デルフィ・ギリシャ 2014年10月 #1/2

デルフィ・ギリシャ
2014年10月
#1/2

メテオラには丸一日(2泊)滞在し、次の目的地古代ギリシャの聖地と言われるデルフィ訪問に舵を切る。 デルフィ は首都アテネから西北へ122kmの距離にあるが、メテオラから デルフィを 目指すとなるとかなり難儀である。 メテオラ・デルフィ間には、直通の鉄道はなく直行定期運行バスもない。

メテオラからデルフィへ

ホテルのフロントに頼み、貸切の個人タクシーを頼むことにした。すぐに車がホテルの前面広場に来た。車はスコダ(チェコ製)で新車であった。デルフィまで250キロの値段交渉に入り、かなりお得な金額になった。運転手によれば、10月は旅行者の最も少ない時期なので、安くしておくとのことであった。夏のハイシーズンは値段は、倍近くになるとのことであった。

写真 筆者撮影 2014年10月

ギリシャの地方の町どうしを結ぶ道路は、交通量は少ない割には、かなりのハイスペックなもので、連続する山脈の間の人家のほとんど見かけない平地を快適に進行し、景色を楽しめた。

写真 筆者撮影 2014年10月

デルフィに近くなって、道路に平行する鉄道路線が目に入った。しかも電化の複線である。(下)
地形が複雑なギリシャの内陸を旅行するには、もっとこの国の鉄道網に関する予備知識が必要であると感じた。

写真 筆者撮影 2014年10月

デルフィに到着

無事デルフィの町中のホテルまで送ってもらい、運転手さんに感謝のお礼を言って、料金を支払います。ありがとうございました。

写真 筆者撮影 2014年10月

ホテルの2階の部屋からの風景。ここデルフィ限定の風景だ。
コリント湾 とその向こうに ペロポネソス半島がある。

写真 筆者撮影 2014年10月

デルフィ集落のメインの通り。山腹に平行した通りで、建物の間から谷底とその向こうに山が見えます。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

山の斜面にある町、デルフィ。メインストリートに面した宿泊ホテルの看板。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

お店で見つけたTシャツ2着

メインストリートあるホテル近くのお土産屋さんの店先に、沢山の Tシャツ が吊るされているのが目に入った。そのうちの2着に、目が釘付けになった。これこそ正にギリシャ・オリジナルのプリント柄ではないかと!!

ピタゴラスの定理

「直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい」。
以前にもバビロニア等で利用されていたらしいが、この定理が全ての直角三角形で成り立つことをピタゴラスが証明したためにピタゴラスの名がついた

ピタゴラス(紀元前582年頃~紀元前496年頃)

ピタゴラスの定理

黄金比  黄金分割

古来より人間の目が最も美しいと感じる比率として「黄金比」と呼ばれるものがあった。 黄金比を発見したのは古代ギリシャの数学者「エウドクソス」(紀元前408年頃~紀元前355年頃)と言われており、その後アテネ・パルテノン神殿(前述)の建設にて総監督を務めたとされる彫刻家「ペイディアス」が、初めて黄金比を採用したと言われている。

黄金比を用いた代表的な歴史的建造物や美術品として、ミロのビーナス(古代ギリシャ) / ピラミッド(古代エジプト) / レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ(1503年~1519年頃) / パリの凱旋門(1836年) / バルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂(1882年~)

また、名刺、クレジットカード、タバコの箱、の寸法も 黄金比が採用されています。

黄金比  黄金分割

山の斜面に広がるデルフィの町並み案内図。沢山の小さなホテルやゲストハウスが町中に散らばっていることが分かる。そしてこの町は古代遺跡への基地として、旅行者と共に存在している。

写真 筆者撮影 2014年10月

デルフィは、ギリシアの首都アテネから 122km、
スパルタからは北へ約157kmの位置にある。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

古代都市国家デルフィの考古遺跡 世界遺産

ホテルから徒歩で東に1KM程歩いて行くと世界遺産の入り口前の広場に出た。そこにはギリシャ国旗を筆頭に世界各国の国旗が高揚されていた。
我が日本国の国旗も風になびいていた。
世界遺産整備の資金供出国の国旗が掲げられているのだと想像した。
カメラはギリシャ国旗と日章旗が風で同時に開いた瞬間を捉えた。

写真 筆者撮影 2014年10月

デルフィの考古遺跡 

世界遺産入り口看板。後ろに手作り感のある擁壁が。。

写真 筆者撮影 2014年10月

デルフィの遺跡は、アポロ神殿を中心とする神域と、プロナオス・競技場(スタディオン)からなる。

神域に隣接して、有力な諸ポリスの宝物庫も築かれていた。

遺跡入口付近のアポロンの神域。山の斜面に建物の残滓が点在している。

写真 筆者撮影 2014年10月

デルフィは、古代ギリシャの都市国家の一つに過ぎず、山がちで豊かな土地ではなく、軍事力も強力なものではなかった。

しかし、その政治的な意味合いは古代ギリシャ随一となった。

それは、神託の行事で、確実に当たると信じられていた予言・神託を伝える巫女を多数抱えていたからだった。

写真 筆者撮影 2014年10月

地球のへそ

見落としそうな第三の見所が、「地球のへそ」。

ただの石ころの様に見えるが、この石の場所こそが、古代ギリシャにおいては、古代世界の中心だと考えられていた。
当時はこの場所に石の玉座が置かれ、予言の巫女が神託を下していたそうです。

