ENG | JAP
アテネ・ギリシャ
2014年10月
#3/4
晴天のアクロポリスの丘から下り、次の必須の目的地、新アクロポリス博物館に徒歩で向かいます。

新アクロポリス博物館を訪れる前に、隣接したカフェ・レストランで一休みとなった。このアクロポリス南側の区域のは、プラカ地区とは違って、洗練した雰囲気のホテルや飲食店が多いようだ。

写真 筆者撮影 2014年10月
樹木が屋根をつき抜け、ガラス屋根の上は葉が広がり、心地よい遮光になっています。

写真 筆者撮影 2014年10月
旅行者にとても親切な従業員に出会いました。

写真 筆者撮影 2014年10月
新アクロポリス博物館
アクロポリスの発掘現場から出土した文化財を中心に収蔵・展示している考古博物館である。アクロポリスの丘の上や麓で出土した、工芸品などを収蔵している。その年代は、青銅器時代から東ローマ帝国時代に及ぶ。開館したのは、2009年であった。

写真 筆者撮影 2014年10月
もともとの敷地は、兵舎の大きな区画であった。新築博物館の設計が終わった後になって、地面の発掘を行なうと出てきたのは個人の普通の家と工房の2層の遺構であった。下層は古典期のもの、上層は東ローマ帝国初期のものだった(下) そのため対策がとられ、設置建物を地面から浮かし、床には透明ガラスの厚板を設置し、遺構を上から観察出来るように設計変更を行なった。

ビザンティン時代の物見の塔の跡。考古博物館のガラスの床下に見ることが出来る。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
新アクロポリス美術館の見学を終え、次の目的地モナスティラキ広場へ徒歩でぶらぶら向かいます。距離にしては1.2KMぐらいですが、途中にカフェやみやげ物の店が沢山集中しているので、見ながら行くと1時間ほどかかります。
1 新アクロポリス美術館 → 2 プラカホテル → 3 モナスティラキ広場

アクロポリスの麓に広がるプラカホテルの周辺は、旅行者が気ままに散歩するのに最も楽しい街区である。古い家並みがひしめくように立ち並び、歴史的な教会建築が、ところどころにあり、特徴ある町並みが魅力な地区です。

写真 筆者撮影 2014年10月
横道が開けたところから、アクロポリスが、その姿を現します。

写真 筆者撮影 2014年10月
細く入り組んだ路地には、蔦状の樹木が多く、建物に絡んだみどりが、独特の雰囲気を醸し出しています。

写真 筆者撮影 2014年10月
観光客が多いので、カフェやタベルナ、バー、土産物店などが野外に軒を連ねています。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
細く入り組んだ路地に ATHENS HAPPY TRAINが3両編成で通り抜けます。
赤白の派手な色彩が独特です。観光客が多いのですが、まだ当時は、オーバー・ツーリズムにまでは至っていません。

写真 筆者撮影 2014年10

写真 筆者撮影 2014年10月
途中に結婚式場が、ありました。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
モナスティラキ広場 Monastiraki Square
大勢の旅行者や地元の人達の集まる広場に出ました。地下鉄モナスティラキ駅もあり、中央に噴水があり、その周りでシャボン玉遊びで盛り上がっていました。

写真 筆者撮影 2014年10月
ギリシャは、果物が豊富で美味しい。

写真 筆者撮影 2014年10月
パンタナサ聖堂 Church of the Pantanassar
10世紀頃建てられた聖堂、又は修道院の跡、モナスティラキ広場の一角に位置しています。屋根にはムクリがあり、とても味があります。この修道院(モナストリオ)がこの地区の名称の起源になったとのこと。納得である。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
この不揃いな瓦のラインが良い。

写真 筆者撮影 2014年10月
ツィスタラキス・モスク Tzisdarakis Mosque
ツィスタラキス・モスクは1759年にオスマン帝国のアテネ知事ツィスタラキスによって建てられた。(下)ツィスタラキスはモスク建設時に後述のハドリアヌスの図書館の大理石の円柱を建築材料として流用したとされる。オスマン帝国の許可なく古代の建造物を破壊した規則違反に対する重い罰金刑を受け、ツィスタラキスは失脚したといわれている。

写真 筆者撮影 2014年10月
ギリシャ独立後には兵営、監獄、倉庫などと様々な用途に使われた。また1918年から1973年まで、ギリシャ工芸博物館として使われた。

写真 筆者撮影 2014年10月
アテナイの古代アゴラ
B.C.5世紀初めの10年間にはペルシアが侵入し、20年間に及ぶ戦闘の後、ギリシアはB.C.479年にペルシアを破った。その後の古代アテネには哲学者、科学者、政治家を輩出し、直接民主制、民主政治などの思想が、その後の西洋の文化に多くの影響を残すこととなった。
ギリシア都市の主要な構成要素は、敵に包囲されたときに市民が逃げ込む最後の要塞であり、神殿の並んだ宗教的な聖域アクロポリスと、都市の中心広場であり、市場や商業の場でもあり、劇場や闘技場などの文化施設であったアゴラ。
そして最大の面積を占めていた住居地区から成り立っていた。
アテナイのアゴラは、アテナイの中央北西部に位置する、周囲に様々な公共施設が配置された広場・市場であり、市民交流の場でもあった。

アゴラとは市場という意味ですが、古代においてはもっと広範囲な意味があり、政治、経済、文化の中心地でした。
商店が軒を連ね、商取引も行なわれ人々が買物をしたり、評議会場や裁判所などの公的機関が設置され、意見交換や情報収集をしたりする生活の拠点だった。
この古代アゴラでは、哲学者や政治家の演説もよく行われ、ソクラテスやプラトンもこの場所で度々問答を交わし拠点とした。ここは民主制発祥の地といって良いであろう。(下)
それを想像し、知的好奇心を掻き立てながら、今は遺跡となったこのあたりを、徘徊するのはここちよい。

アメリカ古典学研究所がロックフェラーからの資金援助を受けて発掘を行なった。発掘現場は、古代遺跡・現代民家などが、ゴチャマゼになっていますね。

古代アゴラのあった敷地から、アクロポリスの神殿が望めます。
写真 筆者撮影 2014年10月
この写真1枚に、古代ギリシャ、古代ローマ、ビザンチン時代、オスマントルコ時代、現代の建造物が混在しています。

写真 筆者撮影 2014年10月
ヘファイストス神殿 TEMPLE OF HEPHAISTOS
ヘファイストス神殿は、古代アゴラにある。紀元前5世紀頃に建立された。
紀元前449年に建てられ始め、紀元前416年から415年頃に完成した。鍛冶屋や窯業者が集まる地区に建てられたため、炎と鍛冶の神とされたギリシャ神話上のヘファイストスを祀る神殿となった。

写真 筆者撮影 2014年10月
南北13.7m 東西31.7mの大きさで、短辺は6本の、長辺は13本(総数34本)の円柱で屋根を支えるドーリア式建築物である。
ギリシャの数多くの遺跡の神殿のなかでも、最も原型を留めている。

写真 筆者撮影 2014年10月
後から知ったのだが、かのソクラテスやプラトンも古代アゴラで哲学論を交わしていたらしい。

写真 筆者撮影 2014年10月
古代アゴラのアタロス STOA OF ATTALOS
アタロスの柱廊博物館(古代アゴラ博物館)。ギリシャの遺跡のなかで唯一、完全に復元された建造物である。長さ約115m、幅が20mの2階建ての建物で、古代ギリシャのドーリス式やイオニア式の美しい列柱がみられる。古代アゴラで発掘された貴重な出土品の大半が展示されています。
STOA ストア とは「庇屋根付き通路」という意味である。アタロス王(159 BCー138 BC.)の時代に作られ、1952–1956年に再建され、今は古代アゴラの美術館として使われている。

写真 筆者撮影 2014年10月
現在は博物館になっている。アタロスの柱廊。

写真 筆者撮影 2014年10月
アタロスの柱廊はギリシャ遺跡の中で唯一完全に復元された建造物ということだ。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
古代アゴラの円堂 トロス THOLOS
トロスとは、古代ギリシャの民主政ポリスの民会の会議場にして政府所在地。迎賓館、食堂としての機能もあったといわれる。
18歳以上のアテナイ市民権を有する男子であれば、民会に自由に参加、発言、投票することができた。

写真 筆者撮影 2014年10月
円錐屋根の構造を現した模型です。

写真 筆者撮影 2014年10月
アテナイのローマンアゴラ
古代ギリシャ時代のアゴラをローマ時代のと区別して古代アゴラと呼び、後のローマ時代のアゴラをローマンアゴラとよぶ。

ハドリアヌスの図書館 Hadrian’s Library
ローマ皇帝ハドリアヌスが132年に建設したこの施設は古代ローマのフォルム(広場)を原型に造られた。柱頭コリント様式であり、ローマの建築様式である。隣接して読書室、角には講堂があったといわれている。

写真 筆者撮影 2014年10月
敷地の東側の建物には、古代エジプトで使用された文字の筆記媒体パピルスの巻物の書籍が置かれていたという。

写真 筆者撮影 2014年10月
ローマ時代の図書館とオスマン帝国時代のモスクが、隣り合って建っています。

写真 筆者撮影 2014年10月
アグリッパの音楽堂 Odeon of Agrippa
紀元前15年ごろ、ローマ帝国初代皇帝の軍人アグリッパが、アテナイの古代アゴラ内に建てたものである。
音楽堂は25m×25mの大きさで、ステージから天井の高さは23m、座席数は1000席ほどであったという。150年頃に建物が倒壊したといわれている。(下写真中央)

写真 筆者撮影 2014年10月
イタリア・ルネサンス時代に類似した意匠の建物が混在していた。

写真 筆者撮影 2014年10月
アテネの地下鉄は古代遺跡と共存。
古代ギリシャの遺跡発掘物の間を縫って走るアテネの地下鉄。このような光景は世界広しといえど、ここだけの風景であろう。

写真 筆者撮影 2014年10月
紀元前5世紀と、紀元21世紀の文物がこの一枚の写真に納まりました!
建物外壁の落書きまでも写っています。

写真 筆者撮影 2014年10月