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ミャンマー旅録 1993
#4/5
バガン~1
バガンの寺院群の遺跡は、ジャワ島のボロドゥブール遺跡、カンボジアのアンコールワットを含めた、東南アジア三大遺跡のひとつである。永年訪れたいと思っていたが、1993年ヤンゴンでの仕事の合間に、ついにその機会を得た。バガンはマンダレーの180km南西部のイラワジ川の東岸にあり、マンダレーから車で3時間半ほどの位置にある。

我々一行がバガンを訪れたのは1993年で、この遺跡が世界文化遺産に登録される16年前のことであった。インターネットやスマホは無し、満足なガイドブックやホテルもない頃だった。遺跡に詳しい地元の女性ガイドさんがいて、彼女によると、バガンの遺跡群領域は4km2程もあり、膨大な領域のその中に、仏塔が3,000ほどあるとのことだ。
いずれも11-13世紀に建てられたもので、大小さまざまに林立し、崩れかけているものも沢山あり、建設された時代の全体像を把握することが、とても難しい。

モンゴル軍の攻勢により絶滅
ガイドさんによると、バガン王朝は蒙古クビライの下賜品を断った後の1287年に、モンゴルの来襲によりに滅ぼされたとのことだ。
参考までに、日本への元冠・蒙古来襲は、1274年。(対馬に上陸、その後博多湾の戦いで敗退.

Shwezigon temple complex
マンダレーがらバガンの領域に達すると、最初に遭遇する建物群は、このシュウェジゴン寺域である。バガン王朝の創設者、アナワータ王によって普請がスタートし、1102年息子の代に完工した。

経年で黒ずんだチーク材の妻入り屋根のお堂。その背後に真っ白な仏塔。熱帯地方の太陽下での色調のコントラストが強く、ユニークだ。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
暑さを防ぐための深い軒。この地の気候にマッチしている。

写真1993年 筆者撮影
軒先の四隅に伸び上がる木彫のオブジェ。建物に生気を与えている。

写真1993年 筆者撮影
黒と白。異なる建築物の色彩対比が良い。

写真1993年 筆者撮影
境内の広場。白と黒で構成されている。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
一片の雲もない青い空 !
そして乾燥した汚染のない空気 !

写真1993年 筆者撮影
天井のパターン。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
寺院入り口のアクセスと細密な木彫。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
バガンの中で、この寺院が現役として参拝者を集めている、唯一の寺院と察せられた。永年にわたり白いパゴダを中心に、数々の増築が行われて来たことを、観察しながら読み取ることが出来る。

写真1993年 筆者撮影
遺跡発掘中の現場地図。

写真1993年 筆者撮影
Ananda Temple

ン族とインドスタイルが、ミックスされたデザインで、インド人の建築師によるものと推測されている。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
That-byin-nyu Temple
アナンダ寺院の近くにある。12世紀の中ごろに建てられたとされる。

Dhamma-yan-gyi Temple
バガンの領域の中では最大の遺跡寺院で、確かな存在感がある。ガイドさんの説明によると、ナラトゥ王の建立である。彼は父と長兄を殺害し王座を得た。その罪滅ぼしに、この寺院を建てた。

パガン最大の寺院 グーグルマップ
バガンの寺院の中で、圧倒的なレンガの量を誇る寺院。これだけのレンガを焼くために、大量に木材を切り倒す必要が生じたことであろう。他の諸々の寺院に関しても同様である。それに伴い、広範な環境破壊が免れず、王朝を維持する力が失われたのではないだろうか。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
圧倒的なレンガの量

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
乾燥した暑い気候の中、この様な総レンガの檀状のテラスに座って、しばし休憩し、地元のマンダレービールを飲む。
そして広大な歴史遺産を上から眺める。至福の経験であった。

写真1993年 筆者撮影
汚染のない乾いた空気。レンガ造りの建物に投射される陰影のコントラスト。

写真1993年 筆者撮影
丸みの帯びた塔、そしてレンガ一個一個の手造り感!

写真1993年 筆者撮影
数え切れない程の沢山の白いパゴダが視界に入る。

写真1993年 筆者撮影
西側地平線に、大河イラワディ川が見える。
夕日が沈む風景はすばらしいことであろう。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
宗教都市バガン
研究者によると、寺院や家屋の素材は居住者の身分によって異なっていたそうだ。 煉瓦は仏教建築にのみ許される特別な建材であった。高位の者は木造建築の邸宅。一般民衆は茅葺の屋根、竹壁の家に住んでいた。
視覚的に建築物の差別化を行うことで、建築面における聖俗の線引きが行われていた宗教都市であったことが察せられる。
王朝都市は、モンゴル軍の侵入により、木造あるいは竹作りの建物のは、破壊されたであろう。
そのため、残っていたであろう建物も住民を失ない人口が減り、レンガ造り宗教建築のみが残り、この都市の在りし全体像が、今では想像することが難しい。

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影

写真1993年 筆者撮影
イラワディ川
広大なバガン遺跡を、運転手さんとツアーガイドさんに案内してもらった後、南端にあるイラワディ川の川岸の小高い丘に来た。
チベット高原、ヒマラヤ山脈東端を水源とするイラワディ川の全長は 2,170KMで、函館から鹿児島までの新幹線の全長に近い長さだ。流域は41万平方キロで、日本の国土の総面積より広い。人のいない川岸。ポンプで水をくみ上げている。

写真1993年 筆者撮影
静かで平和なミャンマー奥地の大河。水も空気も綺麗です。

写真1993年 筆者撮影
仏像の上の傘、ユニークな造りだ。

写真1993年 筆者撮影
奥にはLawkanandaPagodaがかすかに見える。この南端の寺院の前庭に来て、バガンで初めて、現地のミャンマー人たちが大勢集うのを見た。パガン遺跡の広大なエリアには、外国人は勿論、現地の人達の旅行者はほとんど見かけなかった。

写真 筆者撮影 1993年