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スマトラ・メダン・トバ湖
2006-2007年 #1
スマトラ島のメダンへは、2回目の旅になった。前回は入国の際、パスポートの有効期限が、6ヶ月以内になってしまっていたのを、入国管理官に指摘されあわや出発地に戻されかけた。そこを交渉できりぬけ、インドネシア入国をかろうじて許されたのが前回のメダン訪問の1回目であった。

メダン・ポロニア空港
当時の空港はポロニア空港で、メダン市の市街地の真ん中にある。 開港は1928年であり、そのころは市外の野原のようなところであったのだが、人口の増加により、周りを市街地に囲まれるようになり、短い滑走路の空港として現在に至ったものである。
空港の到着エリア。出迎えの人々が野外にあふれ出ている。切り妻の壁面には、この地方の少数民族バタックの独特のパターンがあり、この地方がスマトラであることを意識する。

写真 筆者撮影 2006

写真 筆者撮影 2006

写真 筆者撮影 2006
このポロニア空港では、2005年に空港を離陸直後に墜落事故がおきた。乗客乗員120人のうち100人と地上の49人が死亡した。ある政府の高官が、ジャカルタ行きの国内線フライトに、制限を越える過重な荷物を持ち込み、短い滑走路もあって離陸に失敗したことを、当時の新聞が報じていた。筆者がこの空港に到着したのはその事故の約1年後のことであった。
この空港は2013年に、郊外にに国際空港が移転開業し、ポロニア国際空港はその役目を終えた。

IndoCropCircles.Wordpress.com より

北スマトラ・メダン市
スマトラ島のメダン市は200万都市で、ジャカルタ・スラバヤ・バンドンに次ぐインドネシアで第四の都市である。
オランダ領東インド時代の前までは、海峡沿いにマレー人、山岳地帯にバタック人が住んでいたとされている。植民地時代になって、オランダをはじめとするヨーロッパ系の民間資本が、スマトラ一帯でタバコ、ゴム、茶などのプランテーション農園を開発した。
その後メダンは、それらの商品作物の中心的集荷地となり、発展の基礎を築いた。同時にプランテーションでは、労働者需要が大規模に発生した。
その需要を満たしたのが、中国からの華人と、更に戦後インドネシア政府の移民政策で人口過剰なジャワ島から移り住んだジャワ人であった。
そのため、メダンにおいては、他のインドネシアの地方都市とは異なり、外来人のグループ集団が多く、ジャワ人、華人、バタック人,マレー人などが、混在して居住している。
日本に関しては、戦後国交回復すると1960年(昭和35年)に領事館が再開され、1980年代からは『アサハン・アルミ精錬工場』建設プロジェクトに従事する日本企業関係者が多数滞在し、家族のための日本人学校も設置された。
市内のモスク。繊細なデザインだ。

写真 筆者撮影2006
メダン市人口 約221万人
(2015年。北スマトラ州全体の約16%がメダン市に居住)。
また,メダン市の一つの大きな特徴は「中国系」インドネシア人が市人口の20%程度を占めていることである。これはインドネシア全国平均が3%が中国系と言われている中で際だって高い数字である。
メダンの街中では、中華系の出身地である中国福建省の言葉があたかもこの町の標準語のような感じで中華系ビジネスマンの間で使われている。
その他,アラブ系,インド系住民も他のインドネシアの大都市と比べると目立つ存在となっている。
また,バタック人に関しては,インドネシアの政治家,高級軍人にはバタック出身の人物も多く見られ,法曹界にも多くの人材を輩出している。
メダン市民の宗教別人口割合は概略次のようである。インドネシア他の地域、都市に比べてキリスト教の比率が高く、その分イスラム教の比率は低い。
イスラム教・60%、キリスト教・28%、仏教・10%、
メダン市鳥瞰
2006年の時点でまだ高層建築は少ない、と言うよりもほぼない。

