スペイン,マドリード旅遊 2013年10月 #1/3

スペイン,マドリード旅遊
2013年10月
#1/3

グラナダから陸路、イベリア半島の真ん中に位置するマドリードにやってきた。

マドリードが最初に歴史の記録に残されたのは、9世紀にコルドバのウマイヤ朝が現在の王宮のあるところに、小さな宮殿と要塞の建設をしたときにさかのぼる。コルドバはマドリード開闢以前に、れっきとした先進都市であったのだ。

文献によると、マドリード発祥の小さな宮殿と要塞の近くを流れる川は、当時アラビア語で「アル・マジュリート」(水の源)と呼ばれた。そこからこの地は「マジェリト」と呼ばれるようになり、現在の「マドリード」となった。

イスラーム教徒が9世紀に建設した要塞都市マドリードは、レコンキスタで、1081年、カスティリァ王国によって奪回され今日に至っている。

15-17世紀にかけてのスペイン黄金時代のマドリードは新大陸から流入する富によって栄えた。宮廷画家ベラスケスといった芸術家をはじめ、美術、音楽、文学が隆盛し、この時期から文化の一中心となっていった。

スペイン語

スペイン語を公用語としている国と地域の数は中南米諸国など21以上あり、約5億人がスペイン語を話す。そのスペイン語の発祥の地は首都マドリードとその周辺である。

また、インターネットのスペイン語利用者は、英語、中国語に次ぐ第三の言語である。

中南米の国々の人達は、マドリードを訪れても言語的な障壁を感じることがなく、この都市に自然になじみやすい。そのような背景があって、マドリードは、いつでもラテンアメリカ風で陽気な活気があり、様々な国籍の人々が混ざり合い、オープンな都市に成ったといえる。 

マドリードのセントロを行く

有名な美術館や、あらゆる種類のショップが立ち並ぶ活気ある通り、世界中の料理が味わえるレストラン、ユニークなナイトライフに加えて、マドリッドでは、散歩にぴったりの魅力に満ちた静かで歴史的な街角がある。

また友達同士で集まって飲むのによい、百年以上何世代にもわたって続く家族経営の雰囲気が漂う居酒屋もある。これらあらゆるスタイルの地区が、混在していて、旅行者にも優しいのがマドリードの魅力であると言えよう。

マドリードの中心市街地「セントロ; CENTRO」は、ほぼ直径2KMの円の中に納まる。とてもコンパクトな市域に、多くの歴史的な建物や飲食店やホテル、世界的な博物館などが詰まっている。見るものすべてが写真栄えするので、一日中歩いても飽きさせることがない。

セントロを散策するにあたっては、数本の道を覚えておけば迷子になることはない。
1.  グランビアGRAN VIA;
 (ブティック店が終結するショッピング街、王宮からプラド博物館を結ぶ2キロの大通り。)
2. アルカラ通り;CALLE DE ALCALA 
 (プラド博物館からプエルタ・デル・ソル広場 まで、歴史的建造物が多い通り。)
3. マヨール通り; CALLE MAYOR;
(プエルタ・デル・ソル広場から王宮に至る通り)
. プラド通り;CALLE DE PRADO;
(プラド博物館からサンタ・アンナ広場までの短い道)
以上4本の道を覚えておけば、旧市街地セントロの見物を効率的にし、広場で憩うことができる。下述のそれぞれ性格の違う4っつの広場を巡廻するとマドリッドを効率的に理解できる。

① プエルタ・デル・ソル広場 ② マイヨール広場 PLAZA MAYOR ③ サンミゲル市場 Mercado de San Miguel ④ サンタ アナ広場 

アルカラ通り界隈 CALLE DE ALCALA

マドリードの散策の基点はアルカラ通りになった。タクシーの運転手がたまたまこの通りに下ろしてくれた。タクシーを降りてから周囲を見渡すと沢山の重厚な建築遺産が終結していた。この通りは、まさに現役の野外建築博物館であった。

EDIFICIO CANAREJAS

古くからの数棟の雑居ビルを、まとめて修復保存をして、活用した建物で、フォー・シーズンホテル、高級マンション、高級店舗が入居している。

角地の窓・バルコニーには、機械仕掛けの人形時計がある。

2013年10月 筆者撮影

マドリッドのカジノ

竣工は1910年。マドリッドのミシュランの星付のレストランのひとつがこの中にある。

2013年10月 筆者撮影

カジノの2階の豪華なファサード。

2013年10月 筆者撮影

カジノの入り口。

2013年10月 筆者撮影

2013年10月 筆者撮影

王立サン・フェルナンド美術アカデミー

竣工は1724年。マドリードのカジノの西側に隣接する。主に15~20世紀の絵画が集められ、スペインの美術館の中でも最良のひとつに数えられています。

2013年10月 筆者撮影

ゴヤ展が開かれているようだ。

2013年10月 筆者撮影

18世紀の重厚な入り口デザイン。

2013年10月 筆者撮影

Real Casa de la Aduana 

旧税関の建物、現在は金融省のビル。スペインの国旗が、掲げられています。

2013年10月 筆者撮影

2013年10月 筆者撮影

旧ビルバオ銀行ビル Antiguo Banco Bilbao Vizcaya

この建物は、1920年から 1923にかけて、ビルバオがあるバスク地方の建築家(1879–1953)によって建てられた。

とても勇ましい正面が人の目をひく。

2013年10月 筆者撮影

プエルタ・デル・ソール広場 (太陽の門)
PUERTA DEL SOL

マドリッドの中心にある半円形の広場。歩行者天国の広場で、車に邪魔されることなく周遊することができる。スペイン国道の起点(0km)となっている場所である。

17世紀から19世紀にかけ、プエルタ・デル・ソルは市民の重要な待合場所であった。スペイン他地域や国外からの荷物が郵便局へ集められる最終目的地で、最新のニュースが集まってきた。(下)

また、地下鉄1/2/3号線及びスペイン国鉄がこの広場の地下に駅を設けています。

周囲には様々な商業施設、飲食店、ホテルなどがこの広場を中心に軒を並べます。

カルロス三世の騎馬像

下の写真の銅像の主を調べてみると、次のようなことがわかった。この銅像は、カルロス三世スペイン国王で、その在位は1759年から1788年である。

2013年10月 筆者撮影

現在マドリードにある歴史建築物の多くは彼の時代に建設された。啓蒙君主としてスペインの国力をある程度回復させた。国力の低下により荒廃していたマドリードを再開発、現在にも残る近代的街並みを整備した。

2013年10月 筆者撮影

この広場は、銀座界隈と東京ディーズニーをたして2で割ったような感じだ。

2013年10月 筆者撮影

広場で繰り広げられる余興の数々は、手品師。

2013年10月 筆者撮影

電気仕掛けの怪物。

2013年10月 筆者撮影

彫刻ではなく、生身の人間です。

2013年10月 筆者撮影

2013年10月 筆者撮影

マイヨール広場   PLAZA MAYOR

プエルタ・デル・ソルから約300mほど西に歩くと「マヨール広場」に迷うことなく到着する。

スペイン語でマヨール(Mayor)とは「大きな」という意味。縦129mX横94mの大きな長方形の広場で、17世紀に造られた4階建ての建物に囲まれている。

昔から交通の要衝で商業の中心地であり、マドリッドで最初の市場が15世紀には既にこの地にあったとされる。

広場に入るには、囲まれた建物の一部がの下のような通路から入ります。中に入ると外界の交通の喧騒から隔離された17世紀風の時代の世界が広がります。

2013年10月 筆者撮影

現在の広場の原型は、建築家フアン・デ・ビリャヌエバ氏の設計によるもので1854年に完成。かつては王室の儀式や祝祭のみならず、闘牛、宗教裁判、拷問や焚刑なども行われたそうです。

2013年10月 筆者撮影

2013年10月 筆者撮影

2013年10月 筆者撮影

フェリペ三世の騎馬像

広場の真ん中にフェリペ3世(Felipe III, 1578年ー1621年)の騎馬像がある。彼は、スペイン、ナポリ、シチリア、ポルトガルの王であった。

2013年10月 筆者撮影

調べてみると、日本との重要な接点があった。フェリペ3世は、慶長遺欧使節の支倉常長らと1615年に面会している。慶長遺欧使節は、メキシコ経由で当時の世界帝国スペインに到着した。そしてさらにマドリードから陸伝いにローマ・バチカンまで行き、ローマ法王に面会している。

フェリペ3世と日本の重要文化財『洋時計』

慶長16年(1611)スペイン国王フェリペ3世から海難救助のお礼として徳川家康に贈られた洋時計が久能山東照宮に神宝として残されて、国の重要文化財に指定されている。

2013年10月 筆者撮影

男女2人の芸人。女性は日本の扇子をかざしている。大航海時代にいち早く東洋の文物を取り入れた当時のスペインの進取な気分がうかがえる。

2013年10月 筆者撮影

この様な観光客用の仕掛けが、広場の真ん中にある。

2013年10月 筆者撮影

広場の周辺の店舗には、アートショップが沢山あり、楽しい雰囲気だ。

2013年10月 筆者撮影

写真 筆者撮影 2013年10月

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