ジャカルタ歴史地区 2014

ジャカルタ歴史地区 2014

ジャカルタは、インドネシアの首都であり同国最大の都市である。
人口は950万人を超えており、2016年の近郊を含む広域首都圏は3,120万人と、東京 首都圏 に次いで世界第2位。

世界屈指のメガシティーであり、東南アジア屈指の有数の世界都市でもある。東南アジア諸国連合ASEANの事務局が置かれている。

バタヴィア

バタヴィア Batavia はインドネシアの首都ジャカルタの オランダ領東インド会社時代の名称。

チリウィン河口に位置するバタヴィアは、12世紀から16世紀初頭にはスンダ・クラパと呼ばれ、周辺海域から多くの商人が来航していた。その後1619年、オランダ東インド会社は、要塞バタヴィア城を築いて、アジアにおける通商の本拠地とした。

オランダ時代の数々の建物が残る。 現在は過酷な交通地獄地域となり、車による渋滞と喧騒で、行楽客がゆっくりと植民地時代の遺産を鑑賞する配慮がなされていない。

旧バタヴィア地区の観光案内図。

写真 筆者撮影 2014年

オランダ東インド会社、要塞バタヴィア城。写真下の海に面したところが、スンダ・クラパ港。 オランダの進出前、古くはスンダ語でスンダクラパ Sunda Kelapa, (スンダの椰子の実)と呼ばれていた。 (下2枚)

水路、運河に囲まれ防御が施された要塞バタヴィア城の地図。 北側(左)にスンダ・クラパ港があった。

写真 筆者撮影 2014年

バタヴィアの水路。現存するが、両岸はスラム化してしまった所が多い。

写真 筆者撮影 2014年

コタインタン橋 (Jembatan Kota Intan)

1628年にオランダ領東インド会社 (VOC)によって作られた運河に架かる跳ね橋。

現在の跳ね橋。今は「跳ない跳ね橋」で、観光用として残されている。過去においてこの地域がオランダの植民地支配下にあったことを思い起こさせる。

写真 筆者撮影 2014年

成長著しい1,000万都市ジャカルタの中心部から程遠くない場所には、都市の発展と無縁な貧しいエリアが広がり、大雨はおろか強風が吹きつければ崩壊してしまうのではという脆い造りの家屋に人々が住んでいるのを目の当たりにする。

事態をさらに複雑にしているのは、住民間の深刻な格差の問題をジャカルタが抱えている点だ。最も恵まれない人々が海岸沿いの最も危険な地域に追いやられているのである。

写真 筆者撮影 2014年

鉄道と幹線道路が平面交差して、交通渋滞に拍車が掛る。長年にわたり膨張するジャカルタの人口に、インフラ投資が追いつかず、交通網が窒息状態だ。

写真 筆者撮影 2014年

鉄道の敷地内に誰でも自由に入り込める。
そしてゴミも散乱していて監理が行き届いていない。ジャカルタ旧市街。

写真 筆者撮影 2014年

かつてバタビアの表玄関として栄えた スンダクラパ港 に行ってみた。

仕事の関係で、ジャカルタの古くからの知人に同伴してもらい、今までに訪れることがなかったジャカルタ市北端の旧 バタビア 地区をつぶさに見る機会を得た。

港湾監視塔  Menara Syahbandar

見張り塔 Harbour Watch Tower

バタビア時代に栄え、当時は交易品を満載した船で賑わったスンダ・クラバ港の真ん前に建つ哨楼。ごちゃごちゃした通りを抜けようやく辿り着いた。

写真 筆者撮影 2014年

小さな路地を通り抜けると、眺望楼にたどり着いた。

写真 筆者撮影 2014年

写真 筆者撮影 2014年

写真 筆者撮影 2014年

写真 筆者撮影 2014年

当時使われていた船のイカリが塔の下に置かれていた。 

写真 筆者撮影 2014年

過っての河口と湾の要衝に備えられていた防御大砲。今は埋め立てられた陸地の建物に焦点が合っていて、以外感がある。

写真 筆者撮影 2014年

こちらの大砲も無秩序に埋め立てられた陸地が焦点になっている。

写真 筆者撮影 2014年

写真 筆者撮影 2014年

続いて、見張り塔近くにある旧オランダ時代の倉庫の建物が見えてきた。

写真 筆者撮影 2014年

海洋博物館(Museum Bahari)

1652年から1771年にかけて東インド会社によって段階的に建てられた。
スパイスなどの農産物を保管、選別、包装するための倉庫。

写真 筆者撮影 2014年

銃眼のついた外壁に囲まれた大きな兵舎のような建物だが、東インド会社がナツメグや胡椒、茶や絹織物、銅や錫などの交易品を保管していた倉庫であった。

今は海洋博物館として使われている。ただ、面積は広いがその割に展示物は少なく、埃を被ってしまっている。来館者も少ないようで、ましては、観光客が訪れるような中身は少ない。

写真 筆者撮影 2014年

2つの旧倉庫棟にはさまれた中庭。

写真 筆者撮影 2014年

写真 筆者撮影 2014年

2つの旧倉庫棟にはさまれた野外通路。

写真 筆者撮影 2014年

海洋博物館の入り口

ANNO 1719 と記されているので、1719年に造られたたてものであることが解った。

写真 筆者撮影 2014年

中に入ると熱帯雨林から切り出されたであろう巨大な木材が、荷重の大きな倉庫の構造材として、内部の柱、梁に使用されている。ヨーロッパに莫大な富をもたらした胡椒や香料、クローブ、ナツメグ、メースなどの産物がここに保管されていた。

