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インド紀行 1993
#18
コーチ〔コチ)
陸路、山脈を越えてアラビア海に至る
マドライから運転手付き車で、我々旅行者3人を含め総勢4人でコチまで陸路を行くことにした。アラビア海沿いに南北に連なる1500m級の西ガーツ山脈を越えて見たかったのである。
距離は270km、途中で何回か休憩をしながら、 7時間半の道のりであった。山がちになるにつれて、店や人家が少なくなり、衛生上満足な食事処を見つけることが難しくなった。山間のお茶屋のようなところで、魔法瓶に入った水の中に黒いゴミのようなものが沈殿しているのを見て、驚いた。下図、青線部分・陸路、赤線部分は空路。

コーチ〔コチ〕
目的地のコチは、アラビア海に面する重要な港町で、14世紀ごろから主に香料貿易で栄えたところだそうだ。1503年ポルトガルによるインド初の植民地となった。バスコダガマが、インド3度の渡航の後、死亡したのもこのコチである。
1530年にポルトガル植民の中心はゴアに移り、その後ボンベイに欧州植民地の中心がさらに移った。その後コチはインド独立までオランダやイギリスの支配下にあり、その間、他のインドの植民都市に比べてあまり投資の痕跡がない。そのため、インド南部特有のゆったりとした雰囲気が残ったといえる。
下の地図を眺めてみると、自然が与えた偉大な水郷がここにあることが推察できると言って良いだろう。

今回宿泊するホテルは、湖とアラビア海が交わる河口の島にある。
この島は、1936年に埋め立て造成された。この人口湖に、新しいインド海軍軍港や空港、民間の貿易関係の諸施設が造られた。
マラバールホテルは、これらの軍関係者や関連する民間人の宿泊施設がその発端である。
島の突端のマラバールホテル
予約を済ませておいたマラバールホテルに、無事到着した。このホテルのロケエーションは、ここ水郷と繋がる外洋、アラビア海への出口近くの小島の先端にあった。眺めと風通しの良さが期待できる場所でもあった。

ホテルマラバールのレセプション 写真1993年 筆者撮影

ホテル客室のバルコニーとブーゲンビリア。 写真1993年 筆者撮影
マラバールホテル角部屋のスイートルーム、スケッチ
面積約100m2=30坪

1993年 筆者スケッチ図
リビングルーム。 インドらしい壁装飾品

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
翌日
人工島:ウィリンドン島の突端にあるマラバールホテル。舟から撮影。

ホテルの前の私設波止場から遊覧船に乗ることが出来る。対岸に見えるクレーンは、造船所の施設であろうか? この波の静かな内海から更に奥にある熱帯の水郷に、観光船で周遊することも出来る。

コチのチャイニーズ・フィッシングネット
中国明朝時代の航海士、鄭和も14世紀ここコチに停泊し上陸した。
その際に伝えられた漁法が今でも行われ、漁労は6人1組で行われる。
採れたての魚をその場で購入でき、人気なスポットである。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
チームワークで力仕事。

写真1993年 筆者撮影
ここコチの港には、インド国鉄の沢山の引込み線が至るところにある。
レールのゲージは、堂々の広軌である。構内には柵がなく、自由に入れる南国の緩さが気持ちよい。もしかして廃線の区間なのかも?

写真1993年 筆者撮影
湿潤な風土
インド各地をこれまで旅行してきて、ここケララ州のコチの建物は、軒が深いことに気がついた。この深い軒は、日射をさえぎる以上に雨水を処理するためにある。
気候は乾季の多いインドより東南アジアの熱帯雨林に類似し、屋根の傾斜と軒の出が共に大きい。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
町の広場の様子。

写真1993年 筆者撮影
飲料水の売店

写真1993年 筆者撮影
様々な色彩の菓子と果物の売店、

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
フォート・コーチンの 聖フランシス教会
古い城砦だったフォート・コーチンにある。
この教会は1503年に建てられ、インドで最古の礼拝堂だそうだ。20年後に、3度目の航海の途中死去したバスコダガマの遺体が収められた。さらに14年後に遺体は、はるかリスボンの絢爛豪華なジェロニモ修道院に移されたとある。
プロテスタントであるオランダの支配を受けた期間には、全てのカトリック教会の破壊がおこなわれ、残ったのはこの教会のみである。その意味でこの教会は、シンプルなつくりであるが、貴重な建築遺産といえるであろう。

写真1993年 筆者撮影
コーチン 「シナゴーグ」
スパイス交易の中心地でユダヤ人街と王宮のあるマッタンチェリー.
ここコーチンにユダヤ教のシナゴグがあることをガイドさんから聞いて、興味をかきたてられた。王宮のあるマッタンチェリーのあたりにあった。ケララ州にはユダヤ人が古くから大半の香料貿易をコントロールしていたらしい。その後スペイン、ポルトガルのユダヤ人追放によりインドに渡ってきた移民者を交えて、ユダヤ商人のためのシナゴグが建てられたらしい。16世紀の中ごろ。
初めてシナゴグに入る。その内部です。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
アンティークの小道
コチの王宮マッタンチェリー地区近くの骨董品は、インドの他の観光地よりも値段が格段に安い。外国人旅行者も少なく、骨董収集家にとっては、選り取りミドリであろう。ただしここは、ムンバイの様な国際貿易港ではないので、海外発送には難があるようで、その点が玉に瑕である。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
エキゾティックな彫り物。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
ティルヴァナンタプラム
この決して覚えられない名前は、コチのあるケラら州の首都である。ティルヴァナンタプラム(Thiruvananthapuram)は、コチからマラバール海岸沿いに210km程の真南にあり、陸路で4時間半ぐらいだ。
ケララ州の主要都市は、北からカリカット、コチ、ティルヴァナンタプラムとマラバール海岸沿いに連なり、インドでは最も教育水準が高い州とのことだ。
昼ごろ、この街のホテルにチェックインした。南インドは冬でも日中は暑い。ホテル内のレストランに入り早速ビールを注文した。するとどうだろう。ウエイターのボーイさんが、ホテルにはビールを置いてないという。
ナゼダ?答えは次のようであった。ティルヴァナンタプラムは市の条例により、「学校の1キロ以内ではすべてのアルコール類の供用は禁止」になっているとの返答が返ってきた。なるほど!インドでは最も教育水準が高い州の首都ならではである。
食後、アイスキューブをもらい、部屋に帰り携帯のウイスキーを部屋飲みすることにした。部屋に帰って、テーブルに置いておいたウイスキー瓶を見ると、中身が半分になっていた。ベッドメイキングの従業員の仕業であることが明らかであった。「上からの規制があると、下には対策がある」の好例であると理解した。
この街は被写体が少なく、残っている写真はない。残っているのは「多文化共生経験」であった。
写真 筆者撮影 1993年12月