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マニラ #1/2
1969年5月
マニラ 1969年5月8日~9日
シンガポールに駐在員として途任して数ヶ月後、国内の親族の行事のため数日間一時帰国することになった。会社がそれを容認してくれたことに今でも感謝している。
当時、1977(昭和52)年以前は、東京~シンガポール線は開設当初は直行便はなく、羽田から香港とバンコクを経由して約18時間半もかけてシンガポールに到着していた。
それを機会に、マニラ経由でマニラに1泊2日する予定を組み、東南アジア諸国では距離的に最も日本に近いフィリピンを見てみようと計画を立てた。
完成まじかのマニラ国際空港ビル

完成まじかのマニラ国際空港,
1969年5月 筆者撮影
サンチャゴ要塞
イントラムロスと呼ばれる城塞の一番北に位置する要塞である。1571年にスペインの航海者と当時の市長によって建てられ城塞化した。その後、アメリカ人が使用し、日本軍が捕虜収容所としたり、長い450年の歴史的要塞跡である。

1969年5月 筆者撮影
この要塞はマニラの起源を匂わせる建築遺産であるが、フィリピンの人々にとっては負の遺産の思いがあるのか、保存状態が良くない。

マニラ・サンチャゴ要塞,
1969年5月 筆者撮影
マニラの港湾地区
沢山の貨物船が終結して荷揚げ荷降ろしをしているが、一目で港湾インフラが整っていないことが、下の写真に示されている。

マニラ港, 1969年5月 筆者撮影

マニラ港, 1969年5月 筆者撮影

マニラ港, 1969年5月 筆者撮影
マニラ ・パサイでの海浜大通りの眺め
同じマニラ湾に面しているが、南部の海岸に面したこの地区は、パセイ地区とよばれる。海岸に直接面した大通りは、サンセット・アベニューと呼ばれ、当時はマニラ湾に沈む夕日が眺められる特別な場所として有名だった。
筆者は、国際高級ホテル研究を理由に、この5星ホテル「マニラ・シェラトン」を予約した。東京に外資系のホテルが進出する10年ほど前のことであった。
現在は、この写真のサンセット・アベニュー前面は埋め立てられ、下の写真の様な光景は消失している。

サンセット大通りの海岸の一等地にあるシェラトンホテル宿泊、マニラ湾を眺望する。
1969年5月 筆者撮影
マニラでの驚きの光景!
大地震の爪痕が酷い
マニラの市街地を散策していると、地震で被災した大きな建物に遭遇した。

1969年5月 筆者撮影
警官が歩行者を建物に近づかないように誘導をしている。

1969年5月 筆者撮影
右の二階建ての学校に、左の建物が傾斜し覆いかかっているのが見えた。

1969年5月 筆者撮影
6階建ての1階部分のコンクリートの柱が圧縮荷重に耐えられず全てが破壊されている。

1969年5月 筆者撮影
震災事故現場には仮囲いなし。一般人が何事もなかったように至近距離を歩いています。

1969年5月 筆者撮影
この建物は、完成まじかであり、入居以前の状態。総取り壊しの運命にある。

1969年5月 筆者撮影