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マレーシア旅記 #2/4
1974年
イポー, ペナン
個人所有のセスナ機で、
クアラルンプールからイポー経由で ペナン島へ
暴動から数年の後、前述のクアラルンプールのフェデラルホテルのオーナーの招待で、彼のプライベートのセスナ機で、彼の会社が所有するペナン島の土地を視察に同行することになった。下の写真は、クアラルンプール北方ペラク州の首都イポーの簡易空港に着陸した時の様子である。

マレーシア、イポー市空港、セスナ機無事着陸
1974年 筆者撮影

イポー
マレーシア・ペラク州は、20世紀になって錫鉱石の埋蔵が発見された。英領殖民時代には、多くの投資がおこなわれ、その中心としとして生まれたのがイポーの町である。鉱山の仕事には、多人数の工夫が必要になり、多くは広東人の移民があてがわれた。その結果、マレーシアの一地方都市、イポーの人口の7割は中華系となり、街中では広東語が巾を利かせることとなった。
水に鉱物のミネラル分が多いためか、食事とコーヒーがおいしい街である。
廃鉱の残滓
軽飛行機での低空飛行の利点は、下のような写真を撮ることが出来ることだ。
下はイポー近郊の錫鉱山の残滓である。
1970年になって、錫の国際価格が暴落し、鉱山の廃坑が増えた。
それによってイポーの町の発展も終焉をむかえた。

錫鉱山の残滓 1974年 筆者撮影
マレーシアの米作地帯
軽飛行機は、立ち上る積乱雲を避けるため、パイロットはその谷間を器用に選びながら、マレー半島を北上する。半島の中部から南部にかけては、地表のほとんどが天然ゴムの林か油椰子のプランテーションである。それに比べて、タイ国と国境を接する北部ケダー州にになると、写真のような水田地帯が広がる。マレーシアのいわゆる穀倉地帯である。

ケダ州穀倉地帯 1974年 筆者撮影
ペナン島
ペナン島の空港は、当時1978年、とても小さな建物が滑走路の近くにポツンとある様なしつらいであった。バトゥフリンギというペナン島きっての景勝地にリーゾート開発の波が押し寄せつつあった。
空港の新ターミナル計画の模型が旧空港の待合室に展示されていた。現在はこの空港ビルも壊されて、さらに大型のターミナルビルになっている。

1974年 筆者撮影
ペナン島の街ジョージタウンから植物園に通じる巨木の並木道。
1960年代モデルの英国車が走っています。

1974年 筆者撮影

1974年 筆者撮影
写真(上)(下) オーナーの所有地を検分する。この敷地はペナン島きっての景勝地である。海峡のかなたにマレー半島の山脈を望む。

1974年 筆者撮影
眼下にバトゥフリンギの海岸道が見える。
ここがペナン島第一の景勝地である。

1974年 筆者撮影
敷地内のジャングルの傾斜地を切り開く工事人。

1974年 筆者撮影
リゾートホテルのプロポーザル
この傾斜地に、海辺のリゾートホテルのデザインプロポーザルを行った。

筆者事務所作成 1974年
リゾートホテルのプロポーザル。(Mount Pleasure, Batu Ferringi, Penang)

1974年 筆者事務所作成
現地の新聞社の取材
ペナン島・バトゥ・フリンギ海岸のリゾートホテルの模型をプレゼンテーション用にクアラルンプールで作成。プロジェクトのお披露目に現地の新聞社が取材に来た。

現地新聞社写真 1974年 左から二人目、筆者。