シンガポールの黎明期 1970年代 #5/10

シンガポールの黎明期
1970年代
#5/10

コロニアル建築

イミグレーション・オフィス

筆者がシンガポールに1969年に途任して、滞在ビザの申請に行ったイミグレーション・オフィスは下の写真の様な植民地様式の建物の中にあった。オフィサーには、まだ英国人のお役人が事務に携わっていた。1970年当時は、就業外国人は少なく、この様な植民地風の建物の中でビザ発給業務を行っていた。

その後シンガポールでは、就業者の需要が爆発的に増え、外国人の需要が高まりイミグレーション・オフィスは巨大なオフィスビルに移転し、このコロニアル建築は博物館に変身した。

コロニアル邸宅

英国植民地時代の大邸宅・1

シンガポールの緑豊かな高級住宅地には、大きな敷地を持った数々の大邸宅が残されていた。そこに住んでいたのは、旧軍の将校、東インド会社の支配人、香港上海銀行の支配人、シンガポール港の支配人、等々であった。

イギリス植民者たちは、戦後になり残されていた数々の大邸宅を手放した。過っては現地人オフリミットの高級邸宅地域の豪邸は、富を築いた中華系の金持ちたちの手に落ちることとなった。敷地面積が充分大きかったので、そのうちの一部を除いてほとんどが壊されて、広い敷地の上に高級コンドミニアムが建てられていった。

また下の写真の5ヘクタールあまりの広大な敷地の中にあった大きなな一軒家は取り壊され、現在はインドネシア大使館と大使公邸や館員宿舎に変貌している。

旧英国東インド会社支配人の大邸宅

1970年代 筆者撮影

旧英国東インド会社支配人の大邸宅の車回し

1970年代 筆者撮影

1970年代に植民地時代のコロニアル風邸宅は、再開発のため多くが失われていった。

旧英国銀行支配人の邸宅
1970年代 筆者撮影

1970年代 筆者撮影

英国植民地時代の大邸宅・2

スコッツロードにあったグッドウードパークホテルのマネジャーの紹介で、オーナーを知ることとなった。彼が所有していたのが、この植民地由来の邸宅であった。年季がかかったこの建物を補修して蘇らせたいとの注文であった。
ところが、オイルショックの真っ只中で、建材の値段が高騰している最中であり、この試みは中止になった。華僑の人は思い立つのが早いが、退くのも早い。

これらの建物は皆類似したつくりで、入り口前にたっぷりした車回し、1階にパーティーが出来る大広間、2階には広いベランダ付の広い寝室、本館に付属して2台以上のガレージ、使用人部屋、警備員詰め所。の構成が一般であった。

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

車回しの上部に設けられた、2階のバルコニー。

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

植民地時代の使用人住居。本館とは別棟になっている。

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

植民地時代の邸宅の本館と使用人住居を結ぶ渡り廊下の木造天井。

1975年 筆者撮影

1975年 筆者撮影

英国植民地時代の大邸宅・3

日本大使館の近くナッシムロードに存在していた大邸宅。いつもの間にか無くなっていた。

1975年 筆者撮影

旧英連邦軍が残した兵士宿舎・1

1968年イギリス軍がスエズ以東からの撤収をきめ、1971年にシンガポールからも撤退すると、数々の軍関連施設が残された。あるものは取り壊され更地となった後、コンドミニアムが建てられ、あるものは保存されリーゾート施設として再活用されることになった。

旧英連邦軍兵士の宿舎

1971年 筆者撮影

アスファルトの道の上をとぼとぼと歩いていると、木の枝から何かが落ちてきた。それはカメレオンであった。アスファルト上のカメレオンの体の色は、緑色からみるみるうちに灰色に変色していった。カメレオンの変色プロセスを初めて見て驚いた。

旧英連邦軍兵士の宿舎 1971年 筆者撮影

旧英連邦軍が残した兵士宿舎・2

セントサ島の旧英連邦軍兵士の宿舎。1971年、英軍の撤退によりシンガポール政府に引き継がれ、リゾートホテルなどに修復され使われるようになった。

セントサ島の旧英連邦軍兵士の宿舎。1971年
英軍の撤退によりシンガポール政府に引き継がれた。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *