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アメリカ・メキシコ, #1/6
1977年
サンフランシスコ
アメリカ・メキシコ視察旅⾏
1977年になって、クアラルンプールのホテルのデベロッパーの招待でアメリカ、メキシコの視察旅⾏に連れてもらう機会を得た。太平洋をはじめて渡った。以下がアメリカ・メキシコの⾶⾏ルートとその記録である。

サンフランシスコ

最初の目的地サンフランシスコでは、時差ぼけになやまされた。着いたその日は時差ぼけでふらふらだった。
大学の同級生のシンガポール人と、久しぶりに中心部ユニオンスクエアーで待ち合わせをして、会うことが出来た。彼の日本語は日本人と同等級で、日本の建設会社でアメリカの中華系企業への営業を任されているとのことであった。

ユニオンスクエアー
サンフランシスコの中心部ユニオンスクエアー。この広場からウエスティンホテルを撮影。1977年。いかにも重厚なホテル建築だ。

1977筆者撮影
1977年にはアメリカではすでにガラス張りの展望エレベーターが設置されていた。

1977筆者撮影

1977筆者撮影
サンフランシスコのチャイナタウン
中華街はユニオンスケアーから歩いて行ける距離にあって、サンフランシスコの一等地を占めている地区にあった。

話に聞いた中華街、街のど真ん中にあり活気がある。活気はあるが、新しい建物は少なく、街路はくすんだ印象だった。

1977筆者撮影

1977年 筆者撮影

サンフランシスコのチャイナタウン 1977年 筆者撮影
坂の街・サンフランシスコ
サンフランシスコは坂の町である。どこへ行っても坂道に出くわす。
ゴールドラッシュで急いで都市計画を迫られていたのであろう。
低地・丘陵地の地形に関わらず、碁盤の目の道路を網を掛ける様に造られている。短期間で造られた都市計画とインフラストラクチャーであったが、それがこの都市の特徴となっている。主要な道路も坂道になっていて、公共交通としてのトラムが坂を上ったり下りたりしている。

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影
眩く真新しい摩天楼群
サンフランシスコのきらびやかな新築の白亜の超高層建築群、そして建築中のビル。一方日本の首都東京は、1968年(昭和43年)4月12日にオープンした霞が関ビルディングに続いて、新宿副都心の超高層ビル群が出現しつつあるのと同じ時期であった。

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影
サンフランシスコのランドマーク
トランスアメリカ・ピラミッド
TRANSAMERICA PYRAMID

トランスアメリカ・ピラミッドは、高さ260m、46階建てである。計画が発表されたときは、その奇抜なデザインから激しい反対が起きたが、1972年完成後しばらくするとサンフランシスコのランドマークになった。
ウィリアム L ペレイラ/William L Pereira
地震の多いサンフランシスコの地盤を考慮した耐震設計が施されており、1989年のサンフランシスコ大地震を無傷で生き抜いた。

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影
サンフランシスコのレストラン
全ての食事の盛りがジャンボと言って良い。野菜サラダもどんぶりの様な大きな食器に大盛で出される。アメリカは豊かな農業国でもあることを実感した。

1977年 筆者撮影
ハイアットリージェンシー・サンフランシスコ
HYATT REGENCY SAN FRANCISCO
このホテルは内部に巨大なアトリアム(吹き抜け)がある。その周り上方に客室の廊下がめぐらされていて、大空間ロビー・ラウンジを内蔵した画期的な、独創的なデザインであり、とても印象に残った。

1977年 筆者撮影
現在のアトリアム
開発者は ジョン・ポートマン John Portman
ジョンポートマンは、アメリカの近未来建築家であり、高層階のインテリアアトリアムのあるホテルで知られている不動産開発者である。1974年に完成したこの手法は、後になって世界各地の主要都市のホテルでまねられることになった。(写真下2枚)ポートマンは、彼の故郷のアトランタの街並みにも大きな影響を与えた。

www,printest.jp より転載

住宅街
天気が良い。坂に沿ってセンスの良い住宅が連なっている。これらの住宅の多くは木造建築である。(写真下)
この木造構造は、2X4(ツーバイフォー)工法と称され、サイズが約2インチX4インチの木材を組んで『枠組』をつくり、この枠組に『構造用面材』を接合して金具・金物などで一体化して、強固な六面体構造を形成する「面構造」工法である。『枠組壁工法』とも言う。
ツーバイフォー工法の大きな特徴は、床や壁などの「面」で地震に対抗する建物です。
歴史的背景としては、西部開拓時代のアメリカで、熟練の技をもつ職人が少ないという事情から2X4工法(ツーバイフォー工法)が広まり、標準的な木造住宅の工法となっていった。現在ではアメリカ、カナダの木造住宅の約9割が2X4工法(ツーバイフォー工法)と言われる。
この時期から、この工法が日本にもたらされ、住宅設計者や建築業者に普及していった。筆者の大学時代の級友もカナダに留学し、この建築手法を1970年代に日本に紹介した一人である。

1977年 筆者撮影
郊外の豪邸。

1977年 筆者撮影
ゴールデンゲイトブリッジ

1937年に完工したサンフランシスコのシンボルと言うべき吊り橋。
ゴールデンゲイトを北に渡ると市街地は無くなり静かな公園や保養地がある。

1977年 筆者撮影
撮影のため、橋脚の下方に行ってみた。美しい橋だ。

1977年 筆者撮影
フィッシャーマンズワーフ
サンフランシスコの名所であると聞いていたフィッシャーマンズワーフへ行ってみた。

西部のゴールドラッシュ以前からあった漁港であるという。
「漁師の波止場」の名の通り、様々漁船が多数停泊し、獲れたばかりの魚やエビ・カニ類を水揚げする場所であった。
フィッシャーマンズワーフ

1977年 筆者撮影
ロブスターハウス。採れたての魚介類が料理され客に振舞われる。
カジュアルな雰囲気のレストランが軒を連ねている。

1977年 筆者撮影
ベイブリッジと BART
(Bay Area Rapid Transit)
BARTは1972年9月11日に運行を開始しているので、我々が利用したのは、開通後4年半のことであった。BARTに試乗して驚いたのは電車の床の仕上がりが、カーペットであったことだった。
この経験は、常時満員乗車だった東京の国電(当時)の床がリノリウムシートであったのに比べ、サンフランシスコの公共交通の電車の床がホテルの客室の様にカーペットであったのには、驚いたことを覚えている。
ベイブリッジからサンフランシスコ市中心部に向かう高速道路。(写真下2枚)

1977年 筆者撮影

1977年 筆者撮影
1906年のサンフランシスコ地震
1906年4月、サンフランシスコ市街に近いカリフォルニア断層を震源とするマグニチュード7.5の直下地震が発生した。この地震で約3,000人が死亡し、大規模火災で22万5000人が家を失った。地震直後に発生した火災は3日間燃え続けユニオンスクエア、シティホールなど市街地を焼失させた。
1989年のサンフランシスコ地震
その後、サンフランシスコでは1989年にロマプリータ地震が発生、この地震ではベイブリッジ損壊や道路崩壊が起きた。また大規模火災も起きた。