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ジャワ島周遊の旅 #2/2
1975年
スラバヤ⇒ジョクジャカルタ

ジョクジャカルタへ夜中に到着
東ジャワ・スラバヤの鉄道駅を午後に出て、中部ジャワ、ジョグ・ジャカルタの駅に到着したのは、真夜中に近い時刻になっていた。この中部ジャワのボロブドゥール遺跡を訪れるのが目的である。
下の地図の如く周りには4っつもの活火山に囲まれている。いずれも形状は富士山の様な円錐形の独立した山々である。

中部ジャワの典型的な火山の全貌。

建設中の谷に架ける橋。古い橋が使用困難になり新しい橋を建設中であった。

1975年 筆者撮影
地方都市を巡るには、小回りが利く安くて便利な3輪車。ほとんどがインド起源。メーターが無いので、乗る前に運賃をネゴしてきめる。

1975年 筆者撮影
マリオボロ通り
昨夜は、駅近くのムティアラホテルに深夜にチェックインをした。早朝、ホテルの近くのこの町のメインストリートに出て、アボガドのジュースを露天で作ってもらい飲み⼲した。すると数分も建たないうちに、この路の路肩に、昨夜の夜⾷と共に、すべてを嘔吐した。昨夜深夜にルームサービスで頼んだ椰⼦の汁浸しチキンカレーによるバイキン性の⾷中毒が原因であった。アボガドのジュースの⼒を借りて嘔吐すればスッキリで、インドネシア初の腹痛を薬なしで克服して、何事もなく⽬的地に向かった。
30年後になって、2006年5⽉に、ジョグジャカルタ近郊でM6.4の地震が発⽣した。 死者5,800⼈以上の⼤惨事となった。この下写真の⼤通りは、すでに近代的な建物が軒を連ねていたが、ほとんどが被災した映像を⾒た。

1975年 筆者撮影
ボロドゥブール遺跡
世界⽂化遺産、東南アジア3⼤仏教遺跡のひとつ
ボロブドゥール遺跡はジョグジャの町から⻄北⽅40kmほどのところにある。ホテルで⾞を⽤意してもらい、遺跡に向かうことにした。ワゴン⾞には、国連関係でベトナムに駐在しているアメリカ⼈夫妻と乗り合いになった。
ベトナムでは、激しい戦争が⾏われている。アメリカ軍のサイゴンの制空権を抜け出し、このジャワ島の奥地まで旅しているわけで、その探究⼼には頭が下がる思いであった。

1975年 筆者撮影
ボロブドゥール遺跡は、大乗仏教を奉じていたシャイレーンドラ王家によって、780年頃から建造が開始され、830年頃に一応の完成をみたとされる。
文献によると、法隆寺は、711年には五重塔初層の塑像群や中門の金剛力士像が完成しているので、法隆寺は、この頃までには五重塔、中門を含む西院伽藍全体が完成していたとみられる。
つまり古代インドを起源とする仏教文化は北回りで島国の日本に到達し、8世紀初頭に法隆寺が造営された。一方仏教文化は南回りでジャワ島に到達し、1世紀遅れの9世紀初頭にボロブドゥール仏教寺院が造営された。
ボロブドゥール遺跡は、世界最大級の仏教寺院である。その周囲はムラピ火山、メルハブ山、スンビン山などの活火山に囲まれた盆地のようなところにある。
基壇は一辺約120mもあるそうだ。
その上に5層の方形壇が載せられている。さらにその上に3層の円形壇があり、計9層のジグラット(階段状のピラミット)状の構造となっている。

1975年 筆者撮影
ボロブドゥールはまた、その形状から世界最大級のストゥーパ(仏塔)でもある。筆者は以後5回以上インドを訪れ、エローラやアジャンタの世界遺産である仏教建築遺跡を探し歩いたが、このボロブドゥール遺跡に相当する古代宗教建築を見出すことが出来なかった。
ボロブドゥールは、それ自体が仏教的宇宙観を象徴する巨大な3次元のマンダラと見ることも出来る。

1975年 筆者撮影
5層の方形壇
ボロブドゥール遺跡には、祈りのための内部空間がない。そのかわりに、上述5層の方形壇に、露天の回廊がめぐらされている。その回廊の縁壁には、インドの古典由来の彫刻が連続している。これが設計者の意図した参拝の導入部に相当するのではないだろうか。これらの5層の回廊をすべて参観すると、少なくても2kmほどの距離を歩くことになる。
宗教建築設計のコンセプトが明快であり、熱帯の気候にもよくマッチして秀逸である。筆者は以後インドで様々な仏教、ヒンズー教の建築遺産を尋ねることになるが、このようなダイナミックな遺跡は見たことが無い。

