ミャンマー旅録 1993 #1/5 ヤンゴン

ミャンマー旅録  1993
#1/5
ヤンゴン

1993年10⽉4⽇、シンガポールのホテル建設投資会社の招待で、初めてミャンマーの⾸都ヤンゴンをを訪れる機会を得た。シンガポール航空がシンガポール・チャンギ空港から北へ3時間のヤンゴン⾏き直⾏便を運⾏開始するようになった直後の頃であった。

シンガポールのチャンギ空港テイクオフ  

シンガポールのチャンギ空港 筆者撮影

シンガポールのチャンギ空港 筆者撮影

ヤンゴン空港

ヤンゴン空港到着。1993年当時になると、エアーブリッジのない空港は東南アジアではもう珍しくなっていた。ここは1970年代のジャカルタの空港並みの疲れた様なターミナルビルだ。

ミャンマーの⾸都ヤンゴンの空港 1993年筆者撮影

パスポートのチェック,⼊国審査
外国⼈旅⾏者はほとんど⾒かけない。⾏列者のほとんどが仕事で⼊国するビジネスマンたちのようだ。窓⼝は2つしかなく、たった1⼈の審査官が業務を⾏っている。ミャンマーブームが起きる10年以上前の光景だ

⼊国監理官の⽊製の机と椅⼦、そして⽊製スクリーン。
冷房機は古い床置きのタイプ、レトロ感満載の空港である。

筆者撮影 1993年

⽊製のテーブルで、所持品のチェック。

筆者撮影 1993年

ミャンマー政府系銀⾏の両替カウンター。
ここで外貨最低200⽶ドルを公定レートで、現地通貨チャットに両替することが、この国の法で定められている。街の私設マネー チェンジャーで両替すると、最低5割増しの現地通貨が⼿に⼊る。社会主義による統制経済の典型である。両替は正規レートと市中レート〔闇レート)の差額が、あまりにも違いすぎるので、これが汚職や密輸の温床になっていた。  

ここにも⽊製のカウンター.

筆者撮影 1993年

筆者撮影 1993年

筆者撮影 1993年

ミャンマーの紙幣

おっかなそうな軍人たちの肖像がプリントされている。
軍がすべてを取仕切る国家の様子が紙幣から伺える。

こちらは動物、獅子と象。

空港を出る

空港の出⼝に筆者愛煙ブランドのタバコの広告版。そして⾏列している沢⼭の中古⽇本⾞を⾒た。外へ出ると軍事統制国家にしては、緩い感じの空気感。

筆者撮影 1993年

インヤーレイクホテルに泊まる

初⽇の宿は、ヤンゴンの⾵致地区インヤー湖に⾯したホテルである。このインヤレイクホテルは、旧ソ連の⽀援によって建設された。湖岸に広がる建物外観と緑の庭園の敷地はすばらしかったが、ロビーに⼊って内部を観察してみると、建物はいかにも効率主義⼀点張りの典型的な社会主義国の雰囲気であった。

昔からの⾼級ホテルであろうが、建設されてからかなり時間が経っている。客室のエアコン機は、室内機と室外機が⼀体のものであり、⽼朽化が⽬⽴ち、騒⾳には配慮がなかった。1993年当時は、市内には外国⼈⽤の適切なホテルが少なく、当時はこのホテルが最適とされていたのだった.

正⾯の⾞寄せのアプローチに、巨⼤な⼀本のチークの樹⽊があり、沢⼭の⿃たちが集まっていて、それが唯⼀ミャンマーらしさを象徴する⾵景であった。

1988年まで続いたビルマ式社会主義がミャンマーの発展を阻害していた。統制経済による企業・貿易が国の管理下の鎖国政策のため、最貧国と認定される程にビルマ経済は著しく停滞し、他のアセアン諸国と⼤きな差をつけられる結果となっていた。

⽇本は欧⽶諸国とは対照的に、1988年の軍事クーデターにより成⽴した軍事政権を承認したが、空港開発に携わっていた⽇系⼤⼿建設会社などは、撤退中であった。我々がミャンマーを訪れたのは、4年後の1997年にミャンマーがASEANに加盟する以前で、低迷していた時期であった。

