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クレタ島 ・ギリシャ
2014年10月
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さて、今日はタクシーでアテネ外港のピレウスへ行き、その港町からクレタ島まで連絡船でむかいます。330キロほどの航行距離で、9時間の夜行連絡船です。

夜9時ごろのピレウス港の夜景。岩壁にはいろいろな船が停まっていて、案内板が不備なようで、クレタ島行きの船を探し当てるのに手惑い苦労しました。

写真 筆者撮影 2014年10月
大型船です。 久しぶりの船旅です。

写真 筆者撮影 2014年10月
ピレウス港
ギリシャ最大の港で、年間2000万人が利用するヨーロッパ最大の旅客港である。且つ世界第2位の旅客港でもある。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
乗客の乗船は船尾からでした。タラップからの乗船とばかり思っていたので、これははじめてで、ここでもチョット戸惑いました。

写真 筆者撮影 2014年10月
飛行機を利用すれば、アテネ・クレタ島間は約1時間ですが、エーゲ海の波に揺られるのも良かろうと船旅にしました。

写真 筆者撮影 2014年10月
乗船して一安心!あとは船室で眠るだけ。明日の朝にはクレタ島のイラクリオンという街に上陸出来る予定になっています。まずは、上階デッキでギリシャのビールと軽食で乾杯です。

写真 筆者撮影 2014年10月
一般船室の様子。ベッドは4個あり、二段ベッド、トイレもついています。
わりと清潔でした。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
クレタ島に到着。
船は早朝夜明けに、クレタ島イラクリオンの港へ入りました。昨夜はピレウスの波止場で船を見つけるのに奔走し、疲れと船旅の快適さに朝寝坊となった。下船のアナウンスと催促が何度かあった。我々が最後の下船者になってしまった。そのおかげで船長や乗組員の人達と下船直前、うちとけた話が出来、記念写真撮影とあいなった。

写真 筆者撮影 2014年10月
クレタ島 Crete Island
クレタ島はギリシャ・エーゲ海の南端にあり、地中海に浮かぶギリシャ最大の島である。四国の半分の面積に50万人が住む。ヨーロッパにおける最古の文明の一つである古代ミノア(ミノス)文明が栄えた地です。
ギリシャ本土の古代文明以前にすでにあったミノア文明(クレタ文明)。その代表的な遺跡であるクノッソス宮殿は、イラクリオン市街の約5キロ南東にあり、ここを訪れることがクレタ島訪問の主目的です。
イラクリオン Heraklion
約14万の人口を擁するクレタ島最大の都市(ギリシャ全土では第4位)で、クレタ地方の首府。
13世紀初頭には、勢力を伸張させていたヴェネツィアの支配下におかれた。現在でも、ヴェネツィア領時代の要塞が残されている。
その後、二十年以上に渡る攻防戦を経て1669年にオスマン帝国がこの都市を獲得した。そして、ギリシャ独立戦争後、20世紀初頭にギリシア領となった。
ラト ブティック ホテル Lato Boutique Hotel
ネットで直接予約したこのホテルは、港から歩いてゆける距離にあった。街の中心やクノッソス行きのバス停も同じく徒歩で行ける位置にあった。
ホテルの基準階のレイアウト、アテネのホテルに劣らず不規則なつくりである。

青色が我々の客室。
客室の窓から見たホテル前面の道路。

写真 筆者撮影 2014年10月
ホテル屋上からイラクリオン港を見る。

写真 筆者撮影 2014年10月
早朝のチェックインが叶い、荷物をホテルに預け、早速街歩きをします。
ホテル前面の道路。ここをしばらく歩くとAvgoustou Streetという大通りに出ることが出来る。

写真 筆者撮影 2014年10月
Avgoustou Street
イラクリオンの港湾から市の中心地を結ぶ Avgoustou Street。緩やかな坂道の大通りで、北は港になっていて、そこがこの通りの基点になっています。

写真 筆者撮影 2014年10月
大通りを南に向かって登ってゆくと、がらんどうで、廃屋になった古い建物が目に入ってきた。これに改装を施せば、かなりのお宝になるだろうと思いながら、ひたすら街の中心地を目指して歩く。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
世界的に有名なスペインの画家エルグレコ(1541-1614)のバナーが、メインストリートに掲げられているのを見つけた。そうだ、彼はヴェネツィア統治時代のクレタ島のここイラクリオンの生まれだったのだ。その後イタリアを経てスペインに渡り、トレドで有名になった画家だ。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
アギオス・ティトス聖堂 Agios Titos, Heraklion
アギオス・ティトスは、パウロの弟子、協力者であったギリシャ人。伝承によればテトスはパウロによってクレタ島の司教に任じられ、クレタ島の守護聖人となり、1世紀始めにクレタ島で生涯を終えたという。
この教会は、10世紀ビザンチン帝国のクレタ島征服の時期に建立された。イラクリオンで最古の教会とされている。