陳列物そのものより、この木造物に、過ぎ去った時代の残り香を感じた。

写真 筆者撮影 2014年

写真 筆者撮影 2014年

オランダ船の模型が陳列されていた。

この模型がどのくらい史実に忠実なのかは、分からない。

写真 筆者撮影 2014年

この 旧オランダ時代の 港には、アラブ圏やインドなどから様々な地域の商人が訪れていた。香料貿易の国際港であった。

写真 筆者撮影 2014年

ジャカルタの水準点。

写真 筆者撮影 2014年

定期的な洪水に悩まされる ジャカルタ

2007年の大洪水時には、85名の死者を出し、少なくとも35万人が家屋に被害を受け、ジャカルタ市域の70%が浸水し、一部地域では水深は4mにまで達した。近年は地盤沈下が進行中であり、国際機関の調査によるとジャカルタは毎年5~10cmずつ沈下していると言われている。

ジャカルタの地盤沈下

ジャカルタは地盤沈下だけでなく同時に、海面上昇にも見舞われている。
試算によると2050年までに、この都市の3分の1は水没する可能性があるという。これは都市の存続にかかわる、未曽有の危機と言って良い。

ジャカルタでは水道にアクセスのある住民は、全体のわずか4分の1だ。つまり、多くの住民は地下に井戸をを掘らなければならない。水道を引くよりも安上がりであるからだ。その過程で地盤沈下が起きているのだ。

JICAは衛星画像解析技術を用いて地盤沈下量の2次元的な分布

かって海だった所が、埋め立てられ、一面のスラム村になっている。
左に旧オランダ倉庫、遠方に埋立地に建ったイスラム教のモスク。

筆者スケッチ

海洋博物館前の道路

この道路からさらに奥へ 奥へと入って行くと、不法占拠によるスラム地区になる。地元の人に同伴してもらい見聞を広めるため、スラム地区に足を進める。

写真 筆者撮影 2014年

スラム街ツアー

澱んだ水路に突き当たり、この簡易橋を渡ると、景色が一変し、観光客禁制のスラム社会に至る。

写真 筆者撮影 2014年

スラムの間の水路には、沢山の小船が係留されている。

写真 筆者撮影 2014年

廃材で作られた自家製の家が密集して建っている。

写真 筆者撮影 2014年

水路のヘドロが水面に顔を出している。異臭もする。

写真 筆者撮影 2014年

水路の水面は、灰色。ゴミと排泄物でヘドロ状態である。

水は澱んで流れを止めている。

写真 筆者撮影 2014年

トタン屋根の下には、トイレがあると思われる。排泄物は、水面に直行となる。

写真 筆者撮影 2014年

廃棄物と家屋がゴチャマゼになっている。

写真 筆者撮影 2014年

写真 筆者撮影 2014年

沢山の商品を扱ってる店もあった。生活の必需品は、身近で手に入る仕組みだ。

写真 筆者撮影 2014年

間口の低い崩れそうな屋根下の日陰で、おしゃべりし憩う住民たち。

写真 筆者撮影 2014年

細く入り組んだ路地を伝い歩いていると、少し広い通りに出た。滑り台で幼児たちが遊んでいる。3人の子供が順番を待っていて賑やかだ。

駄菓子屋さんの自転車もあり、ひとだかりが自然発生し、心おきない空間が生まれている。スラム街とはいえ、住民たちの活力がここにある。

写真 筆者撮影 2014年

写真 筆者撮影 2014年

Luar Batang Holy Mosque
Masjid Jami’ Keramat Luar Batang

更に歩き続けると、車道になり、正面にモスクのミナレットが姿を現した。

写真 筆者撮影 2014年

小さな駐車場があり、許可終えて門をくぐり中に入る。
門の上にはインドネシア国旗が掲揚されていた。

写真 筆者撮影 2014年

モスク内の敷地に付添い人に許可を受けてもらい入れてもらった。

写真 筆者撮影 2014年

ミナレット。シンプルだが感じの良いデザインだ。

写真 筆者撮影 2014年

モスク内の広場で遊びに熱中する子供たち。賑やかで子沢山の活気がある.

写真 筆者撮影 2014年

モスクを過ぎて、その裏手の壁に囲まれた一角に迷い込んだ。

写真 筆者撮影 2014年

ここに來て、マドラサ(宗教学校)の一角に入ってしまったようであった.

写真 筆者撮影 2014年

窓をのぞくと、そこは沢山の子供がいて、学校の教室で、みんな勉強の最中であった。

写真 筆者撮影 2014年

放課後になり、一斉に学童たちが校舎から出てきた。

写真 筆者撮影 2014年

中にはバイクで登校する子もいますね。

写真 筆者撮影 2014年

おもちゃなど雑貨を路上に広げる物売り。

写真 筆者撮影 2014年

ジャカルタ旧コタ地区の開発計画試案

ジャカルタ歴史地区の北側埋め立てスラム地区立ち退きに伴う再開発の試案を作成。ジャカルタ市政府に提案、試案のプレゼンテーションを行なったが、あまりにも大きな社会的なインパクトと環境コストのため、実現に至らず。

写真 筆者撮影 2014年

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