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スリランカ周遊紀
2014年2月
#2/6
セイロン島・ゴール(GALLE) の歴史的背景
古くから港町として栄えていたセイロン島のゴール(GALLE)は、14世紀初頭のモロッコの大冒険家イブン・バトゥータの著書にもその名が記され、ヨーロッパ人進出以前、中東やアジアの各地から商人が訪れていた。
ヨーロッパ人による支配がはじまったのは16世紀末のことである。
ゴールは、ヨーロッパ人が南アジアや東南アジアに建設した城塞都市の典型的な例であり、ヨーロッパ建築と南アジア地域の伝統が混在している。
1598年、ポルトガルが町を支配下におき、最初の砦を築いた。続いて1640年頃、ポルトガルから覇権を握ったのがオランダである。ポルトガルが造った砦を拡張し、現存の原型となる、牢固な城壁に囲まれた城塞都市となった。
やがてイギリスがコロンボに要塞を築き、オランダから支配権を奪ったこのゴール要塞は破壊されることなくそのまま今日に至った。
ゴール城壁は、現在も残る城壁の中ではアジア最長である。その歴史的な旧市街地区は城塞がそのまま残っていて、ユネスコの世界文化遺産である。

筆者スケッチ
要塞に隣接するゴールの街の海岸。2004年12月26日に起きたスマトラ沖大地震では津波の被害を受け、ゴールの街だけで数千人が命を落とした。
要塞に囲まれたゴールの旧市街部分は、津波の被害をまぬかれた。

2014年2月 筆者撮影
ゴールの旧市街と要塞 世界遺産
ゴールは古代から良く知られていた港であり、ペルシャ人、アラブ人、ギリシャ人、ローマ人の他、インド人、明朝の鄭和などがこの地を訪れていた。

2014年2月 筆者撮影
旧市街は海にちょこんと突き出た半島部分で、ゴールの街全体からすればごく一部。南北約700メートル、東西は最長部分で約600メートルと、歩いて回るのにちょうどいいサイズです。
コロニアルな雰囲気残る町並み。世界遺産
要塞の外側、1キロ四方の部厚い擁壁が400年後の今に残る。

2014年2月 筆者撮影
ゴールの近代史は1505年にポルトガル船が初めてこのセイロン島の主要港であるゴールにやってきた時から始まる。

2014年2月 筆者撮影
ゴールを支配していたポルトガル軍は1640年にオランダ東インド会社に降伏、ゴールはオランダの支配下に入る。その後、現在も残る要塞が建設された。要塞の壁には花崗岩が使用されており、ゴールはオランダ植民地時代の18世紀に大きく発展した。
要塞の入り口門。東インド会社のマークがアーチの上にある。トンネルを抜けると旧市街に入ります。

2014年2月 筆者撮影
18世紀末にイギリスがオランダからこの島の支配権を奪うと、イギリスは要塞には手を加えず保存し、行政の中心をコロンボに移した。
ゴール旧市街の城砦の中に入りました。
旧兵舎は郵便局.

2014年2月 筆者撮影
同じくオランダ東インド会社の植民地になったジャワ島のバタビア〔現ジャカルタ)の旧市街地に比べると、こちらは良く原型が保たれている。

2014年2月 筆者撮影
National Maritime Archaeology Museum
旧兵舎は、海洋博物館になっている。

2014年2月 筆者撮影

はポルトガル人の都市計画を土台にしつつも、多くの点で変更を行い、現在残るゴールの基本形を作り上げていった。旧市街を囲む城壁は1669年には主要な3つの稜堡を含む要塞が完成した。
18世紀になると勢力を伸ばしていたイギリスへの警戒からさらに11の稜堡が増やされるなどの強化がなされたが、1796年にイギリスの手に落ちた。しかし、無血譲渡であったために、当時の建造物群の多くが破壊されることはなかった。
さらに、19世紀後半にはコロンボの交易拠点としての重要性が増したことで、ゴールは地方交易の拠点に過ぎなくなり、そのため開発を免れ、街並みの変更少ない状態で保存された。

2014年2月 筆者撮影
オランダ改革派教会
ここのオランダ改革派教会は、スリランカで最も古いプロテスタント教会だそうです。

2014年2月 筆者撮影
諸聖人教会
南北に通るチャーチ通りに面して英国国教会のオール・セインツ教会(日本では諸聖人教会と呼ぶそうです)があります。
イギリス植民地時代の1868年に建てられたものです。

2014年2月 筆者撮影

2014年2月 筆者撮影
時計台

2014年2月 筆者撮影

2014年2月 筆者撮影
今も時を刻み続けるゴールのシンボル、時計台

2014年2月 筆者撮影

2014年2月 筆者撮影
要塞の縁で新婚さんに出会った。

2014年2月 筆者撮影

2014年2月 筆者撮影
旧要塞内に学校があった。
町を歩いていると、学校の運動場らしいところに出た。そこには大勢の女子学生が野外授業の最中のようであった。この1キロ四方に満たない要塞の中に、女子生徒とその家族が住み生計を立てていることを想像すると、先入観を超えて、ここは今でも生きている都市遺産などであると実感した。
スリランカの識字率は92.5%で、発展途上国としては極めて高い数字だ。これはスリランカの学校の大半は公立で、教育は無償であることによると思う。
スリランカの公用語は、シンハラ語・タミール語・英語の3言語である。シンハラ語とタミール語は、お互いに通じないので、その場合は英語が、「連結語」として機能している様だ。

2014年2月 筆者撮影
旧市街の街路の様子。残念な電信柱と張り巡らされた電線。

2014年2月 筆者撮影
軒が深く、風通しの良いのが本来の熱帯家屋の特徴だ。

2014年2月 筆者撮影
フォート・プリンター・ホテル Fort Printer Hotel
要塞内の旧市街地をぶらぶら歩いていると、旧印刷所を改装したブティックホテルに遭遇した。

2014年2月 筆者撮影
中に入ってみるとそこにはポケット・ガーデンの中庭があり、水辺にプルメリアの木が植えられていた。周りはアウトドアー・ダイニングになっていて、過っての植民地風のゆるさが、ここにあった。

2014年2月 筆者撮影

2014年2月 筆者撮影

2014年2月 筆者撮影
植民地時代の印刷機械。

2014年2月 筆者撮影
木製ドアや窓枠、家具類には惜しげも無くにチーク材が使われている。

2014年2月 筆者撮影

2014年2月 筆者撮影
写真 筆者撮影 2014年2月