写真 筆者撮影 2014年10月
この教会は、一度は14世紀の火事で、更に15世紀の地震で二度失われた。その後オリジナルに沿って再建され、イラクリオンのカトリック主聖堂.となった。
イラクリオンが、オスマントルコに陥落後、モスクになった。1859年の大地震で建物が崩壊、その後元通りに再建された。

写真 筆者撮影 2014年10月
アギオス・ティトス聖堂
真向かいに、カフェを発見。ここは路上観察ができる正に一等地だ。

写真 筆者撮影 2014年10月
ここで、サラダを中心に朝食をとり、前面道路と教会を観察することにした。クレタ島の人達は、皆マイペースで生きている。ストレスが溜まらない自然、社会環境の中に生きている。

写真 筆者撮影 2014年10月
イラクリオンのシティホール
このシティホールは、元々はヴェネツィア時代の商人の社交場であったそうな。
クレタ島のベネチア人が残した最高のモニュメントの1つと見なされている。建物の前面にはギリシャの国旗が掲げられている。

写真 筆者撮影 2014年10月
この緩やかな坂を上ると、賑やかな市の中心部に至ります。

写真 筆者撮影 2014年10月
ヴェニゼロス広場のモロシニの泉
モロシニの噴水のある広場につきました。
1628年にベニスの司令官Franceso Morosini.によって造られたベネチア時代の噴水と言われている。

写真 筆者撮影 2014年10月
イラクリオンの繁華街。離島であるにも関わらず物資は豊富な様である。周辺は多くの観光客や地元の人が行き交っています。

写真 筆者撮影 2014年10月
イラクリオン港
ベニスの要塞、地中海料理のレストラン、宿泊のホテル、等のお互いの位置関係を示した地図です。

市街地をひと回りして、港地区に戻ってきました。
海辺には、異なった時代に造られた建物が、所狭しと混在しています。含蓄のある風景です。

写真 筆者撮影 2014年10月
ベニスの要塞 Rocca a Mare Fortress
13世紀初頭、十字軍勢力を伸張させていたヴェネツィアの支配下におかれ、16 世紀にヴェネツィア人が建設したヴェネツィア領時代の要塞が残されている。
1日中イラクリオンの市街地やクノッソス遺跡を歩き続けて、最後に夕方のイラクリオン港に至った。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
夕焼けに染まった ベニスの要塞。自慢の写真。笑。

写真 筆者撮影 2014年10月
クレタ島の夕暮れ。
この約900km先にイタリア・シシリア島があります。地中海の真ん中で夕日を見ながら感無量と言ったところ。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
「地中海式食事」
ギリシャ・クレタ島はオリーブオイル名産地である。長寿の秘訣である「地中海式食事方法」で有名な島です。
日没後、偶然みつけた繁盛しているこのお店の野外テラスに、一つだけ残っていたテーブル席を確保出来ました。クレタ島のやさしい夜風にふかれながら、晩餐とします。

写真 筆者撮影 2014年10月
先ずテーブルに、好みの各種パンが並べられ、これらをオリーブオイルにたっぷり浸し、頂きます。
クレタ島では、ほぼ全ての料理に使われているオリーブオイル。世界各国における心臓疾患による死亡者数を調べたある研究によると、死亡者数が極端に少ない地域がありました。それがギリシャ・クレタ島です。

写真 筆者撮影 2014年10月
クレタ島の白ハウスワインをたっぷり注文。これで2ユーロは安い。

写真 筆者撮影 2014年10月
タコの足、丸ごと焼いたもの一本。丸ごと食します。

写真 筆者撮影 2014年10月
イワシの網焼き。

写真 筆者撮影 2014年10月
地場ものの魚の開き。たれとオリーブオイルでマリネート。

写真 筆者撮影 2014年10月
エーゲ海から揚がった豊富な貝類。

写真 筆者撮影 2014年10月

写真 筆者撮影 2014年10月
このふらりと入ったレストランの晩餐は、クレタ島の本日の良い締めとなりました。
写真 筆者撮影 2014年10月