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影
ストゥーパ
ストゥーパとは元来、釈迦の遺骨や遺物などをおさめた建造物であるが、ボロブドゥールは、さらに内部にも多数のストゥーパを有する特異な構造を呈している。
ストゥーパの釣鐘状になっている部分は、一辺23cm大の石のブロックを目透かし格子状に積み上げ、中の仏像を拝することができるようになっている。漆喰など接着剤は一切用いられていない。
頂上には釈迦の遺骨を納めたとされる、ひときわ大きなストゥーパがある。天上をめざしている。この中心塔は空洞になっていて、大乗仏教の真髄である「空」の思想を表しているとされ、ジャワ仏教の独自性がここにある。
ひときわ大きなストゥーパが階段上に最初に現れる。

1975年 筆者撮影
圧倒的な存在感で眼前に現れるスト-パ。
急な階段を登りきると、割れ⾨の間に巨⼤なストゥーパが突然視界に現れ圧倒される。これは当時の設計者達が、視覚的な効果をよく理解、計算し、意図的に設計を⾏ったに違いない。
この中⼼塔は空洞にしており、これは⼤乗仏教の真髄である空の思想を表現しているとされ、ジャワ仏教の独⾃性が⽰されている。

1975年 筆者撮影
最上段のストゥーパ群
ボロブドゥールは、それ⾃体が仏教的宇宙観を象徴する巨⼤な3次元のマンダラと解釈することができる。⼀説には、須彌⼭を表現したものとも考えられている。

1975年 筆者撮影
この釣鐘状のストゥーパは全部で72基あり、三重の円を描くように配置されている。下層より32 基、24基、16基、である。頂上には釈迦の遺⾻を納めたとされる、ひときわ⼤きなストゥーパがひとつあり、中⼼の要のシンボルとなっている。

1975年 筆者撮影
トゥーパの釣鐘状になっている部分
⼀辺23cm⼤の⽯のブロックを⽬透かし格⼦状に積み上げ、中の仏像を拝することができるようになっている。地震の頻度が多い地⽅であるが、漆喰などの接着剤は⽤いられていない。この各々の⽬隠しエレメントが地震⼒を相互に打ち消すように造られているに違いない。

1975年 筆者撮影
ユネスコの援助
ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、この遺跡の保存のため援助を行い、遺跡保存の工事がコツコツと行われていた。世界の有志国家がお金を出し合っている。

1975年 筆者撮影
ボロブドゥール遺跡の最上段から振り向くと、活火山に囲まれたジャワ島の肥沃な盆地が一望できる。

1975年 筆者撮影
建築文化の多様性
インドを発祥とする仏教はアジアの内陸を伝わり日本に達して、8世紀初頭に法隆寺が造営された。世界最古の木造建築群と認定されているサスティナブルな建造物。
一方、南回りでアジアの海洋の縁をジャワ島に到達した仏教文化は、1世紀遅れの9世紀初頭にジャワに伝搬し、ボロブドゥールの仏教建築となって出現た。
内部空間の無い石造の建造物。
今日の世界文化遺産であるこの二つの仏教建築は、人間が造る文化と表現の多様性について深く考える機会を与えてくれたと言える。
ジャワ更沙
中部ジャワ、ジョグ・ジャカルタには、伝統工芸のジャワ更沙(BATIK)が有名な産地で、工房が市中に点在し見学することが出来る。
蝋を使って手作業で図柄をしたためる工房の女性たち。

1975年 筆者撮影
染色後、お湯の樽で蝋を溶かす人達。

1975年 筆者撮影
仕上げのアイロン掛け。すべての工程が手作業である。

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影
バンドンからジャカルタへ
バンドンからは、我々の車両はコンパートメント個室の夜行であった。個室内のベッドは片側3段のものであった。バンドン駅からは、大学生ぐらいの若い西洋人女性が乗り込んできた。バンドン・ジャカルタ間は山岳地帯で、曲線が多いためか、保線がよくないかで、車両はゆれにゆれた。このジャカルタ在住のオランダ女性は3段ベッドの一番上で、この激しい揺れに困惑しているようなので、彼女に2段目をあけてあげた。
彼女の持ち物は数キロの米の入った袋であった。食糧難でもあるまいし、なぜ米袋を持ち歩くのかを聞いてみた。答えは次ぎの様であった。バンドンの近くにチアンジャールという高原盆地がある。そこで採れた白米はインドネシア最高の美味であるということであった。日本でも流通に問題があった戦後の一時期、新潟米あるいは秋田米を、個人が東京行きの列車に持ち込む風景が思い出された。なるほど、この時のインドネシアも同じような状況だったのだ。