの都市の主役として大量に走っている。場合と距離によって選択肢が多様化している。この選択肢は、この都市の特徴をよく現している。短い区間の場合は、車の入れない横丁をバイパスとして使い、目的地に比較的に早く到達することが出来るという利点がある。

ただし、輸送機械としては弱者なので、心理的な怖さを抱きながらの移動となる。これらの運転手は、地方の農村などからの出稼ぎ人がほとんどで、失業者の救済の意味合いは大きい。人力車のなかには、とても凝った装飾を施したものがある。大多数を占めるサラリーマン、都市労働者などの通勤手段は、公共バスに頼ることになる。

路線バス:  人口1,400万人のこの大都会には、大量都市交通の基幹となる鉄道網が存在しないので、渋滞道路を走る満員バスに頼る以外選択肢がない。バス料金を低く抑えているために利益の確保が出来ず、バス会社の整備は悪く、エアコンもなしの運行である。片側4車線の道路のうち、歩道側1車線は、常に人や荷物の乗り降ろしと、リキシャなどの低速車などで流れがよどむので、路線バスは道路の真ん中の車線で乗客の乗り降ろしを行ない、一層の渋滞に拍車がかかるという具合だ。

車相互のための信号はあるが、歩行者横断のための信号はない。

いずれにしても、歩行者の安全にたいする都市行政の配慮は完無に等しい。

ダッカの市街地面積は東京23区の40%程度である。その区域に1200万人程度が住んでいて、東京の900万人にたいして、人口密度が3.2倍に相当する。公共交通機関は路線バスのみであり、バスから事務所などに出勤する人々が舗道にあふれ出すことになる。朝早くから夜遅くまで、絶え間ない歩行者の群れが、舗道を埋め尽くすことになる。横断歩道にはほとんど信号がないため、舗道の人はますます膨れ上がる。その舗道は狭く、デコボコなところがほとんどで、水溜りもアチコチにあるので、とても歩きづらいが現地の人々はなれてしまっているようである。

信号のない横断歩道では、自家用車やバスなどが歩行者のかたまりを蹴散らすように突進してくる。車を所有しあるいは使用している者が特権階級のようにふるまう。この社会現象が毎日のように繰り返され、その風潮が当たり前であるという感覚が市民に出来てしまう。

ダッカ市内のバス

車体は事故でこすった後でデコボコ。修理しないまま使用している。

写真 2011年 筆者撮影

そしてラッシュアワーの乗客たち。

写真 2011年 筆者撮影

写真 2011年 筆者撮影

バンパーの外に更にバンパー。

オリジナルのバンパーの外側に追加の自作パイプバンパーを付け加えている車がほとんどだ。ダッカを走る乗用車の9割は日本車の中古車。そのうちの8割がトヨタ車といわれる。

写真 2011年 筆者撮影

写真 2011年 筆者撮影

人力車

裏通りの主役はこれらの人力車である。地方から職を求めてダッカに流れ込む農民達の収入の糧になっている。

写真 2,011年 筆者撮影

渋滞している幹線道路を避けて裏道を通る人力車。ヒューマンスケールのスピードでも、乗用車より速く目的地に着けることがある。ここダッカでは、十分な存在価値があるのだ。

写真 2011年 筆者撮影

自動車、人力車、歩行者が、狭くて限りある道路スペースを奪い合う。

写真 2011年 筆者撮影

人力車は動くアートミュージアム !

街に華やぎを与えてくれる。生活を楽しくしようと、それぞれが努力をしている。

写真 2011年 筆者撮影

歩行者

車道は常に動力車と人力車で溢れていて混雑している。ダッカの繁華街の歩道は、でこぼこ道が多く、通行人であふれているのが常だ。

ダッカ市民は、混雑に慣れていて混乱なしにスムーズにすれ違う。これは、お互いに譲り合う美徳を長年にわたり忍耐強く作り出して来た結果であろう。

写真 筆者撮影 2011-2013年

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