ENG | JAP
インド旅行 1989
#2/13
マハバリプラム
MAHABALIPURAM 1989 02 01
マハバリプラムは、チェンナイ(マドラス)の南約60キロメートルに位置する。
マハバリプラムは、パッラヴァ朝(4世紀ー9世紀)の内陸首都であったカンチーブラムの外港であった。パッラヴァ朝におけるベンガル湾に臨む一大拠点として栄え、海岸沿いに、数多くのヒンズー教寺院が造られた。

チェンナイ>カンチープラム>マハバリプラムの位置関係 筆者作図
マハバリプラムの建築群 ユネスコ世界文化遺産
最初期の石造寺院である石積みの「海岸寺院」や「五つのラタ」などがある。

マハバリプラム 筆者作図海岸寺院
SHORE TEMPLE
7世紀末葉から8世紀初頭にかけて海辺に建てられた「海岸寺院」は切石を積んで建立した石造寺院である。他の多くの遺跡は7世紀前半から後期にかけて造られた。つまり、「海岸寺院」は、マハーバリプラムのなかでは新しい年代に属する。


強い直射日光と外洋からの海風に耐え、良くぞ8世紀以降今日まで存在している。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
海岸寺院 (Shore Temple)

1989年 筆者撮影
海岸寺院 (Shore Temple)
かつては7つ寺院があったが、殆どが水没してしまい、今は2つのみが残ると言われている。8世紀ごろに建てられたが、長年の潮風によりかなり風化している。

1989年 筆者撮影
地元の子供たちと家族
この世界文化遺産に、地元インドの子供たちや家族の人物がうまく溶け込んでいて、それが絵になっている。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
アルジュナの苦行 ARJUNA’S PENANCE
古生代からの巨大な天然岩石に、ヒンドゥー教の聖典の一つである叙事詩『マハーバーラタ』のなかのに登場する英雄「アルジュナの苦行」、または、ガンガーの降下とも呼ばれガンガーがこの世に降りてきた物語の場面を描いたと言われている。 岩面彫刻の数は総数 146。左側半分には、石窟寺院が掘り込まれている。

1989年 筆者撮影
岩壁彫刻
磨崖彫刻では、高さ9メートル、幅27メートルの岩山に彫られ、石を彫ったレリーフとしては世界最大の規模を誇る。インド古代の叙事詩『マハバラタ』のなかの「アルジュナの苦行」の場面を描いたとするものである。その他に見所が沢山あるので、時間に限りがあり、この石彫だけをつぶさに見る余裕がなかった。

MANDAPA 1989年 筆者撮影
ガネーシャ・ラタ GANESHA RATHA

五つのラタ、パンチャ・ラタ
パンチャの意味=数字の5。 ラタの意味=山車(だし)あるいは寺院。
パンチャ・ラタは、古代の木造建築の民家やヒンドゥー寺院を模して南インドの寺院建築に多大な影響を与えたと言われており、現存する南インドのヒンドゥー寺院は、この5つのどれかが原型になっているとされています。
古生代からの巨大な天然岩石。
下スケッチ1に示した五つの天然石塊に、石窟寺院が彫られ、五つのラタとなった。
ラタ、とは一つの大きな岩の塊りを彫出した岩石寺院のことなのだそうである。

筆者スケッチ1
五つのラタの配置図
「スケッチ1」(上)の岩の塊から彫出した5つの岩石寺院のレイアウト

筆者スケッチ2
寺院の名称は、それぞれ『マハーバーラタ』の主要な登場人物の名にちなんで命名されている。
いずれも、屋根の装飾から門柱、壁面の彫刻、に至るまできわめて精緻につくられている。当時の南インドの木造寺院を模したものであるとされている。南インドの古建築の様相を伝えるものとして資料的価値もきわめて高い。19世紀に発掘された貴重な遺跡であることが実感できる。
この建造物群は、同一敷地内において、石窟寺院>石彫寺院>石造寺院の順で推移したことが、目の前で観察できる。また、この地域が南インドの古代ヒンドゥー建築のフロントランナーであったことがわかる貴重な場所である。
左より右へ アルジュナ・ラタ> ビマ・ラタ > ダルマラジャ・ラタ

1989年 筆者撮影
ダルマラジャ・ラタ
五つのラタの中で、最大のくり貫き石窟寺院。内部は未完成である。
馬蹄形の突き出し窓風の彫刻が、積み上げ屋根のアクセントになっている。造形能力、極めて高い。

配置図、右端 1989年 筆者撮影
ビマ・ラタ
くり貫き石窟寺院。内部は未完成であるが、中はひんやりとした空間になっている。

配置図、右から2番目 1989年 筆者撮影

配置図、右から2番目1989年 筆者撮影
アルジュナ・ラタ

配置図、右から3番目 1989年 筆者撮影
Nakula Sahadeva Ratha

配置図、最前面 1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
ドゥラパディ・ラタ
五つのラタの中で最小のくり貫き石窟寺院。内部は未完成である。
この地方の茅葺き屋根の住居を石造で表現したものとされる。

配置図、左端 1989年 筆者撮影

配置図、左端 1989年 筆者撮影
灯台 (LIGHTHOUSE)
高台にある灯台からインド洋ベンガル湾を一望。

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影

1989年 筆者撮影
コロマンデル海岸 COLOMANDEL COAST
コロマンデル海岸とは、インド・ベンガル湾の700kmにのびる海岸で、セイロン島の対岸タミールナドゥ州の東側にある。
旅行ガイドさんは、菜食主義者
インド洋に面した白砂の浜辺を歩いて行くと、オープンエアーのレストランがあった。海風に吹かれて、旅行ガイドのインド人の女性とランチをとることにした。メニューを開くと、彼女は菜食主義者で、動物の肉は一切食べないということだった。
ここで生涯初めて菜食主義者に出会い、菜食でも立派な体を作れることに驚くとともに、ガイドさんの体は菜食で創られていることを認識し、食事を共にした。

1989年 筆者撮影
この海岸にはハエが沢山いました。

1989年 筆者撮影
インドは動物と人間の距離が近い。(コロマンデル海岸)

1989年 筆者撮影
マハバリプラム町の様子
南インド特有の深い軒を持った家屋。
インドの冬は、軒下に入るととても気持ちが良い。

1989年 筆者撮影
マラバリプラム世界遺産地域に隣接した村の道路風景。
人々が行き交い、牛車が大きな荷物を運び、車やバイクやバスがそれらを除けながら走っている。この雑多な移動手段が、インドに特有な風景と言えるのではないだろうか。

1989年 筆者撮影
昔からの慣習に従い、玄関の床に、色つきの粉をちりばめ、魔除けの図柄のパターンを作成する家庭の主婦。

1989年 筆者撮影
コロマンデル海岸は、15世紀大航海の時代からポルトガルを始めとして、その後オランダ、フランス、イギリスなどの西洋勢力がインドの植民支配を賭けて、興亡を繰り広げた海岸地域である。
交易の物資としてインド伝統の更紗に注目がされ、この地域の綿織物と染色が世界各地に広まることになった。インドネシアのジャワ更紗、日本の友禅染などもこの地域の産品の影響を受けている。
ここマハバリプラムのおみやげ物屋さんにも豊富なインド更紗や絹織物が陳列され、旅行者を魅了する。

1989年 筆者撮影