この「地球のへそ」のオリジナルと、「石の玉座」は、デルフィ神殿の博物館(後述)に保存されています。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

諸ポリスの宝物庫

紀元前5世紀のドーリア式の宝物庫。
宝物庫は縦10m、横6m。入口にはドーリア式の柱が2本立っている。
石を積み上げた土台だけが残る遺跡の中では、最も建物らしい遺構である。
フランスの考古学会が1903年から3年かけて再建し、ほぼ当時の姿に復元された。

写真 筆者撮影 2014年10月

この 宝物庫のほか、他の都市国家からの宝物を納めた幾つかの宝物庫があったらしいが、今はのこっていない。
この宝物庫が唯一屋根が残っている建物になった。

写真 筆者撮影 2014年10月

アテネ人の柱廊

紀元前480年にアテネがペルシャをサラミスの海戦で破った時の戦利品を飾るために建てられたものだそうだ。

当時は7本のイオニア式の柱が屋根を支えていたが、今ではこの3本の柱が残るのみだ。アテネから運んだ白大理石で造った柱だという。 (下写真右端)

写真 筆者撮影 2014年10月

ドーリア式の柱頭

写真 筆者撮影 2014年10月

古代遺跡のアポロン神殿

第一の見所は、なんと言っても修復された「アポロン神殿」。

現在でも直立した柱と土台がよく残されており、当時の繁栄を伺い知る事が出来る。少なくとも紀元前8世紀には存在していたといわれている。

古代ギリシャ時代、全世界の中心と考えられていたデルフィ古代遺跡のアポロン神殿。聖地として最盛期には、周辺地域から多くの巡礼者が訪れた。

写真 筆者撮影 2014年10月

ここでの神に捧げる儀式は何より優先され、重要な決定はすべて神託によって決められた。ギリシャにはいくつかの神託所があったが、その最高の地位にあったのがデルフィだった。デルフィの神託は絶対視され、都市国家ポリスが重要な決定を行う際は必ず神託をたまわった。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

現在残るアポロ神殿は紀元前370年ころのもの。

長さは約60m、幅約23m。ドーリア式の柱が全部で38本あったそうです。

写真 筆者撮影 2014年10月

デルフィの古代遺跡は山の斜面を削られたところに造られている。
かつて古来から礼拝の地として崇められていたが、紀元前12世紀からは神を祀る場所となった。
世界遺産デルフィの古代遺跡は、このアポロン神殿を中核にして造られた。

写真 筆者撮影 2014年10月

圧倒的な裏岩山をバックに控えた アポロン神殿 全景。

立地がなんともいえない神聖そうな背景を持っている。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

アポロ神殿全景 復元図によると、かって神殿東側(正面)の破風には4頭引きの馬車に乗ったアポロンが多くの従者を引き連れてデルフィの地に迎え入れられる様子が彫られていたそうだ。

いまは博物館(後述)でのみ見ることができる。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

円形劇場

第二の見所は、円形劇場。石の階段、座席が残されています。
神殿北側の丘の上に天然の岩山を削って 紀元前4世紀に造られた。
2世紀後にローマ人によって復元されている。

紀元前8世紀頃からデルフィでは怪物ピュトンの魂を鎮めアポロンを称えるために、4年に一度の祭では詩歌や演劇を披露したり、歌やフルートなどの演奏が競われた。5000人もの人々が訪れたとされる。

写真 筆者撮影 2014年10月

保存状態はかなり良好で、古代の原形がほぼそのままの姿で残り、35段の大理石の階段席の上部から眺めるデルフィの聖域は神秘的な光景である。

写真 筆者撮影 2014年10月

現代の国際競技場の観客席のデザインも、このギリシャ円形劇場の寸法の基本を踏襲している。

写真 筆者撮影 2014年10月

プロナオス・スタディオン 野外競技場

円形劇場を更に上へ登ると平坦なグランドに出た。
ここは野外スポーツ競技場の元祖といて良い。片側に野外観客席の跡もあった。
紀元前6世紀になると戦車競争やレスリングなどの体育競技が追加されて体育祭がもようされた。
ギリシャ中の各都市国家・ポリスから競技者と観戦者が集まったという。
そして勝者にはアポロンの象徴である月桂樹の葉で作られた「月桂冠」が与えられたという。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

集落 に埋もれていた 古代遺跡

中世になると、デルフィの古代遺跡の上に集落が作られていった。
住民たちは、住居の梁や屋根を支えるために遺跡の大理石の柱や構造物を利用した。それらの行為で、この遺跡は埋没するに至った。
1580年には。大地震もあったといわれている。

1893年、エコール・フランセーズ・アテネの考古学者たちが集落の下に古代デルフィの 古代 遺跡を再発見し、住民たちの暮らしていた集落は、西側の別の場所に移転させられた。

夕暮れ時のデルフィ

ギリシャは極めて複雑な地形をしている。
手前の水面は湖のように見えるが、コリント湾で海水である。
湾の向こう側にペロポネソス半島の山脈をみる。
神話と神託の世界を見るが如しである。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

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