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インド紀行 1993
#17
マドライ
マドライ
タミールナド州
今回の3度目のインド旅行は、タミールナド州の首都チェンナイから始まった。国内航空で、トゥリッチラパリを経由し、ヒンズゥ教のディープな聖地、マドライが目的地であった。南方に直線距離で460kmになる。

ミナクシ寺院
マドライの市の真ん中に、3重の壁で囲まれた巨大な歴史的聖域がある。ミナクシ寺域という名の南インド随一の寺院である。ここにはインド各地から切れ目なく巡礼者が訪れる。
防御壁
古代から、ミナクシ寺域は街に対してオープンで、壁に囲まれていなかった。その後、度重なる外部勢力の侵攻侵入があり、それに備えるため壁で囲まれるようになった。壁は最初は内側の広場が囲まれ、その後外側に計3重の防御壁に囲まれることになった。その時期は14から15世紀のころといわれている。防御壁は、外側になるにつれ高さを増して造られている。

1993年 筆者撮影
上写真の壁は一番外側にある8mはあろう防御壁である。
内側は聖域、外側が俗域となり、その区別が視覚的にも明瞭に表現されている。
この壁の外側は俗世界であり、ミナクシ寺院に参拝に来る大勢の巡礼者が、あるいは巡礼を済ませた人々が周遊して、ごったがえす俗世界そのものである。
ミナクシ寺域平面図。

公共のトイレが、どのくらい整備されているかは知る由もないが、もしあったとしても、外で用を足すのが一般に受け入れられているこのインドである。
壁外周の道路は、ごみや排泄物でグジャグジャで、不衛生極まりなく、許容をはるかに超えるものであった。ミナクシ寺域鳥瞰図。


1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影
防御壁の外側には、このような売店があります。

1993年 筆者撮影
ゴプラム Gopurams
ゴプラムとは、日本の仏教寺院の山門に相当する聖域への入り口と理解してよいのだろう。ミナクシ寺院は、3重の壁に囲まれていて、各々の囲まれた壁にそれぞれ4っつのゴプラムが東西南北に設けられている。一番外側の壁囲いに設けられているゴプラムがより高くなっている。南外周のゴプラムが1番高く52mということであり、驚きの高さである。ミナクシ寺域の模型。

1993年 筆者撮影

ミナクシ寺院全体の模型1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影
ミナクシ寺域外周壁の入り口である50mもあろうゴプラムは、遠方から徒歩で来る巡礼者たちが、よく見えるようランドマーク的な役割もはたしている。

1993年 筆者撮影
ゴプラムから聖域に入る。

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影
広場 マンダパ
ゴプラムから入場すると、壁や列柱に囲まれた開かれた空間、マンダパに至る。ここは、巡礼者たちが休息したり、瞑想をしたりする癒しのスペースと言えるだろう。

1993年 筆者ガイドさん撮影
杖を頼りに参拝に来た年配の巡礼者。

1993年 筆者撮影
沐浴場とその外周
暑い日差しのなかで、巡礼者がゆっくりと水浴びが出来るよう、沐浴場が設えられている。この黄金の蓮とよばれる沐浴場のサイズは 50 mX 37 mである。階段状になっていて、周囲には日よけの回廊が設けられている。

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影
内壁の彫刻群
内側の壁の回廊には、見ごたえのある列柱のデザインの間に、表現豊かな女性の彫像が途切れなくディスプレイされている。体の線はやわらかで、みな豊乳なヒンズーの神々であろう。

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影
寺院内部

1993年 筆者撮影
ヒンズー教寺院の石造の柱は、同時に彫刻作品そのものである。物体としての柱そのものを、神聖なものと、とらえているに違いない。

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影
床に色チョークで描かれた魔除けのパターン。

1993年 筆者撮影
巡礼者たち
全身全霊をささげる巡礼者たち。もしかしてこの人達、インドの遠隔地から来たのかもしれない。

巡礼者 1 1993年 筆者撮影

巡礼者 2 1993年 筆者撮影
煤で真っ黒になった偶像。

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影
蝋燭に火をともす。

1993年 筆者撮影

1993年 筆者撮影
南インドらしい極彩色のお供え。

1993年 筆者撮影

筆者ガイドさん撮影 1993年
マドライ ホテルのスウィートルーム
マドライのホテル 客室のスッケチ平面図 1993年12月27日泊。一日中異文化との遭遇でエネルギーを使い果たすので、夜はゆっくり睡眠をとることが求められます。


写真 筆者撮影 1993年12月