写真 筆者撮影2006
交通の手段
公共交通の手段として、大量輸送システムはなく、そのかわりおびただしい数のミニバスが道路を走っている。ミニバスはどこでも止まり、乗客を乗り降りさせるので交通渋滞の一因となっている。ミニバスは、庶民の重要な交通手段であり、他の大量交通手段が整備されなければなくなることはないだろう。そして年々増加するバイクも交通渋滞に拍車をかけている。

写真 筆者撮影2006
パダン料理
パダン料理はナッシパダンと呼ばれマレーシア・シンガポールでも人気がある。
西スマトラ・パダン地方発祥の料理で、インドネシアでは、ジャワ島からバリ島にまで人気がある国民食である。
下の写真がメダンのパダン料理店である。
本場のスマトラで食すると、さらに美味で旨い。

写真 筆者撮影2006

写真 筆者撮影2006
パダン料理のレストランでは、客が席に着くと、お店の人がテーブルにいろいろな料理の小皿をもって来てそれを並べる。テーブルに並べられたたくさんの料理の中から客は好きな食べたい小皿を選らぶ。
食後は、店の人が食べた皿の分のみの料金を計算し、その分だけ料金を払う。客が手をつけなかった皿の料理は元に戻される。現代の衛生観念からは、チョット疑問符がつくが、昔からの当地の風習を踏襲しているのであろう。

写真 筆者撮影2006
パダン料理は、ココナッツを使った料理が多く、クリーミーな味付けが多い。
辛いイメージがあるが、それほど辛くはない。
大量のココナッツと油を使っているのでカロリーは高めなので、地元の人はコレステロールの取りすぎになる。

写真 筆者撮影2006
海鮮料理
こちらはメダンの街中にある中華風海鮮料理店。
現地の知人に連れて行ってもらった。

写真 筆者撮影2006
水槽に生きたうなぎがあった。

写真 筆者撮影2006
メダンの中華街
メダンの鉄道駅の裏手(東側)にはかなり大きな中華街が形成されている。

写真 筆者撮影2006
現地知人の案内で、中華系の食堂街に連れて行かれ食事となった。
家屋の軒先を使い、屋外で調理され、屋内のテーブル席に料理品が出てくる仕組みである。
町屋の外観と雰囲気は、マレーシアのペナンやクアラルンプールやシンガポールのそれと似ている。

写真 筆者撮影2006

写真 筆者撮影2006
市中のスラム集落
市の真ん中にスラム集落があった。屋根材に関しては、ジャワ島においては瓦を用いるが、こちらスマトラ島はトタン屋根が使われているので、いっそうスラム感がある。

写真 筆者撮影2006

写真 筆者撮影2006
ツバメの巣を見に行く
メダンでのクライアントの仕事仲間の誘いを受けて、ツバメの巣を見に行くことにした。ツバメの巣は、高級中華料理に使われ、健康増進に効果があるとされている。
途中の道路で、バンの屋根に乗った少年たちを目にした。
交通規則はどうなっているのだろう?

写真 筆者撮影2006
目的地に着いて、洞窟にでも行くと思いきや、知人から示されたのが下写真のグレーの建物である。窓が小さく、外壁の塗装はなされていないし、人が住む建物ではないようだ。これは、燕が巣を作るための建物で、燕窩の採取する「ハウスネスト」ということを教わった。「ハウスネスト」とは、そこで燕の巣を作らせ生産する建物のことである

写真 筆者撮影2006
この建物に住み着いたツバメは、建物内に巣を作る。
これにより、洞窟でつくられるツバメの巣を収穫する古くからの方法と違い、より衛生的に巣を収穫できるということだった。
作られた巣は、ツバメの唾液腺から特殊な分泌物吐き出したもので出来ている。
アナツバメは、ヒナが巣立つと同じ巣は利用しない習性があり、その習性を生かし、生態系を壊さぬよう、ヒナが巣立った後に巣を収穫を行なうとのことだった。

写真 筆者撮影2006
写真 筆者撮影 2006