⺠主化指導者アウンサンスーチーは、インヤーレイクホテルの近くの⼤きな邸宅に⻑期軟禁されていて、その邸宅の前⾯道路のバリケード近くまで⾒に⾏った。近くにある⺠主化運動の巣窟であるヤンゴン⼤学は授業は⾏われておらず、ほぼ閉鎖状態で、廃墟の様相を呈していた。

ストランドホテルとコロニアル建築

ラングーン(現ヤンゴン)は、19世紀中ごろ英領ビルマの商業、政治の中⼼都市として、計画的に作られた新都市である。その後、19世紀の後半にかけて、商業活動が活発になり、公共サービスおよび社会的インフラで、ロンドンと肩を並べるほどとなったと⾔われている。1993年に筆者らが訪れた時点では、沢⼭の植⺠地⾵の建物が、街の要所に残っており、シンガポールに⽐べても、それ以上の植⺠地建築の宝庫の感があった。

東南アジアの植⺠都市としては珍しく、中⼼部は碁盤の⽬に道路が計画されている。ヤンゴン川に⾯して、ストランドホテルや商館、外国公館が配置されている。中央部に市役所、裁判所、郵便局など公共施設、さらに教会やパゴダなどの宗教施設がまとまっている。さらに、北の端に植⺠地時代の交通のハブ、ヤンゴン中央駅がある。

ヤンゴン中⼼市街地 筆者作図

ストランドホテル

ヤンゴン川岸に建つザ ストランドは、当時イギリス統治下だった1901年にイラン出⾝のアルメニア⼈サーキーズ兄弟が建設した。この四年ほど前、彼らはシンガポールにラッフルズ・ホテルやマレーシアペナンのE&Oホテルを開業させている。このストランドホテルには、エドワード王⼦のほかサマーセット・モームらが宿泊している。

開業100年後のストランドホテルは荒れ果ててしまった。壊して新築したくなるような物件に成り果てた。

出展・ストランドホテルウエッブページ

筆者 スケッチ

1世紀ののち、伝説のホテルマン、アドリアン・ゼッカ が荒れ果てたこのホテルに⽬を⽌め、その歴史遺産の保護に取り掛かかった。そして蘇⽣なった現在のストランドホテルが下の写真。

出展・ストランドホテルウエッブページ

ストランドホテルのロビー。

筆者撮影 1993年

ロビーで談笑するシンガポール、マレーシア、⽇本からの訪問者

筆者撮影 1993年

ストランドホテルのロビーで、ビルマの縦琴の⾳⾊に聞き⼊る。

筆者撮影 1993年

影絵劇の吊⼈形たち。ディスプレイウインドウはすべてチーク材

筆者撮影 1993年

ヤンゴンのコロニアル建築

ヤンゴン市には、沢⼭の英国植⺠地時代のコロニアル建築が、取り壊しを逃れ豊富に存在している。その理由は、ビルマ式社会主義と統制経済により、国内資本の蓄積がなく、外資企業・貿易も国の管理下のため鎖国政策となり、海外直接投資も少なかったため、コロニアル建築が都市再開発による破壊の波を免れることが出来たわけだ。

ストランドホテル 正⾯⼊り⼝ 1993年 筆者撮影

ストランドホテル 正⾯⼊り⼝〔右⼿) 1993年 筆者撮影

ヤンゴン市街地の建物      1993年 筆者撮影

ヤンゴン市街地の建物    1993年 筆者撮影

ヤンゴン市街地の建物    1993年 筆者撮影

ヤンゴン市街地の建物    1993年 筆者撮影

ヤンゴン市街地の建物    1993年 筆者撮影

ヤンゴン市街地の建物    1993年 筆者撮影

ヤンゴン市街地の建物    1993年 筆者撮影

ヤンゴン市街地の建物      1993年 筆者撮影

植民地時代の建物の再活用の工事現場

上半身裸、ヘルメットなしの労務者。
限られた工具を使っての手作業で行なわれていた。

1993年 筆者撮影

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