ミャンマー旅録 1993 #5/5 バガン 2

ミャンマー旅録 1993
#5/5
バガン  2

東南アジア三大遺跡のひとつ。
後に世界遺産。

だが人影のないバガン。

1993年当時の首都ヤンゴンからマンダレー・バガンへのアプローチは三通りあった。

1. 飛行機(ロシア製の古いプロペラ機)。部品の在庫は充分か︖ちゃんとしたメインテナンスが行われているのだろうか︖

2.鉄道。片道700キロはある。保線が良くないらしい。エアコンなしで12時間以上はかかりそうだ。道中の食事が想像できない。清潔さに疑問。

3.自家用車。高速道路なし。国道1号線、給油所なし。ガソリン燃料を車に積み込む。ただしガソリンの質が悪いので、途中でエンコする。その度にキャブレーターを頻繁に掃除する必要あり。自己責任で。

このような交通事情を抱えていたので、バガン行きは難儀であり、旅行者が極端に少なかったといえる。

閑散としたパガンの遺跡群 1993年撮影

つわものどものゆめのあと

地震あるいは落雷で崩壊した巨大な壁の一部。
自然がもたらした破壊の美しさを感じる。

写真1993年 筆者撮影

地震で崩壊した巨大な壁の一部。つわものたちの夢の跡に美しさを見る。

写真1993年 筆者撮影

この巨大な両壁の上にアーチがあったことが想像される。
寺院の入り口門から寺院が突如現れる視角的効果を狙ったもの。
アーチは喪失したが、その建築設計の意図は生き続けている。

写真1993年 筆者撮影

一階上部の持出し部分が崩れて、躯体のレンガがむき出しになっている。

むき出しになった一つ一つのレンガに、一種の美が宿っていて、それを主張している様だ。

写真1993年 筆者撮影

手付かずのレンガむき出しの建築遺産(手前)と、遠方に修復を終えて白く塗られた仏塔を見る。このコントラストが良い。

写真1993年 筆者撮影

尖塔の反りが、放物線に近いカーブになっている。

下から眺めると、塔面が天に消えて行くような効果を、視覚的に狙っているようだ。

写真1993年 筆者撮影

600年間の年月を経て、レンガを被覆していた石灰プラスターの壁材が、経年により一部を残し擦れ落ちている。歴史が感じられる。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

    写真1993年 筆者撮影

出隅柱と陶器。独特で美しい装飾デザインである。

     写真1993年 筆者撮影

出隅柱と陶器。独特で美しい装飾デザインである。(上と下)
直射日光を逃れ、飲料水やお土産をならべる売り子さん。
一日のお客さんは何人だろうか。

 写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

バガン全行程を案内してくれた地元の英語でのガイドさん。
市販のガイドブックなどはないので助かります

写真1993年 筆者撮影

れかけたアーチ。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

バガンに特有通気口のデザイン

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

見学中の我々のグループとガイドさん。旅行者少なく全行程、貸切状態で。

写真1993年 筆者撮影

元来からあった漆喰壁が崩れ落ちています。下地のレンガがむき出しになっているが、良い施工がなされているので、むき出しの方がより芸術的に見える。

写真1993年 筆者撮影

寺院の下部は、このような立体的な内部通路になっている。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

バガンの仏像たち以下の写真は、様々な仏像彫刻。鑑賞に値する。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

パガン朝の滅亡

最後の王ナラティハバテは「仏寺成って国滅ぶ」と民衆から言われた王。

13世紀後半パガン朝は元朝が当時、雲南地方をを併合し、4回に渡り、朝貢と臣従を求めてきたが、王は拒絶。そのため1287年クビライ・ハンの遠征を招き、その侵攻受けて滅亡した。その後も統治を許されたが・・・。

バガンの漆職人たち。

バガンの遺跡群の見学を終えると、ようやく近くに人気の感じられる広場があった。その広場に面して、風通しの良さそうな茅葺屋根の一軒の小屋があった。様々なウルシ漆器を製作している工房であった。

写真1993年 筆者撮影

工房の中では、若い男女がグループで真剣に作業をしていた。ミャンマー独特の漆ぬりの作品であった。

写真1993年 筆者撮影

女性も真剣に仕事に集中していますね。仕上げ工程です。

写真1993年 筆者撮影

お椀のベースになる骨格は竹ひごです。この両面に粘土を塗り整形し、漆をぬって完成です。

写真1993年 筆者撮影

粘土で製型をする。これが継承された伝統的な行程。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

立派最終作品!

写真1993年 筆者撮影

旅行者一行、筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

宿泊は、バガンで数少ないホテルのひとつ。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

見ての通り、シンプルなホテルの客室だ。睡眠さえ充分にばとれれば良し。

写真1993年 筆者撮影

追記・1

不具合頻繁こった。

第一回目のマンダレー・バガン旅行の道中で、我々のワゴン車は、何回にもわたり不都合が続出した。ある時は真っ暗な原野の真ん中でエンストが起きた。精製の悪いガソリンが、キャブレターを詰まらせるのが原因だった。ミャンマーの運転手は、ただ単なる運転手ではない。車のメカに精通していて、ちょっとした修理士の能力も兼ねそなえている。ちょっとした不具合は、自分で直すことが出来る。

運転手はキャブレターのパイプを外し、フィルターに詰まったガソリンを口に含み、それを吐き出していた。何回も繰り返し、ついにキャブレターの目詰まりを解消した。驚きの行為であった。

筆者はその間、車の近くの草むらに横たわり、休みながら夜空を眺めていた。すると夜空には満開の星空で、星たちがとても低く鮮やかに見えた。汚染のない空気によって、こんなに星ぼしが綺麗に輝いている。初経験であった。その後この様な星空をみたことはない。そのうち疲れもあって、草むらでしばし寝入りし果報は寝て待てとなった。起きたときには車は起動していた。

追記・2

二度目にマンダレーにったときのこと

マンダレーに新築ホテルの用地があるということで、二度目のマンダレー行きとなった。今回はビジネスなので、時間がかからない空路になった。ヤンゴンの飛行場には小型飛行機が待機していた。機種は得体が知れない(多分、ロシア製?)単発のプロペラ機であった。テイクオフの後、低空飛行に入った。気候は良く高度の低いところを飛ぶので、下界の地形が手に取るように、3次元で展開する。他の東南アジアやインド亜大陸の地形とは異なり、独特な地形だ。太古からの地震による造山活動や雨水による浸蝕活動の痕跡が、教科書どおりに眼下に展開する。

出来事:1
機内のアナウンスは、全行程ビルマ語オンリーであった。かなりの飛行時間の後、着陸となった。他の乗客に従い小屋みたいな施設に入った。英語が通じないのですったもんだの挙句、ここはマンダレーではなく1つ手前の空港ということがわかり、あわてて飛行機に引き返した。外国人の乗客は我々4人だけであった。ミャンマーが永らく鎖国状態にあったのだということを身をもって感じた。

出来事:2
帰りのフライトでヤンゴンの飛行場滑走路に着地する際、ドスンと大きく尻餅をついた。すると筆者の席の窓がはがれて、ズレ落ちた。信じがたいハップニングであった!二重窓の内側のまどのガムテープが剥がれたのだった。客室乗務員にそれを伝えてタラップを降りた。想像するに、機体を保守する資金も部品も不足して、この様な事態が引き起こされたと、ほぼ確信した。

1993年の交通機関
国内線空路は ロシア製飛行機
鉄道は 植民地時代の英国製
乗用車は 日本製中古車

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