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アメリカ・メキシコ, #6/6
1977年
ハワイ
カリフォルニア州レイク・タホー ⇒ ハワイ
レイク・タホー
アメリカ・メキシコ視察旅行も終盤になり、サンフランシスコに戻り、日帰りでレイク・タホーを訪れることになった。レイク・タホーは、カリフォルニア州とネバダ州の州境にある湖畔のリゾート地である。サンフランシスコからは、対岸のオークランドまで電車で行き、そこから車でカリフォルニア州の首都であるサクラメントを経由して更に奥に入る。

タホー湖を隔ててネバダ州側では、ラスベガスと同様にカジノ・賭博場が合法である。以下の写真は、カジノの無いカリフォルニア州側で、心地よさそうなマウンテンリゾートが、開発中であった。
ここは砂漠気候ではないので樹木も多く、ラスベガスとは対照的でより上品な行楽地である。

1977年 筆者撮影
3月中旬においても、雪が残っている。リゾートの家屋は木造であり、フェンスがなくベランダが外部にオープンになっている。木造建築に暖炉の煙突が設置されている。。

1977年 筆者撮影
森の中のリゾート地。フィンランドの湖沼地帯を彷彿とさせる。

1977年 筆者撮影
エステートの入口の管理棟。

1977年 筆者撮影
建設中の高層建物に遭遇した。全鉄骨構造。地震地帯にしては柱が細いのが気がかりではあるが。。。

1977年 筆者撮影
サンフランシスコからハワイへ
ハワイ・オアフ島
ホノルルに着いてみると、そこは前日の雪のレイク・タホーから一変して、湿度の高い亜熱帯の気候になった。一応見学のため、ワイキキビーチのハイアットレジェンシーに投宿し、おきまりの建築視察でアラモナ(Ala Moana) ショッピングモールや ヒルトンホテルなどを訪れた。
オアフ島は、移住した日本人や2世が多く、街角で日本語が幅広くつかわれていて、不思議な感じがした。
ホノルル市内のアラモナ(Ala Moana )ショッピングモール。

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影
ワイキキのコンドミニアム

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影
ホノルルヒルトン

1977年 筆者撮影
ハワイ・マウイ島
翌朝、小型飛行機でホノルルからマウイ島に向かう。ホノルル⇒マウイ島飛行距離、約160km。

ホノルル・マウイ島 航空経路
ホノルルの飛行場をテイクオフ、マウイ島に向かう。

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影
ハワイ・マウイ島
ホノルルから軽飛行機でマウイ島の空港に着く。空港からお目当てのホテルまでは火山の麓で風になびく一面のサトウキビ畑が続いていた。

崖っぷちの マウイ シェラトンリゾート
マウイ シェラトンリゾート
長いサトウキビ畑の道路を抜けて行くと、普通の低層の建物に到着する。その建物のロビーに入りチェックインをすませた。客室に行くにはエレベーターを下に降りてゆく。
部屋は一番下の階であった。部屋に入るとバルコニーからは、今まで隠れてみえなかった太平洋がそこにあった。波打ち際が手に届くような距離にあった。ロビーとラウンジは崖の上にあり、5層の客室は海に面した崖にへばりついた設計になっていることがわかった。この設計上の手法は秀逸である。
ホテルのゲストはほとんどがアメリカ本土から来た人達で、東洋人が多いホノルルのワイキキビーチとは雰囲気が違っていた。客はゆったりした中にも活気があり、このプライベート感のあるリゾートを楽しんでいるようだった。
マウイ シェラトンのレセプション・ロビーから、サトウキビ畑越しにㇷ゚ウ・ククイ火山を望む。

マウイ シェラトンのレセプションは、太平洋を望む崖の上にある。

マウイ シェラトンのビーチレベルからの外観。

ホテル専用白砂のビーチが広がっていた。

客室からの眺め。

客室からの眺め。

客室。

マウイ シェラトン
客室、曲線バルコニーの仕上げはアメリカ本土と比べるとかなり劣ったものであった。当時この離島の島で、資材と職人を集める苦労があったことと思う。

マウイ シェラトンリゾート エクスペヂィア
1977年3月、太平洋横断建築視察の旅10日間、無事に終えることが出来た。

訪れた都市
1.サンフランシスコ
2.ラスベガス
3.ロスアンゼルス
4. レイクタホー
5.アカプルコ
6.メキシコシティ
7.ホノルル
8.マウイ島