京都 1968年(昭和43年) 12月

京都 1968年
(昭和43年)12月

浦島太郎

6年間日本を留守にし、ブラジル・サンパウロを拠点に、仕事や内陸旅行した後、ヨーロッパに渡り15か国を4ヶ月にわたり周遊、1968年11月に帰国を果たした。

その間のオリンピック開催前後6年間、東京の変貌はすざまじく、これが僕が知っていた日本かという有様であった。その間、就職し社会人として生計を立る必要も待ったなしであった。東京の親しみのあった街の風景は、喪失してしまった所が多く、周囲の活動のテンポが目まぐるしく、落ち着かない気持ちであった。

京都が持つ癒しの力

そうだ、京都へ行こう!! そこには変わることがない「本当の日本」があると確信し、知人たちと京都行きを決め、初めて乗車する東海道新幹線の人となった。

京都は別世界

1968年(昭和43年)12月の京都市三条通り、蹴上付近の光景。東京では路面電車がほぼ全廃になっていたが、京都市電は1978年に廃止されるまで80年以上にわたり、路面電車がまだ運転されていた。それは筆者が知っていた日本の変わらない光景であった。

京都市三条通り, 1968年12月 筆者撮影

きりっとしたユニホームを着て団体旅行者を誘導する女性たち。

1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

旅の同行者M氏(写真下、左の人)。ブラジル在住中の親友の一人。サンパウロ出張の東宝映画会社駐在員。ブラジル配給の映画、「羅生門」「七人の侍」「用心棒」「天国と地獄」 はサンパウロの芸術家や知識人から絶賛を受けていた。

M氏(左), 1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

この時期(1968年)に撮影した白黒のコレクション写真を改めてみると、和服で盛装した女性がほとんどを占めていることがわかる。

1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

国宝がある寺院の近くの公共の場で喫煙する男性(写真下)。当時は政府の内閣の会議でもタバコを吸う大臣がいた時代であった。

また、国際線の飛行機の全座席の肘掛けには、例以外なく小さなステンレスの灰皿が完備されていた時代であった。

1968年12月 筆者撮影

国民に一人一台のカメラ。カメラはドイツを凌ぎ、時計はスイスに勝る時代が、目の前に実現していた。日本は高度成長期の真っ只中にあった。

1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

献米 1968年12月 筆者撮影

献酒 1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

龍安寺 室町時代(1450年)に創建

世界遺産「古都京都の文化財」

方丈の縁台から枯山水を真剣に鑑賞する人々。超過密!!

1968年12月 筆者撮影

その後、龍安寺は数回の火災を経験。しかしそういった困難を乗り越え、1954年に方丈庭園(石庭)が国の特別名勝に指定される。

1968年12月 筆者撮影

龍安寺庭園 枯山水

1968年12月 筆者撮影

ユネスコ無形文化遺産 1994年登録

そして1994年には、石庭および龍安寺の境内全域が「古都京都の文化財」として世界遺産に登録。

1968年12月 筆者撮影

この10年前、建築学科の学生として学習の一環として、大学からの事前予約でここを訪れた事があり、西洋庭園との違いを明確に受け取る。さらにこの5年後、1975年に英国のエリザベス女王が龍安寺の石庭を拝観して外国により知られるようになった。

1968年12月 筆者撮影

石庭のことに触れられた書物から作庭時期は江戸時代、1619年~1680年と推測されているそうだ。また遠近法や黄金比という西欧手法が用いられていることから、庭園デザイナーは、江戸幕府の作事奉行で茶人としても知られる小堀遠州と推測されている。

1968年12月 筆者撮影

天龍寺

臨済宗天龍寺派の大本山であり、平成6年(1994)に世界遺産「古都京都の文化財」の1つに認定・登録された。足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るために、後嵯峨上皇の亀山殿の跡地に創建したことがこの天龍寺の始まり。
日本で最初に史跡・特別名勝に指定された。

天龍寺の庫裏

参道の終点に見える建物は、禅寺でおなじみの建物、庫裏(くり)である。

正面に美しい三角形の妻面を見せるこの建物は、天龍寺の表玄関。

この庫裏には拝観受付があった。

天龍寺の庫裏 正面 1968年12月 筆者撮影

天龍寺の庫裏 側面 1968年12月 筆者撮影

庫裏(くり)の側面の通風屋根。

天龍寺の庫裏 側面 1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

花頭窓

天龍寺の禅宗寺院特有の花頭窓(かとうまど)。

1968年12月 筆者撮影

1968年12月 筆者撮影

途中、茶室風の茅葺家屋。(所在地不明)

1968年12月 筆者撮影

就活・面接そして就職

東京に戻り、年が明け1969年1月、大学の教授の紹介でホテル建築の設計を専門とする建築設計事務所に面接に行き、採用された。

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